うつらうつらと明け方に、半分意識があるような、無いような状態でいたときの、姉の夢
女性が姉の所にいらしたらしい
ブルーのドレスを着ていて、スミレですと、おっしゃいました
そして
私が貴方をサポートします
と、おっしゃいました
そのお顔は、真矢みきさんに似ていたらしいのです
真矢みきさんと言えば、元宝塚の女優さんですが、
昔、母クニ子が、テレビをみていたとき、CMで真矢みきさんがテレビに映りました
すると、
後ろから声がして、
この人が、私だ
という声をきいたそうです
姉の所に夢にでてきた女性は、スミレですと言ったようです。ドレス👗のことなのか、名前なのかは、姉も???でした
私の実姉が、小学校5年生前後だったと思う。近所の先輩女子と、二人で鈴久名の山に入った。そして昔の時代の県道である山の峰づたいに、早池峰山方面に向かったようだ。幼い少女二人の目的は、単に暇つぶしの散歩程度のことである。
おそらく1時間か2時間も山道を進んだころだろう、深い森に入ってしまった。そこでやっと、道に迷ったと知る二人だった。焦った二人は、とにかく今いる山の上から、下に降りよう、ということになり、道なき道を下へ下へ降りて行った。
すると、狭いながらも道路に出たのだ。その道路が、榊原街道。岩手県花巻市大迫と、旧川井村鈴久名へ続く道路である。この道路は早池峰山を横断する道路でもある。車のない時代の人々の往来に利用していた国道なのだ。現在は大規模林道として広く立派な道路ができているが、姉が迷った当時はアスファルトの道路ではなかったのだ。
ともかくも人の往来していそうな道路にやっと出た二人が見た景色がこれたった。
霊峰早池峰山の剣が峰だ。見事な三角山だった。
姉が幼いとき道に迷ってみた景色
それから大人になって、夢を見た
一人の女性が六部姿の旅人の恰好をして、遠くに見える剣が峰の山を眺めていたのだ
姉は思った。そうか静御前は榊原街道という、自分が迷ってしまったあの道路を歩いて、鈴久名にきたのだと。
横道廣吉さんが書いた早池峰絶唱は女心に視点をおいた本であり、女性静を描き切った本である。
岩手の源氏史の本の表紙には、この剣が峰、早池峰の山をバックにしてご神体である静御前の姿と、烏帽子姿の判官神社の木彫りの義経像がある
私の本の表紙が実は鈴ヶ神社のご神体の写真なので、エネルギーに敏感な方は、本の表紙からパワーを感じられているようだ
私が懇意にしているヒーラーさんがおられるのだか、鈴ヶ神社の神様と同じような、似たようなエネルギーをお持ちであり、きっと性格も似ているのだと思う。
世でいう静御前は、気の強い女性で通っているようだが、実際の静はとても女性的で穏やかで、優しい方だと思います
岩手の源氏史は歴史の一部を切り取った本ですので、歴史は実は真実というのはあるようでないような、空気のような存在だ。なので言い訳ではないが、沢山事実と違うことも書いているのだと思います。しかしながら、これは真実、という案件もいくらかあると思っています。だからこそ書き上げることができて、本にできたのだと思っています。
ある方が、本を開いたら、髪が逆立ったと言って、わざわざ電話をくれた方がいました。この方は本物と出会うと髪が逆立つらしいのです。なので読む前から興奮してしまったようですが、読んでみて、これは確かだ、と腑に落ちるような内容があったようで、なんだか私はホッとしました。今のうちに書いて、後世に残さないと忘れ去られてしまうと思って、書いたものですが、感動してくださる方が一人でもいてくれるだけで、本当に良かったと思います。
本を出版するまでは会社勤めでしたから、夕方帰宅して家族4人分の夕飯準備と家事全般をすませ、夜にパソコンに向かって原稿を書いていました。夫はきっと、夫のお世話をしない妻に不満だったことでしょう。口にはだしませんでしたが、そうだったと思います。でも自分を信じて、自分の使命を全う?しましたから満足です。おかげ様でした。姉の小学生時代の、うっかりものの性格で、剣が峰の存在を知った私は、おかげで本が書けたのです。
