愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

丹内山神社

2023-10-31 16:19:00 | 旅行
岩手県にある、縄文巨石の、岩くぐりを、オリンメンバーといってきた

縄文の巨石は、かつてアテルイが信仰した岩だ
縄文のころの、穏やかでゆかいで、楽しい人々が暮らしていた
当時の和やかな空気を知っている岩だった
自分もそうだ
そこで暮らしていた
自分もそこにいたのを、私に、
覚えているよ、と、語りかけられた気がして、涙が止まらなかった
あの頃の空気感と同じように、今も忘れずに、一度与えられたあったかいハートは変わらないでいるんだな
初めてこんなに、
巨石の深淵なる愛を感じた

























友人の写真が、凄いオーブなの↓





オーブの中に同じ子がいたよー




動画だと、このあと、斜め左下におりていっちゃったわ






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恩師

2023-10-21 23:40:00 | 日記
小学校4年生のころ、田舎の小学校で、友達も作れず、一人、放課後に、スクールバスを待っている時、図書館に入って、ふと、手にした本がある

分厚い本で、200から、300ページは、あったかと思う

大人が読むような小説の本だった。

題名は、「魔女の森」

大人なら、4時間で、読める本だが、小学生の自分には、教科書のもじなんかより、小さい文字だし、なかなか、膨大なページなのだ

毎日1時間か2時間かけて、読み終えたのが、一週間後であった

根気よく、頑張って一冊の本を読みおえることができたんだ!😆

という、人生初めての達成感をこの時味わった

それからは、本の虫になり、毎日のように、図書館に通い、本を読んでいた

勉強はまるっきり、できない私であったが、小学5年、6年、の、担任になってくれた太田先生は、俳句を得意としていて、週に何度も、俳句を作らされた

 私たち生徒が作った俳句を、親達が人気投票したとき、一番人気は私の一句であった

  朝顔に 
   雨の雫が 流れ落ち

言語の量が同級生よりは、私が本を読んでいることで、俳句を作る時、言葉が頭に浮かびやすかったから、人よりもたくさん俳句を作ることができた
太田先生が生徒の作った俳句を集めて、特選、だの、佳作だのと、発表するのだが、入選しない日が、一度あったきりで、ほとんど入選していた

勉強できないかわりに、俳句が得意になったので、なんだか、少しは自分に自信が持てたから、太田先生には感謝している
生徒を平等に扱ってくれた事もよかった
さらに、私が助けられたことがあった

ある時、太田先生が、15人の私ら生徒に、これからは、男子が、女子の名前を言う時は、苗字に、さんを、つけなさい
女子は、男子の名前に、君付けをしなさい

あだ名は一切だめです。

と、通達された私たちは、普段信頼している担任の先生に、言われたとおり、わたしは男子には、なになに君

男子は、私を橋本さん、

そう呼びようになった

そうしたら、私をいじめていた男子が、なぜか、私をいじめなくなったのだ

それまでは、わたしは、あのつく名前だったので、アンパン、と、男子に呼ばれていた

男子のリーダーが、そう呼ぶから、他の男子も真似をして、わたしをアンパン、とよんでいたが、さらには、クソパン、とまで言われ始めていて、嫌がらせもされるのだが、私は感情がだせない?出さない子供だったので、いつまでも、嫌がらせを、されていたわけである

嫌なことはいやだ!と、表現できないし、変な子供だったので、感情的にならない、子供らしからぬ生徒だった
冷静な私はいじめてくる男子を、責める事もできずに我慢するほかなかったわけだ

意地悪な男子が、私の困る姿を嘲笑うようなことが日常にあったのだが、太田先生が、あだ名は禁止🈲女子には、名字にさんをつけなさい、
そう言ったその日から、わたしはクソパンから、橋本さん、になった

やっと、男子から、わたしと言う一人の人間を認められたような瞬間であった

小学6年生にして、やっと橋本さんと、よぼれはじめたら、男子の私への嫌がらせが、無くなったのだ

わたしは、つい先日まで、これを、偶然の産物だとばかり思っていたのだ
ほんと、情けないはなしである

友人にふと、この、昔話を話をしたら、

なぜか、いじめがなくなった、のではなく、

太田先生が意図的にそうしたから、なくなったのだよ、と、教えられたのだ

えーーー!!!

