愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

気ままに詩人

2015-03-26 08:15:24 | 日記
      蒼  月

誰も知るまい お前以外
誰も聞くまいお前以外 
泥濘(ぬかるみ)のこの地に
畢生(ひっせい)の生(なま)脚(あし)を立て
全てが腐蝕(ふしょく)し末(す)枯(か)れるまで
 

したが蒼月よ
なぜに私を呼び覚ます                                     
燻(くすぶ)る闇に身を投げて
話す口など捨てたのに
言葉は要らぬと喋りかける
淪落(りんらく)せんとするこの躯(むくろ)に                            
差し出すその手の
忌(いま)まわしきを払いのけ
無様な過去の産物が
戯言(ざれごと)だけを携(たずさ)えて
肢体(したい)は絡(から)み 打ち震えん


事実を糊塗(こと)し 無骨をそしり
欺瞞(ぎまん)と偽りに終止して
侮(あなど)るのは 烏合の者ども
無情に照らす蒼月の
創りだしたるお前の醜態
汝の吐いたそのヘドに
むさぼり喰らう                                
あつかましきは
生へのしがらみ
異物が喉を通るとき
日々の恥辱(ちじょく)が溢れ出ださん
全てを覆ったその時に                          
腐臭が鼻につくであろう                              


誰も知るまい
泥濘(ぬかるみ)の地に
苦界の礎 築かんとき
わずかに差し込む蒼(そう)光(こう)に
脅えた己を曝(さら)け出し
己の脚は屹立(きつりつ)し
不動の炎(ほむら)で 我
真実の矢を放たんとす  
                       
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誰?

2015-03-19 21:04:20 | 猫の生活




ピンクのハウスの中に、しろが 入っています。

かわいいから顔をつっこんで、白を見ているらしい。

・・・大丈夫か?私の娘!
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挙動不審 あずき編

2015-03-19 20:52:32 | 猫の生活








冬ごもり用の、窓のプチプチシートを剥がされ、そしてその向こうに一体何が?

それにしても、あずきのお腹が、まんまるになったよ。

太りすぎてきました。

うんどぶそくかしら。

ちょっと対策を練らないといけないかもです。
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いつも一緒

2015-03-16 19:00:00 | 猫の生活




食べるときも一緒。

  寝る時も一緒。

    でも、白だけ時々脱走。
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流水を求めて

2015-03-16 11:01:38 | 猫の生活






もう、必死よね。2匹ともトイレのタンクに流れる水が大好き。

なぜかこの水を飲もうと必死なわけね。

水ならお椀にちゃんといれてあるのにね。
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あれから1年 

2015-03-16 10:37:01 | 猫の生活




あれから1年が過ぎました。

白黒の猫が丸。2月が丸の命日でした。

クウ(黒猫)が先住猫で、4、5年はクウだけのお城だったのに、いきなり丸が我が家にやってきたから、クウがすねて、家族にまったく甘えなくなったの。
そして餌食べたらすぐに外に出ていくしまつ。丸が近づいても逃げ回る、逃げ回る。でも3、4か月たったころから徐々にクウが慣れてくれて、家族に甘えるようにもなり、ピタッと長女に貢物がなくなっていたのも、再開され、奇跡の丸とのツーショットとなったわけです。やっとなじんでくれて、我が家は安泰だったんだけどね。

丸に事故で死なれて、ショックだったわ。でも、丸の事故がきっかけで、2匹の、しろと小豆が我が家に来たね。
そしてご近所の方が、「丸ちゃんが、最近来ないから会いに来ました」って、突然やってきてくださったのね。

丸が時々外に出ていた時、ご近所の家に遊びにいっていて、かわいがってくれていたらしいの。
でも1か月くらい見えないから、寂しくて、飼い主の私のところに、勇気を振り絞って訪問してくれたらしいのね。

亡くなってしまったのといったら、写真があったらほしいといわれ、あげたのね。今その方と時々お茶しながら、丸の話題に花をさかせちゃってる。

丸はどう思っているんだろうね。

天国で元気に走り回っていてよ。ちゃんと元気でいてよ。寂しいけどね、元気でいるなら許すよ。
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天上界から

