私の家はですね
昔でいうとめずらしくないでしょうが、本当にお金に不自由していましたから、俗にいう貧乏だったわけですが、それは今にして思うと、ということでして、子供時分はそれが当たり前のことで、不満は特にありませんでした
なぜなら親からのストレスはなかったので、貧乏も苦にならないのですね
私が高校生のとき、姉が東京に就職したのです。姉は宮古高校という進学校を卒業したのですが、先生は大学に行かせるように親に進めたのですが、なにせお金がない家なので就職させたのですね
姉が就職した年の初めてのクリスマスの日、姉がどうやって手配したのかはわかりませんが、姉が実家の私のいる家に、クリスマスのための、ホールのケーキを買ってくれたのです。
クリスマスのお祝い?もホールのケーキも、我が家では初めてのことでした。
私は給食についてきた、気持ちばかりのケーキしか知らなかったので、姉の買ってくれた丸いケーキはとても感動した覚えがあります
貧乏話はたくさんありますが、あの頃を思うと、そうか今もお金に不自由してはいるものの、ケーキを買ってきて、と言われたら、すぐに買えるくらいになっているよ、私
お店も近いから車もあるので、すぐに買いに行けるよ、私
幼稚園の頃はうちの母は、おかずなんか、買えないから、自分で作った納豆が白飯の上にあるのが私のお弁当だったんですね
蓋を開けると納豆が蓋についていていつもそれを取るのが一苦労の幼稚園児
親はやっとやっと作っているお弁当だったのだな
姉が高校の時は、姉は教室ではなく階段で弁当を食べている、とうちの母親が、誰かに言われたそうだ
母親はまともなお弁当をつくれていないから、姉が不自由していると知って枕を濡らしたんだよ、と、話していた
貧乏して子供より親のほうがつらいことを知っているよ
私も貧乏して子供を育てていたけれど、子どもに言っていたのは、貧乏をはずかしくないからね、馬鹿にするほうが恥ずかしいことなんだよね
といって育てた
そして人並みなことをできるだけ真似して育てた
なので、うちの子どもは貧乏を引け目に感じずに育った
引け目に感じさせないで育てるってのは実にコツがいるのですが、それをどうにかしてきましたから、子どもたちは、貧乏だったことを実感もしていないかも
引け目、ってのはその後の人生にも正確にも悪影響を及ぼすものなのでね
なので私の貧乏子育てはまあまあ、成功したとおもっています
こどもらにはあとは自分次第の人生を歩めているので、なんとなく私の親としての役目は終わりました
親に仕送りしたり、ということも私の代でおわりです。確実に生活は楽になりました
有難いとおもいながら新たな正月をむかえられそうです
今年は特にたくさんの方とつながりが持てました
これもまた与えられた祝福
そして私個人もたくさん学びました
なぜか一人七転八倒して、みずから苦しみの中をさまよいながら気づきを強制的に促しました
苦しいの連続の年でもあり学びの連続の年でもありました
今こたつでゆっくり、これを書いている自分
自分、頑張ったねえ、よくやったね、偉いね、さすがだね
誉めてつかわそう、自分