うちの3女が、専門学校を卒業したものの、就職は決まっていなかった。だから夫の仕事を手伝わせようかと思っていたら、いきなり「面接をしてくる」という。しかも、東京!
えっ?寝耳に水だわ。
面接に夜行バスで行って帰ってから、数日。面接はどうだったかを、恐る恐る娘に聞いた。すると
「面接官に、英語はできますか?といわれたから・・・・アッ、終わったな。と思った」
私「あっ、終わったな。それは、うん!仕方ない!お母さんも英語は無理だわ」
そう思っていた次の日、
娘「面接に行ったところからの電話で、採用させてもらいます、と言われた!!!もう足ががくがくよ!」
私「えー!」
娘ほどではないが私も驚きました。
入社は6月のようで、それまでに仮免どまりの車の免許を取らねば!と、やっと免許に本気モード。
人様のお役に立てれることが、仕事というもの。お役立てくださりまして、誠誠、本当にありがたい。
小さいときから少し変わった子で、病院に連れて行っていたら、きっと薬を処方されたと思う。でも私の中では薬で脳を調整するのは抵抗があったので、私の手立て、が薬替わりであればよいとして、育児方法で対処した。
この子を通じてたくさん学んだ。この子がいたから私も頑張れたから、不登校になってから、やっと高校に入った後は、元気に通ってほしかった。でも数日でダウンして学校を休んでしまっていた。
暗くなって、部屋にいる娘をみて、とても残念に思って、本当に残念で言うだけ言った。喧嘩になった。でも、悔しすぎて泣きながらけんか腰に言った。この壁を一回、一回だけ乗り越えさえすれば、明るい顔をして生活できるのにと本当に悔しかったから。
そうしたら、娘が考え直し、学校に行き始めた。はじめは保健室に通った。他の生徒がうろうろしていない頃に行くのだ。
それが二年になり、教室に時々入り始めた。三年になり、ずっと教室で勉強して、友達もできた。
そして専門学校へ行くと毎日楽しそうに、通いだした。休みはほんの数日だけ。教室では元気に友達と接し、自分をやっと、表現し、自分を表にだして、友達と付き合えるようになった。
実は長女はもっと重症の不登校だったから、それが長女も後半に奇跡をおこしてくれていたから、この子の不登校時代は、がぜん楽だった。集団生活が苦痛だった娘のためにも不登校はちょうどよかった。不登校をしている間に、人間の成長を静かにできたから。
そんな子が卒業式では娘の課の代表で校長先生から卒業証書を受け取っていた。集団生活が苦手だった子が、やっと集団のなかで自分を表現できた2年間だったようだ。
就職をよくぞ自分の手で掴みましたね。おめでとう。
娘とこの子をサポートしてくれた全ての存在に感謝です。