2015-03-15 08:46:20 | 猫の生活


猫って絶対にプライドが高いわよね。

生後3か月くらいして、はじめにあずきを引き取ったのです。

きてそうそう、私と次女との一緒のベットで、あずきと寝ていたの。

普段もゲージにいれることないから、すぐに懐いて、甘えん坊さんになっちゃった。


白はそれから1か月後くらい、後からうちに来たの。兄弟だったけど、一か月の間、離れていたの。

そうしたら、白があずきから逃げるわけ。「ピー」って鳴いて逃げるのね。

あずきは、とびかかって、じゃれようとして追いかける、追いかける。

白は逃げる逃げる。

でもそれも翌日には、解消されて、二匹で仲良く遊べていたの。

でも白は、抱き上げると「ウー」って唸るのね。

抱っこされるのが嫌いだったの。ゲージによく入っていたからだとおもうの。

で、「ウー」って唸るのを、無視して抱っこしてなでなでする毎日を過ごしたの。

そうしたら、数日後には唸らなくなって、白まで甘えん坊さんよ。

しかも嫉妬深いわね。あずきをかわいがっていると、しろが邪魔するのね。

でも私が小豆をかわいがっていても、嫉妬しないのよ、白ったら。若い娘のほうがお気に入りらしいから・・・・。

選ばれていない私っていったい・・・・。
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リュックでおでかけ?

2015-03-15 08:36:25 | 猫の生活


白 リュックにて
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色違い

2015-03-14 17:42:53 | 猫の生活




甥っ子がきて、しろ(オス)とあずき(メス)を見比べて

「色違いだ」

ですって(*^▽^*)

二匹の鼻が黒と、白だかららしい。

白い鼻のほうが、しろ(オス)

黒い鼻のほうが、あずき(メス)

わかりやすくてよいわね。

にしても、ちょっと単純なネーミングだったかしら。

それに比べて



伊達寅之助と名付けた、先代の寅猫の名前は実に見事であったな。
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猫ハウスにて

2015-03-14 17:39:39 | 猫の生活


猫ハウスにて
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猫ケーキの出来上がり

2015-03-14 17:30:02 | 猫の生活




1月と2月の誕生日の子供と、そして私の友人、3人で誕生会をした時のケーキの空き箱。

楽しそうでなにより。
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1000字コラム3 「新成人」

2015-03-13 22:11:18 | 勝手にコラム

5月中ごろに携帯電話で見たニュース。2040年の日本人の成人女性の人口が、現在の半分以下になる見込みだというのだ。それもそうだろう、2050年には日本の人口が1億人を切り人口の4分の1が減少する。次世紀からは単に少子高齢化の不安どころか、日本民族の存続が危ぶまれていくことだろう。経済状況が良い方向に向かってきているとは聞くものの、会社運営側が徐々に困り始めているのが、働き手の不足だ。ましてや、2000年生まれの現在中学2年生の子ども達が、いざ社会人となったとき、格段に不足しているに違いない。お役所では男女共同参画を前面に押し出しているが、確かに日本は他の先進国に比べ、それは低い数値である。が、それも民族性とまではいかないが、適材適所であるなら、女性が多い少ないというだけで、職場の善し悪しの判断をされるものではないだろう。今後加速される働き手不足は、否が応でも女性を働き手として、社会の歯車に組み込むことだろう。それによって婚期が遅くなるか、或いは自立する女性が増加していくことに繋がり、まさに日本民族の存亡にかかわってくるかもしれない。
 話は変わって、最近の会社の新入社員への対応が昨今変わってきているらしいのだ。会社がせっかく新人を入れたはいいが、上司や先輩が一度叱っただけで新人が辞めてしまう。なので、注意を促すやり方で、退社させないように対応しているというのだ。このような現象に対して強く反応するのは、バブル時代を経験した人たちだ。すぐに辞めてしまい、叱られ慣れていない新人などもってのほかと。だが、はたして叱る行為そのものを肯定してきた自分達こそに欠陥があったから今に至るのではとも考えられる。いつの時代も、世相を表す一つの方法に、「今年の新人はこのような特徴がある」として話題になり非難されること多々ある。さもあらん新人たるものの心構えは、学生時代にある程度欲しいものだ。がしかしだ。社会とは新人だけで成り立つものでなし。新社会人が減少し始め、代わりの人間もすぐに見つかることが無くなっていくなら、会社として、上司として、新人にどう対応し、立派な社会人に成長させてくれるのか。また女性が家庭を持ちながら働きやすい職場としてどうあるのか。新人質よりも会社質が問われ始めていくことは決して悪いことではないだろう。私が20年以上も前に入社した会社はすでに叱らず育てる会社であったが、やっと社会もそこに気付き、成長しはじめていくのだろう。