人生、一寸先は闇、だとよくいいますが、
これは間違いですね
闇だと思い込んでいるだけです
皆、光を持っています
人は光なのですね
光(自分)の進む先に、また光あり
真っ暗闇のなかでも、周囲をよーく見渡してみて
真っ暗だとおもっていたのに、ずうっと先に、遠くに
数ミリほどの点、
数ミリほどの光 絶対に見つけられます
あの小さい小さい光に向かって
すでに道はあると
私は知りました
過日、所要のため太陽舎に出向いたのですが、久しぶりの京子さんとニキさんとの談話はとても貴重な話がでていたので、とりあえず動画で撮影してきました。
YouTube配信しましたので、よかったらお立ち寄りくださいませ。
写真には京子を守るんだ、と熱い心を持った、京子さんの愛犬岳です。おとなしくて、人懐っこくて、アイドルになっているようです。
京子さんの愛が大きいから岳のような子が太陽舎に来たんだろな、と感じています。
太陽舎のアマラ京子さんは、シャーマン
パワーアニマルセッションは、インディアンの教えであり、伝承である。
人は、生まれるとき、自分とにかよっ魂の片割れを呼び戻す儀式
この世に人が生まれ出でるとき、一緒に来たはずの、パワーアニマルは、人が成長するに伴い、3歳ころにはパワーアニマルは、その人から離れていってしまうという。
一度離れたパワーアニマルを、シャーマンアマラ京子さんが、呼び戻してくれて、セッションそれた人は、数年ぶりに、パワーアニマルと一体化するのだ
でも、普段から、自分の中に居てくれるパワーアニマルと対話していないと、パワーアニマルは、無視された気持ちになって、再び離れてしまい、二度と戻らないのだという
今日は、嬉しいことに、夫の長男さんが、セッションを受けることになっていた
金魚のふんのように私も同行させてもらった
太陽舎は、不思議なところ
主のアマラ京子さんも不思議でいて、普通でいて、そして面白い
ストレートな女性
今日は私のお知り合いが、ぜひ受けたいということで、太陽舎にきた
京子さんが大好きなラブラドールの岳がお出迎えしてくれた
なぜか夫を慕っている岳だ
お知り合いは、順調にセッションを終えた
終えたあとの顔が、キラキラしていた
何か吹っ切れたかのようでいて、そして、威風堂々としていた
インディアンからしたら、日本人が、ブレブレなのは、当然だという
パワーアニマルが離れていってしまっているから人生に自信もなく迷いも生じやすいのだという
でもいままた、パワーアニマルと一体になった日本人がここに誕生した
大地のエネルギーを感じ、自然と共存していく人間が岩手で使命を果たしていくのだろう
東京に就職した娘と、8歳の猫との共同生活は、どうやら順調らしい
ま、
働いて一ヶ月も経過してませんが
でも、多分、大丈夫な気がしてる👌🙆♀️
私が昔、就職に岩手から東京に来た時は、本当につらくて、三ヶ月だった頃には、本当に辛かったな
親とも、友達とも、連絡できないまま、ただただ、就職先の仕事や寮生活に馴染むよう努力するのに必死でありました
そんな時代は終わったようだね
夢を持って生きていける時代だね
動物好きが、功を奏してペットと同居しながら、ペットショップで働いている娘
私の知らない時代を生きている若者たち
背中にしまってある羽を、パサッと広げたらいいよ、若者たちよ
君らの幸せをたくさん見せてもらいたいわ
宮古市民劇の舞台
さらば義経の舞台がおわるやいなや、最終公演のあった翌日、1日かけて、客観的感想文をまとめあげ、岩手県新聞である、岩手日報論壇に投稿した。
数日したら、さらば義経の舞台で主役をされた方が、私の書いた記事が、日報論壇に掲載されています、と、連絡をくださりました。
喜んでもくださったようで、何よりでした。
義経は平泉で死なず
