オガールの、鈴ケ神社マルシェの、会長の霊視セッションを、受け付けていたので、数人が申し込んでくださいました。会場内では、敏感な方がいて、私のフラーレンに強く反応してくださり、褒めてくださってとても嬉しかったです。会長の、セッションの姿をみたひとが、すごい沢山のサポートが、ついているのね!あの人光ってるんだけど!??何者??と、驚かれておりました。
あの人神様だよね!??と、言われたので、そうですよ🤭と、答えときました。なにしろ、寝ている時に、あっち?で、仕事してるっぽいのでね。
神様の仕事もしてるけど、人間川原一三は、人間社会の核である夫婦の学びをしている、全くの未熟者であります。1番難しい学びなんでございます。皆様どうぞ本当に一三を育ててもらいたく候。🙇♀️。
お釈迦様でさえ、結婚して、子供もいたけれど、出家して、家庭を、守れませんでしたから、1番近くで1番遠い悟りの世界でありますね。
お釈迦さまといえば、そうそう、最近気になっていたので、オリンチャネラーさんに、オリンからきいてみたことがあったのね。
お釈迦様と、過去に、私がであっていますか?と。
そうしましたら、はいそうです。と、オリンの回答でした。
真理を悟った方に出会えたことの、悦びをいつかどこかで、味わったような、気がしているのです。
なので、ブッダの生まれ変わり、または、魂の繋がっていた高橋信次の本、言葉に、強く反応したのかもしれないと、気づき始めてました。
アマラ京子さんの指摘した通りの展開になりそうな気がしてます。
お節介をやいて、世話をしてあげましょう、と、行動して、食中毒させて、お釈迦さまを死なせてしまったのが、私かもです。
京子さんに、それを指摘されたとき、あー、そうかもー。と、思ったことがきっかけです。
死因の有無はともかくも、生涯において、素晴らしい誠の方に、巡り会えたことの、喜びが、私の腹の奥の奥にあるのでした。
尼さんをしていた時代が、私の過去世にありますが、釈迦の生きた時代とかち合うならなおのこと、私は、まだまだ、本当に、未熟だとつくづくおもう。
何度も悩んで、何度も悔やんで、一喜一憂して、悟りの街から、笑えるね、外れた人生だったなあ。なんとまあ。
高橋信次の書いた、人間仏陀の本のなかに、反省が、魂が光る道と、説いていた。
私の小学生の頃は、寝る前は一日の反省が、魂磨きの道であり、人が生きる上で必要だと、自ら思ってそうしていた。これは私の魂が、記憶していたことだったのかな。そんな気がしてきた。
マルシェ終わった今朝の目覚めのときは、三角山が、目の奥に見えていた。早池峰山脈の一つ、剣ヶ峰だ。マルシェの時は。瀬織津姫様にも、だいぶサポートを、頂いたのを、実感した朝でした。
昨夜と今朝は、マルシェのお礼を神棚にしましたが、感謝を伝えれるのは、サポートあってのこと。ありがたや、ありがたやでございます。