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1000字コラム 2 「教育とディベート」

2015-03-13 19:39:27 | 勝手にコラム
教育とディベート

ディベートとは討論会のようなもので、ある公的なテーマに対し、肯定派と否定派グループに分けて、お互いの主張を言い合い、どちらが優勢かを競う討論会のようなものだ。昨今ではこれが、低年齢層の小学校にも取り入れられ、全国に普及しつつある。だがここに憂慮すべき点が潜んでいるように感じられる。言葉で相手の意見を論破する方法は、使い方によっては刃となるもの。小学生は中身を重視する前に、勝敗に特にこだわりを持ちたがる。これは一度良いと思い込んだら、結果が悪くても、最後まで正当性を貫こうとしがちで、洗脳を施す方法に有効だともいわれ、また排他的な優生学思考が助長されるきらいもある。まだ情緒不安定で野性的な攻撃性も残っているころに、いきなり相手を論破して、勝つことを身につけたらどうなるだろう。果たして絆(共存精神)は生まれるのだろうか。教育の目的は違うところにあるにしろ、結果として討論での勝敗で勝ったグループはいやがおうでも、優秀の美をかざり相手を平伏させ自己を満足させる。ディベートの達人とは、日常生活ではウィックにとび、自分の力を抑えることのできる人格の高い人であり、そこに到達するのは一握りにしか過ぎず、一握りの人材を育成するために、大多数が間違った手法を使うことで人生の舵とりを失敗してほしくはない。外国では英国や米国が古くからこれを導入し、国民は自己の主張を強く求められるように成長し、自他共に認める世界のリーダーとなった。社会においてはリーダー的な人間を誰もが求めてしまい、だた、それに叶う存在は数奇であり、それでこそ歴史は成り立ってきた。忘れもしない昨年の大震災のとき、店の前、配給の前に整然と並ぶ日本人は理性の塊のようであった。これは幼い頃から「和」を尊ぶ民族だからだろう。震災後しばらくして私は釜石市を訪れたとき、信号機が作動しない大きな較差点で、ドライバー達は、お互いの顔を見合わせながら、譲り合い右折や直進をしていた。いつもなら渋滞でクラクションの一つもありそうなものを、誰もそうしないのだ。このような姿は世界中が驚愕したのだから、私たちの当たり前の行動は、実は当たり前ではなかったらしい。周りの意見を深慮し、最後に補足する立場でもって、世界をどうか一つにまとめる役を、震災を乗り越えようとする日本に求めたいものだ。それは和を尊ぶ未来の日本の社会人にも託したい。
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1000字コラム 1  「エコ時代」