地元の宮古市に残る歴史を忠実に再現して見せてくれた、さらば義経舞台に、私からのせめてもの花向けでありました。あくまで、一観客の目線で書きました。
事実の歴史に千人近い人が触れてくれた2日間の舞台でした。
鈴ケ神社の神様や周辺の神様たちが、動いたであろう舞台。
平和であればこそ実現した舞台
真実の扉が開かれた舞台
希望の舞台
たくさんの方が会場で感動してくださった舞台
理由もなく涙が流れて仕方なかった舞台
携われたことに感謝した舞台でした
思い切ってマルシェルでお店を開こうかと思います。
一つ一つ販売品をふやしていこうかと思います。
御朱印帳の袋を制作中なので、しばらくしたら、ゆるふわ波動の御朱印袋が、提供できるかと思います。
今は鈴ヶ神社のエネルギーも加わった世界に一つのフラーレンを、マルシェルに掲載していこうかと思います。
また、体調が不安な方には、ドクター中松氏考案のトウェンティー茶もご用意しております。
私への口コミ内容は、ポリープができなくなった、便通が良くなった、体力が戻った、等のお話を聞いております。あくまで個人差がありますので、ご承知おきの上ご購入いただければと思います。
お茶の成分20種類入っていて、絶妙なバランスのようで、体の不調を良い方向へ整えてくれるようです。
LEGEND&BUTTERFLY
織田信長&濃姫(胡蝶)の映画が、来年公開予定らしい。
濃姫はどうやら私の過去世らしいから、なんだかこの映画は私向けに制作でもしたのかしら、と思ってしまう、なんとも大胆かつうぬぼれの強い私である。
濃姫の父が、道三という男で、一癖も二癖もある人物であるようだ。この道三が今の私の父親にそっくりなきがしている。
父親と私はどうも気が合わなくて、しょっちゅう喧嘩していたわけです。はい、私が幼いからなのですが、父もわがままなので、どっこいどっこい?なのかしら。
私は親にもぶたれたことがないのに、
親にぶたれたこともない私が、父親をぶちましたからね。
父親の頭を叩きました。なんとも親不孝な娘であります。その時父親はというと、私を見るなり、家を出ていってしばらくして静かになって帰ってきました。この時だけは私が勝って、父親が負けたのです。勝つか負けるかの世界でありました。次元の低い話であります。
そういえば、織田信長はうつけものといわれ、馬鹿な人だとはじめは言われていたようですね。でも馬鹿なひとだと言われても平気な人物だっだということでしょう。人になにを言われようと、自分を曲げることをしない、頑固な部分でもあったろうと思います。よくいえば、自分をもっている、芯の強い人物だったのだろうと思います。
いづれにしろ、今は平和な時代ですね。今の世の中に不満を持つのは、なんだかご先祖に申し訳ないきがします。命がけで戦国時代を築き、大東亜戦争の時代を経て、今の世を築いてくれた幾多の先代の方々に、感謝しながら今日という日を大事に大切に生きたいですね。
不満を持つことがたくさん転がっているから、持つなというはなしではなくね、不満よりも感謝のほうが常に多いならきっと楽しんで生きられる気がしますね。娯楽がたくさんあるから恵まれた時代だと気づきにくいのかもしれませんが、感謝できる何かに、沢山気づけるように頑張ろうかな。
なぜか毎日、戦さにでもでかけるのかしら?と思わせる夫の身支度の様子を見ては、今は仕事に出かけて、失敗しても首を取られない(殺されない)から安心して見送れるわ。ありがたいことだわ。といつも思う。
濃姫時代は、戦に出てばかりの、夫の身を案じるしないわけで、それが実につらいことだったわけですね。
ほんに、今は良き時代よ。
静御前様を祀る鈴ケ神社情報
今日、姉が参拝したようで、鈴ケ神社の動画がおくられてきました。
動画には白い丸が沢山うごいていました。
どうやら精霊たちのようですが、まだ若い?らしく静御前様にお仕えするため、頑張っているようです
そして、下の写真の屋根付近に、白く影がありますが、こちらは、龍神様のようです
お仕事をされていて、報告にきたのかな?
