愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

はしもと美容院

2020-12-29 17:49:31 | 日記
私のおばさん。
私の父親の姉。
85才。
現役の美容師。
昭和をそのまんま映し出す美容院。

大きなヤカンでお湯を沸かして、湧いた湯は、ポットに入れてコーヒーをのむ。また、夜には、湯たんぽを作って、布団にいれて、暖をとっている。

そして、パーマをかけるお客さんには、洗面器に水と、この、ヤカンのお湯を混合させて、髪のパーマ液を流したりするのだ。

腰は既に、既に曲がっていて、仕事のために、お客さんの髪をカットするときは、腰に沢山サポート用にタオルを巻いて、少しは腰を伸ばして立ち仕事をしている。

今年また、姪っ子、甥っ子のこどもらへ、お年玉をあげるからといって、私が今のうちに、預かった。

[
一人三千円だよ、今月は家賃分は仕事出来たからよかったよ。]

と、おばさんはそう言う。

今から、46年前。
私が小学校に上がる頃。このおばさんに、私は鉛筆や、真新しい筆入れなんか、買ってもらっていた。私の親は、貧乏してるから、親の代わりに、このおばさんが、小学校にあがる、姪である私のために、勉強道具を買い揃えてくれた。それは中学に上がるときも、高校に上がるときもそうだった。お年玉も、ずうっと、この、おばさんは、欠かさずくれた。一度も欠かさず。
私の父親は、生活費を母親に渡すことはあまりなかった変人だったから、ましてや子供にお金は回らない。お年玉を親から一度ももらったことはないし、誕生日祝いもしてもらったことはない。クリスマスにケーキを食べたこともない。子供への教育には無頓着な両親だ。でも母親はそういえば、先日長である私の姉の、高校時代のことを言っていた。姉は秀才だったので、余裕で宮古高校に入学して、数学では学年でトップだった時もあった。そんな姉がお昼やすみ、階段でひとり弁当を食べていることを、同じ学校に通う近所の生徒から聞かされた。それを聞いて母親は朝まで枕を濡らしたんだと。
姉は、母親の作ったお弁当が友達の前で広げて見せられないほど、粗末なものだったから、一人階段に座ってお昼を食べていたらしいのだ。母親はさすがに姉にすまないと思ったのか、貧乏さをなげいてか、泣いたらしい。めったなことでは泣かない強い母親なのだが、子供を不憫におもったのだろうな。というか、私なんて幼稚園のころは、お弁当の蓋を開けると、納豆の豆が蓋についてね、それをとりながら食べていたよ。それを中学か高校の頃に、同級生に、あの頃の私のお弁当が納豆だったよね!とつっこまれたが、そうだね。と答えて終わらせたわ。とにかくも貧乏だったな。でも母親はその分私たち子供に、家の仕事を稼がせなかったようだ。あえて。貧しい想いをさせているぶん、家で無理して働かせなかったらしい。親心だな。ま、父親は親心はあまりない。自分中心なので、子供なのだな。それでも両親になんら、不満はなかったよ。自由にやらせてもらって感謝していた。

私が18才のとき。高校を卒業し、東京に、就職するため、田舎を旅立つ日。

実家の庭にあった父親のダンプの車に乗り込むとき、母親は
「電話してくるなよ」
というから、私は「うん」と答えた。母親の言葉の意味は十分理解できていた。
そして、父親のダンプの車で、盛岡駅の前に私が一人降りた。親父は「ここでいいだろう、じゃあな」
と言って、車を走り出させた。

就職祝いにこの美容院のおばさんや、ご近所さんからいただいたお金、数万円と、自分で買いそろえたボストンバック一つ持って、私は、盛岡駅の新幹線の東京行きのホームに立っていた。

あつこ!