2015-03-12 16:25:22 | 勝手にコラム


今から20年も前、私が二十歳のころ。世はバブル時代。儲かれば儲かるだけ遊んでいたのは、何も人間だけではなかった。そう、政治も企業も浮き足立っていた、エコなど無縁の時代であった。そんな中、私はある企業の会長宅にいた。
 私は岩手の田舎から、東京に本社を構える会社の寮に住込みで働いていた。寮といってもそこは、岩手県では有数の優良会社の会長のお宅である。会長はすでに70歳を超え、その奥様も同じくである。会長のお宅は3階のビルで、1階と2階が会長夫妻宅。で、その上、3階が女子寮とあいなっていた。
 私の女性同期生は4人、それに先輩の3人が、この寮にいたわけだ。夕方5時に仕事を終えると、当番である私は一目散に会長宅に向かう。重たい玄関のドアを開け、まずは「ただ今帰りました」の一声を。ついで靴を脱いで玄関の脇に遠慮がちに並べ、いざ奥座敷手前廊下で正座。目の前のふすまを静かにスライドさせ、両手をついて、2度目の「ただ今帰りました」のご挨拶。追って一番奥からにこやかに会長と奥様が「おかえりなさい」と返してくれた。
 それから私は奥様と一緒に、会長と奥様のお夕飯の準備にかかる。女二人、ざっくばらんな話しもさせていただいたが、この奥様、結婚するまでは箸より重たいものは持ったことがないという噂?を先輩達から聞かされていた。服を着るにもお手伝いさんがやってくれたらしい。それが、うちの会長のお嫁さんになるや、手厳しく旦那様から教育されたようで、今日に至るまでのご苦労は察し余る。
 そう、元お嬢様もうちの会長の手にかかるや、倹約家へと移行し、早何十年。私たち女性社員にとっての、手厳しいお姑さんでもあった奥様である。もちろん私たちが掃除した後は、障子の桟を人差し指を滑らせて、埃をチェックするのは怠らない。「まだ埃があるわよ (ケラケラ笑)」の一言で、再度ハタキをかけることになる私たちであった。
 そんな奥様は台所でも、無駄の無い動きと無駄の無い物の使いかたをされた。私たちにはそれをマスターすることが花嫁修業であった。会長は私たちの今、ではなく未来のために、奥様を遣わされていた。台所に立てば、布巾掛けの棒の一つは、カットされたサランラップが掛けられている。使用済みのラップを、水洗いして再度、再再度使用するために干されているものだ。布巾を洗うには、水を溜めて洗った。スーパーのプラスチックの袋も、紙袋も包装紙も綺麗に畳んで、次回使用時まで備えた。
 だから会長のお宅は、外観は豪勢に見えるが、中はきちんと整頓され、無駄な贅沢品のようなものは一つも置かれていなかった。会長は自家用車を持たず、日曜日には自宅脇の言問橋を歩いて渡り、浅草にあるデパートで、わずかな買い物をしていた。着る物も高級品には程遠く、小奇麗にされている程度で、はたで見ると、ただのご近所の人のいいおじいちゃんである。会長のお給料は毎月会社の役員が封筒に入れて、直接会長に渡されていた。会長はそこから5万円を出して、お小遣いとして奥様の手に渡した。残りは会長のお小遣いと生活費。おそらく会社役員の半分の額にも満たない金額であったはずだ。会長は余分なお金はいらない、生活に困らない程度のお金で十分であるとおっしゃられた。
 堅実な仕事を私たちにさせ、会社が儲けたお金で、事業を拡大、あるいは資材につぎ込んだ。銀行への貸し借りは無しなので、利息の返済はない。社員は半強制的に貯金をさせられ、30歳前後の先輩の数人は預金額1千万を越えていた。会長がつぎ込んだのは人間教育だけであった。
 この会長の会社は現在も日本の産業に貢献されている。不景気な次代になぜ生き延びれたか、それは会長が好景気時代に、次期に必ず来るであろう不景気に備えていたからだ。備えあればこそ、無駄に人材を切らずにすむ。
 私のエコとはケチることだ。ケチケチした生活の中で、楽しみを見出している。私にとって、今さらと感じるエコフィーバーだが、今や政治も公然と叫ぶ時代になったことを心の片隅で一人安堵している。大事なのは自分たち人間が生かされているという自覚。生かしている地球に慈愛を感じることで、自然とエコし始めるのではないだろうか。
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誰の手?

2015-03-10 23:30:07 | 日記




誰の手?

はい 猫の手です
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