お勤め本当に有難うございます
昨日の盛岡の夕方の雲です。
予報では、大雨注意報がでていました。
予報ははずれたのか、大した雨は降らないで、翌朝を迎えています。
写真では伝えきれなくて申し訳ないのですが、
高い方の雲が、パステルカラーの絵のような雲で、あまりに綺麗なので、写真を撮りまくりました。
入道雲だ、なんて、夫には言われましたが、いいえ、人生初めて見た、雲っぽくない雲でした。
もくもく。ふわふわ、な雲でなく、ラインがくっきりしていて、真っ白で、そこに所々、夕日が当たっていてとっても、とっても綺麗でした。
私と一緒に居た姉も、大興奮しながら、凄い、凄い!と、写真をとってました。
盛岡でほかにもこの雲に気づいた方が居たらいいなあ
変な話なので信じなくて良い話し
今年の3月か、4月頃のことです。
訳あって、夫のスペアキーを、持ち出して、夫の車を少しだけ、運転したのです。
ほんの、数分、運転して車は元に戻しました。
そのあと、近くのスーパーに寄って買い物をしたのですが、スペアキーのストラップを、首にかけて、失くさないようにして買い物をすませました。
それから、自宅について、スペアキーを柱にもどしたら、
ストラップに、夫の車の、スペアキーが無いのです。
どこかに落としたかとおもって、探しもしましたが、六月になっても、見つからないでいました。
ときどき、柱の鍵に下げているストラップを見ては、スペアキーが、いったいどこにいったかなあ、困ったな
と、
思い悩んでいました
そして、今月の6月の初め、夫に、車を借りる必要があったので、
夫に、
車を貸してね
と、伝えて、夫の了解を得たので、普段通り、柱にかけてえる、ストラップにつけてある、スペアキーを持ち出して、2回ほど、車を借りて走りました。
娘の東京への引越しのときも、車を借りたのです。
娘の引越しをおえて、東京から夫の車で帰ったら、
夫が私にいいました
スペアキーは、いつでてきたんだい??
私 えっ???
あれ??
いつのまにか、無くなっていたスペアキーが、元に戻っていて、それを私がつかっていたのでした!
どこのパラレルに鍵が🔑隠れていたんだか
夫の携帯も、拗ねられて、しばらく無かったことごあります。
夫が、いい加減出てこい!!
と、携帯に怒ったら、何回も、無いのを確認していた車の足元に、ちょこんと、あったのです。
私も、さっきまで使っていた通帳が、目の前に見えなくなったので、
あ、
探しても無駄だとあきらめて、その晩は眠りにつきました
翌朝、
座布団を、めくってみましたら、案の定、座布団の、ど真ん中の真下に、通帳があったのです。
夫の持っている、物、車、は、なんといいましょうか、魂が入ってしまうようで、妻の私はときどき手を焼くのです
一回、夫にキレて、言ったことがありました
あのね!私が借りたいときもあるから、あなたがちゃんと、私に貸すことを、車なり、物に言って、理解させといてちょうだい!
夫婦になった以上、私にも少しは、夫の、物を、触る権利はあるはず!
と思って、今は、堂々と夫のバックや、本を、少し移動したりはしています
一緒に住み初めた当初は、本当に夫の、物、に、触らなくていました
なぜかはわかりませんが、
触ってほしく無いオーラが、半端ないのです
夫のいないときは、私と夫の物との、へんな攻防戦がありましたが、最近は、私にも、物、は、優しくなってくれた気がしてます。
あ、
でも、
スペアキーは拒否られたばかりですけど