宮古市箱石の、判官神社の、別当家には、義経が北に旅立つまえ、自分の仏像を、別当家に置いていった。
自分の旅の無事を祈願するよう言い渡して旅だったのだ。
奉納の、前日に、奉納一団で、判官神社別当家に訪問し、仏像群と、対面した。静御前歴史保存会会長は、
近くにいくと、
仏像に、
おいでおいで、って、言われるよ。
すごいパワーだ。
本物だ。
と、感想をのべた。
そして、仏像から、感じ取ったのが、
悲しい
であった。
義経が、兄頼朝に、理解してもらえなかったという、悲しみを、仏像から、感じ取ったらしい。
頼朝に武力は皆無で、身一つの源氏という旗印しかないのを自覚してますから、後白河法皇に牛耳られては敵いません。
戦術家義経は政治的能力はなかったのでしょう。
頼朝は、義経に源氏の立場を噛んで含めることをしていないのは、歴史を知る後世の者からすると残念なことです。
コメントありがとうございます
後白河法皇は義経をかわいがり、頼朝は遠ざけていたように感じますね。