さてさて、こちら 人呼んで 伊達虎之助 と申します
何を隠そう、片目であります
出会ったのは2年前。中学1年であった当時の次女が、学校の帰り道
どこからともなく近づいてきた虎猫がおりました。
体が小さくて、片方の目がつぶれているかのようにへこんで真っ白で見えないようです
もう片方の目も白く濁っていて、白内障の進行がだいぶ進行していたようです。
生徒たちはみな気持ち悪いって言って近寄りませんでした。そばにいた先生も「病気が移るから触らないように」と言ったそうです。
ですが次女と仲良しの友達の二人だけは、かわいい といってなでてあげたそうです。
帰宅後、
「小さい猫が学校の近くにいたんだよ。野良猫らしいけど人懐っこいんだよ」
と次女がいいました
「子猫だったらかわいそうだからさがして連れてきて、飼い主をさがしてあげようか」
私がこう言ったので、次女と長女が喜んで虎猫を探しに行きました。ですが見当たらなかったようでした。
翌日の帰り、次女の帰宅を待っていたかのように、あの虎猫が近づいてきたのです。
やっとの思いをして徒歩で40分かかる道を歩いて連れてきました。
見てびっくり。子猫なら飼い主が見つかるかも・・・・
は、すぐに消えました。
まるでまるで痛々しいだけの姿でしかありませんでした。私は直視するのができないくらい不憫な姿でした。
やせ細った老人猫でした。そして左目はつぶれているかのように小さくなってしまって、へこんだ目
右の目も白く濁っているほうの面積が多いほどで、すぐに両目が見えなくなるのではと思われました。
ガリガリの、やせ細った体で目がまるで痛痛そうな様子の、そんな猫を3女が、懐かれて、かわいいって言って抱っこしています。
まるで甘えてくる虎猫でした。
先住猫の黒猫のクウは、近づこうとしません。ですが喧嘩をするわけでもありませんでした。
ですが、丸は、私たちがいない留守のときは、虎と喧嘩していたようです。帰宅すると抜けた猫の毛がたくさんあるのです。
なのに丸は、私たちの前では仲良くしているんです。
そう、片目だから伊達政宗と虎猫をあわせて、伊達虎之介と名付けました。すごいでしょ。名前負け状態ですが。
丸とも仲良くなって半年以上が過ぎた3月。丸の事故からわずか2か月足らずのとき、突然家からいなくなりました。
うちにきた時点で、だいぶ老人の猫だったのです。なので死に場所を求めて外にでていって帰らぬ猫になってしまったのか、
と、今では思います。いつ戻ってくるんだろうって、しばらくは思いましたが、ご近所を探して回りましたが、やはりみつかりません。
うちに来たのはいいけど、(本当は大変だけど)布団におしっこやらうんちまでしてしまう猫で、たいそう、たいそう私は叱ってばかりでした。
やっと気の合う砂トイレとであい、だいぶ そそう事件はすくなくなったものの、人がいなかったりして寂しいとその辺にそそうをするようでした。
布団の洗濯も何度となくやりました。もう、切れかかっていたりしてね。それでもふだんは私もかわいがっていたのですよ、ですが、虎は私がいつも、白内障の点眼液を、両方の目に私がやるものだから、あまり好きでいてくれていませんでしたね。それでも根気よく一か月も点眼液を続けていたら、左目の潰れかかったような眼球がふっくらと膨らんだのです。そして真っ白だった眼球に血管がういて血が流れているようでした。わずかに見えていた右の目の白い部分もある一定のところまで縮小してきてくれていました。真っ白だった色も薄くなったように感じました。なので両目が失明することはないだろう。と思って安堵したものです。そうそう、時々距離感がつかめないのと、筋力が衰えているから、みやまってジャンプを失敗して落っこちていましたね。おじいちゃんだから無理するなっていうとね、拗ねるんだけどね。
伊達と相性の悪いクウが、長女を にゃあにゃあと必死に呼ぶのだそうです。
長女が不審がって、外にでたら、今にも負けてしまうとわかる猫と、喧嘩しそうになっている伊達さんがいたらしいので、すぐに捕まえて連れて帰ってきたそうな。
クウも、一応私たちが大事にしている猫だと認識して、危険を伝えてくれたんだとわかりました。
それにしても、2か月足らずの間に、いつも間にか一時3匹いた猫が、クウさんだけになり、なんだか、とってもね、生活自体は私は楽になりました。寂しさと一緒に。