そうだったの??

太田先生、50才過ぎても、わからなかったよ、先生ごめんなさい🙇‍♀️

俳句を教えてくれたお陰で、劣等感から、抜け出させてくれた
さらには、男子からのイジメまで、解決してくれた

私、という個人を、私の人格を、傷つけないように守ってくれた

私のことで心痛め、解決のため、考えてくれての、さん、君、つけだったのね

私、という、人格、個性、つちかい始めたきっかけをくれたきがしてる

やっといじめられなくなったら、おとなしかったはずの私が、一気に、個性が、爆発して、中学のころは、まあまあ目立ち始めて、友達もできて、楽しい学校生活を送ることができた

男子とも、対等に付き合う事もできて、結果、誰よりも、男子らと仲良くつきあえていたから、ときどき、女子にヤキモチをやかれてしまったりもあった

中学の担任はこれまた、私の恩師、小山田先生だ
最高にお人好しの先生で、みんながみんな、お兄さんのように大好きだった
 これは、余談だが、と、国語の時間、脱線した小山田先生の話しが、大好きだった
先生を通して人生観、社会人、人間性、学んだ
今の血となり肉となっている

高校にはいると、なぜか、また、クラスをまとめることになって、あれこれ、頼られていたが、執行部に選ばれてしまったから、学校全体の事も、背負っての3年間だったな

卒業式の答辞は、担任から、ご指名で、橋本、お前がやれ、
あ、はい。

と、返事をしてきまった

結構頑張って執行部も、クラスの事もやりまひたので、私への花向けかな
そうおもった

担任は青少年の船にも、私を指名して、橋本、行ってこい、
あ、はい。

であった

ありがとう、山田先生。

そうか、わたしは、3人も恩師がいた
すごい私の人生における財産だ

マイナス的な先生も中にはいたが、はるかに上回る恩師の私への影響力
まじ、半端ない

いまは、中学時代の恩師小山田先生しか存命ではないから、ぜひぜひ、あの世でお会いしたら、お礼を言いたい

当時のこと色々とありがとうごぞいます、と


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オリン瞑想会やりました

2023-10-14 21:41:00 | 日記
な今日は、楽しい日でありました

和になって、終始和やかに、私が主催した、金運アップセミナー?と、けっか、オリン瞑想会になりまして、無事に皆さんと楽しい時間を過ごさせていただきました

個人セッションまでは時間がなかったので、参加者5名で、円になって、オリン瞑想会をやることができました

始まる前に、早池峰のふもとでの、開催の挨拶を土地のスピリット達に挨拶しました。

















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勝者と敗者の歴史から学ぶもの

2023-10-09 10:22:00 | 気ままわがままつれづれなるまま
今の日本という国は、アイヌ民族の土地を侵略し、アイヌの民を殺戮した上に成り立った国

アイヌ、エミシの民は、何万年と続けてきた争いのない文化、思想を持っていた

自然と、神と、土地と、人と人が、仲良くくらしていた縄文の時代をそのままに

アシリレラさんが、坂上田村麻呂が、苦悩していたことを詳しく講演してくれた

 いまから、約1200年前
東北のエミシ、アイヌの民族の、代表に、アテルイ、そして、補佐役のモレがいた
そして、敵対し。制覇したのが、坂上田村麻呂であった

 田村麻呂の、母親はアイヌの民
ある時、川で仕事をしている、アイヌの娘を、城に勤める侍がみて、綺麗なので、お城に連れて行った
 やがて女性は城の殿様の子供を身籠った
でも、城の暮らしが嫌で、妊娠した後、城を出た
殿様は、妊娠した子供は自分の子に間違いないからと、女性に刀を託した