後ろからなじみの声がした。おばさんだった。

「お前の親はどうせ、見送らないだろうら自分が見送りに来たよ」

おばさんは東京にいっても頑張れよ、と励まして、そうして私は一人新幹線に乗りこんだ。

おばさんは若いころ、自分の力で美容学校に通って、美容師の免許を取得した。そして独立して自分の店を構え、実家のために、というか、実家にいる弟である私の父親のために、金銭面でサポートし続けてきた。

付き合った人はいたが、正式に結婚したことは一度もない。だから女でも自分の稼ぎのお金をある程度は自由に、自分の兄弟姉妹に分け与えてきた。

いつだったか、私がおばさんに聞いたことがある。
「おばちゃん、おばちゃんの幸せはなに?」
するとこう答えた。
「人に、(何かを)あげること。人にものをあげたりお金をあげて、喜ばれることが自分は幸せなの」

そうなのだ。このおばさんは、自分が節約して節約して、やっと貯めたお金を私にくれたり、兄弟にあげたりするんだ。たまに私がドーナツの差し入れなんか、したら、大変なのよ。
「なに、こんなにいらないわよ。無駄なお金つかうんじゃないよ。持って帰って、子供たちに食べさせろ」って、言って私を叱るんだ。

3.11の震災の時、盛岡も大きな揺れがあった。ご近所でも箪笥が倒れたり、ガラスが散乱していたり、スーパーの食糧置き場の棚が空になったりしていた。テレビでは津波の映像がながれてて。そんなだから、一人住まいのおばさんの家に様子をみにいってみた。
おばさんは、けろりとしていた。世の中の様子は分っているよ、とおばさんはいうが、生活は普段となんら変わっていなかった。

毎年1年分のコメを買い込んであるし、車ははなからないし、裏の畑の野菜がある。戦争時代も経験した人間だからすごいとその時思った。昭和を生きた、物の無い時代を生きた、そして今令和になってもなお、昭和の当初、独立して美容院を立ち上げた時の姿がここにある。

わたしはこのおばさんに育てられて、今も、そだててもらっている。行けば必ずなにか私にあげるものを一生懸命家の中から探して、持たせてくれるんだ。冷蔵庫からプリンやら漬物やら貰ったりんごやら。高いシャンプーや
美容液等等。
私の夫は「またそんなにもらったのか」と嘆く。でも私は喜んで貰うんだ。だって、うちのおばさんは、私がもらって喜ぶ顔がみたいんだもの。それだけがおばさんの幸せなんだもの。擦り切れたジャンバーを平気で今も着ているんだ。人にどう思われようと、自分を貫いているんだ。頑固なんだ。すごーく頑固なの。でもいじわるな性格でないから、あれはあれできっといいんだ。
実家のために、親類のために、そして私のために働いてきた人生だったね、おばさん。
今度の2月にこの店舗兼住宅のお店を引き上げて、実家の私の両親と一緒に住む予定だ。もう少ししたら、仕事もしなくていいよ。でも実家に行っても誰かのためにパーマをかけてあげるんだろうなあ。父親を戦争で亡くして貧乏して育った私のおばさん。苦労させたね。その苦労のおかげでわたしは今のほほんと暮らしているよ。ありがとうございます。

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風の時代の初日 ヒーリング 受けました

2020-12-24 14:05:34 | 日記
私が勝手に盛岡のお師匠様の教室を卒業(中退かな)させてもらいましたが、お師匠様のそのまたお師匠様が、盛岡に来られるのを幸いに、ヒーリングを受けさせていただくこととなった、2020年12月22日。

風の時代に突入の日、私のモヤモヤが吹っ飛びました。あ、そうか、「風」だもんね。

私の足から頭部にかけて、天界のエネルギーを入れてもらうのですが、ハートチャクラの場所から、エネルギーが滞って、上に上がってくれないのでした。

大お師匠様は、「ハートチャクラが、ダウンロードできなくて、その場でクルクルと、エラーを起こしているような状態だよ!。旦那さんと、折り合い、交流が、すれ違いになっているよ。」

そこで、私の悩みを言いました。「仕事をやめたいのですが・・・・・・。」とね。

大お師匠様「あなたがね、財布が二つあることが、良いことだと、思っているでしょう。財布は一つにして、旦那さんの仕事を助けたらよいですよ。あなたが今の仕事で疲れて帰ってきて、旦那さんは、あなたに申し訳ないなあという気持ちがある。あなたが明るい顔で、いてくれないことが、旦那さんには負担になっている。」

そうなんですよ。夫を私は幸せにしたいようなきでいたのですが、いつも、雲がかかっている顔なのです。私に遠慮しているんですね。

私の中の答えを、大お師匠様が、ズバズバと、さらりさらりと、あれこれ言われました。たぶん無意識でいろいろと私に言ってくれたのでしょうが、私が日常気になっていたことを、沢山、アンサー的に、私に言ってくれてました。

私が納得し、答えを出したら、やっとハートチャクラからエネルギーが上に上がってくれたらしい。二回くらいは、幽体離脱しそうになっておりましたよ、私。チャクラは第10チャクラまではあるね。第8のチャクラがあるなら、令和を生きられるよ。だから大丈夫だね。本当は第13までないといけないんだけどね。

とのこと。第13までのチャクラは、地球のチャクラだ。第13まであるなら地球とエネルギーを、共鳴できるかもね。

第13まで、先ずは頑張ろう。今日、会社を辞めることを支店長にメールしました。私は自由に楽しく意義あることをして風の時代を生きるわ。

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未来をつくるのは

2020-12-20 23:18:00 | 私の一押しコーナー
未だ、夢のような出来事であったかのような、奉納舞イベントが終わって数日。
たぶん亜由美さんのいっていた、今と、過去、そして未来、という言葉が、頭に残っていたのだろう

夢をみたのだ

A4サイズの白紙のかみに、簡単ながら、大きな目、大きな鼻。大きな口の顔が鉛筆のようなもので書かれていた

その顔はスサノオ様の顔だ、と、私が言っている

そしてその紙を手に取る私が、クルリと後ろを夫は振り向き、こう言った

ほら、この絵はスサノオだよ、
未来を創るのがスサノオだ
貴方が未来を創るのだよ

そう言った私の目の前には、貴方、と、言った私の夫がいた

小さなスサノオかもしれないな
夫は



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義経ゆかりの判官神社別当

2020-12-12 00:40:00 | 歴史の泉

宮古市箱石の、判官神社の、別当家には、義経が北に旅立つまえ、自分の仏像を、別当家に置いていった。
自分の旅の無事を祈願するよう言い渡して旅だったのだ。

奉納の、前日に、奉納一団で、判官神社別当家に訪問し、仏像群と、対面した。静御前歴史保存会会長は、

近くにいくと、
仏像に、
おいでおいで、って、言われるよ。
すごいパワーだ。
本物だ。

と、感想をのべた。
そして、仏像から、感じ取ったのが、

悲しい

であった。

義経が、兄頼朝に、理解してもらえなかったという、悲しみを、仏像から、感じ取ったらしい。

コメント (2)
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シャーマンのコメント 頂きましたっ

2020-12-11 23:23:00 | 歴史の泉
アマラ京子  岩手県花巻市大迫の太陽舎

偉大なるシャーマン アマラ京子様の、フェイスブックのコメントです

鈴ケ神社奉納舞に対してのフェイスブックコメント
⬇︎⬇︎⬇︎

ソウルシスターのあゆみが群馬から来てくれ、岩手の宮古、鈴ヶ神社にて、静御前を踊ってくれた。

一度も会ったことのないあゆみを、岩手の人たちが心から迎え、大切に大切に数日間おもてなししているのを見て、改めてこの土地の愛の深さを思った。

弘前から駆けつけてきてくれたぶん太さんの笛の音が山に響き、過去と現在が交差して、その場にいたみんなから涙が溢れた。

古の約束で、私たちはここに集結した。
まさに奇跡の奉納だった。

私が体験した静御前の御霊は瀬織津姫であり、自然界であり宇宙であり…、力強い力強い女性だった。
奉納したすぐ後に撮った写真(一枚目の写真)、あゆみと私のちょうど頭上に大きなたまゆらとなり、静御前が微笑んでいるように見える。




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鈴ケ神社 境内 奉納舞 配信

2020-12-11 12:29:12 | 歴史の泉
鈴ケ神社 の、御神体である静御前の御霊分け

フラメンコダンサー 宮崎亜由美

花巻市大迫 太陽舎のシャーマン アマラ京子

横笛演奏者 佐藤ぶん太

以上三名での、奉納舞が、完結した。
コロナ渦だからこその、お祓いだ。

奉納舞の数日後、私は夢を見たのだ。初めは面白いことに、お賽銭箱の中のお金だろうと思う。ご錢が見えていた。
それから、鈴ヶ神社の境内が見えてきた。神社正面から向かって右手の柱の脇に、赤色の透き通った漢字の、細い線、細い光の柱?のようなものが見えていた。
そして境内の端っこに、腰よりも長い髪の人で、上の衣装は真っ白で下は真赤な色をした、白拍子の恰好をして、後ろ姿で、誰かが立っていた。

 そして、場面変わり、私の同地区実家の庭に、私が立っていた。目の前の山の上の方だけ、真っ白い雪が乗っかっていて、思わず私が言った。
「あの、白く凍っている部分が、静御前が歩いて、ここまで来た道だよ」と。


過去、の静 現在の 宮崎亜由美、境内で確かに一体であった。ここから先、未来が大きく広がるだろう

コロナの不安はしないほうがいい。ハートチャクラを満開にしたら大丈夫。
結局は「愛」ってことの単純な話だ。
そうそう、うれしいことに、亜由美さんが、静御前歴史保存会の会員(一般)になってくれました。ご縁を大事にしていきたいと思います。
全国の静御前のファンの方、随時募集でございます♡


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鈴ヶ神社 奉納舞い

2020-12-08 21:35:00 | 歴史の泉
神社看板上に丸くオーブみたいなのがうつっているようなきがするけれど?
自然霊かしらね

鈴ケ神社奉納舞
フラメンコダンサー 宮崎亜由美
太陽舎 シャーマン アマラ京子
横笛演奏者 佐藤ぶん太

2020年12月5日

私が神社の鍵やら、酒やら、準備不足で、時間を押してしまった。
相変わらず、ドジ子で申し訳ないわ。

義経と静、二人
とてもハートの熱い二人が出会い、そして結ばれた

これは紛れもない事実だ

静は、とても幸せだったのだ

亜由美さんが言った。

今と、過去は、私と京子で、演じられる
未来、も、演じる必要があったから、ぶん太さんに、声をかけたのだ、と

   鈴ケ神社の神様に、私が応えようと企画した、と、思っていた

違う

本当は、私のために奉納舞いの企画を実現させてくれたんだ

有難う

静御前

私がかつて大好きだった高貴な女性

いいや

今でも大好きだ

ありがとうございます   静様

舞い姫を、静御前の御霊分けを私の前につかわせてくれた静御前

有難うございます

未だ胸が詰まる想いだ

ぶん太さんのくれた横笛のCDを聞くたびに
想いが、胸が、いっぱいになるよ

しばらくはほかの音楽は、聞きそうにないな


舞い姫、亜由美さんはいまは、自宅で自粛中だ
なにをしてるんだろうな

なぜか切ない

でもね、

静御前歴史保存会の会員に、なってくれたよ❤️

なんていい人❗️

奉納舞は、これで終わらないきがしてきたよ






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舞い姫 宮崎亜由美が奉納舞に現地へ

2020-12-08 07:11:00 | 歴史の泉
岩手県宮古市鈴久名には、静御前を祀る神社がある。

静御前とは、鎌倉幕府を成立させ武家社会を築いた源頼朝の腹違いの弟、絶世の美女の子、源義経の妻である。

白拍子の舞いの名手である静御前は、自分の御霊分け、フラメンコダンサーの宮崎亜由美をここにつかわせた。

2020年12月4日

奉納舞前日

舞い姫と、そして、友情出演の太陽舎のアマラ京子夫妻も同行して、神社をお参りした。

京子さんは、神社の右手の柱に触り、上の声を聴いてくれた。

    うん。
    よろこんでるよ
    よくつどいましたね
    

 



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2020/12/04

2020-12-04 06:44:00 | 猫の生活
うちの猫の、動画つくりました
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