女性は前の暮らしの通り岩穴でくらしはじめ、男児を産んだ
男児は岩穴で育ってやがて、立派な青年になった
坂上田村麻呂であった
田村麻呂は巌窟王と言われ、城の父親の耳にも入った
父親は、自分に使えるように打診した
坂上田村麻呂は、母親からアイヌのしきたりである、人を殺してはいけないことを、ずっと、言われていた
なので、迷いはあったが、立派に見える父親の元に行ってみたい、そう思って、母親の反対をおしきり、城に向かった
城の殿様の父親は、坂上田村麻呂に、征夷大将軍の職をあたえた

 田村麻呂は、アイヌの民を征伐するため、アテルイとモレが率いるアイヌの民族と、対戦
沢山の血が流れた
坂上田村麻呂は、北上川の川に映る自分の顔を見つめた
 やはり、、自分は、アイヌだ
アイヌの顔をしている

もう、アイヌの民と、戦うのはやめよう

そう思い、田村麻呂は、父親に、こういって、頼んだのである

 アテルイとモレの命を救ってくれ
 そう頼んだら、父親は

     わかった

そう言った

 だが、田村麻呂が席を立った後に、こう言い放った

 ライオンに食われるのに黙って食われる馬鹿がいるものか

 結局、アテルイと、モレは、首をはねられ、処刑された

 田村麻呂は、自分が母親の教えを守らず、戦さをしたことを生涯悔いた

 田村麻呂が、死ぬ前に、アイヌの母親からもらっていた水晶と、父親から貰った宝剣を、土に埋めて、亡くなった
 
 自分をあがめることなかれ、そう言って亡くなったという

 近代までに、アイヌは騙し討ちや、裏切りによって、惨殺されていく歴史を経てきた

 今の日本は、天皇制は、沢山の罪なき犠牲の上になりたっている現実を、我々は知るひつようがあるだろう

 私の中学時代の恩師、アイヌ語研究第一人者菅原進先生は、日本人でありながら、アイヌの教え、風土、倫理、精神性を説きながら、アシリレラさんに、数年前、祈祷を頼んだのだ

アテルイと、モレの魂の供養をしてほしい、そう言って岩手県に、北海道にいたアシリレラさんを招いたそうだ

悲しいアイヌの歴史の中には、本土の人間がアイヌのために命を落としたことも、レラさんは語ってくれている

私は今は、きっとアイヌの血が流れている

だが、過去世は、素戔嗚軍団の一部だったろう

時代により、敵だったり、てきでなかったり

今できることは、史実を知り、反省することからの、和平を共に生きる

しかない

日本は歩むべき所に進んで参りましょう

和平の日々を自分の中に


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アイヌ活動家 レラさんの記事

2023-10-07 21:37:00 | 気になる記事
Wendy-Net 記事を紹介します
↓↓

このままではアイヌが滅びてしまう。15歳で立ち上がりました。

アシリ・レラさん/アイヌ活動家

アシリ・レラさん/アイヌ活動家
1946年2月、北海道沙流郡平取町生まれ。日本人名は山道康子。61年、15歳でアイヌ活動家として活動を始める。79年に「沙流川を守る会」を立ち上げ、二風谷ダム(竣工)、平取ダム(凍結中)への反対運動を行う。89年にアイヌ語学校を設立。同年8月、アイヌモシリ一万年祭を開催。今年で27回目を迎える。活動の傍ら、孤児となった子どもを引き取り、50人以上を育てあげる。現在も10人の子どもとの共同生活をしている。
落雷と共に生まれた雷の子だった

私は、激しい雷が鳴り響く日に北海道沙流郡平取町で生まれました。両親は雷が落ちたときに生まれた私を雷の子カンナカムイと思ったようです。雷はものすごいエネルギーがあり、落雷したら火災も起こします。だから両親は、その火の手を恐れて、一度私を外に捨て改めて東の窓から入れるという、人間の子として授かる儀式をしたそうです。

そんな不思議な生まれ方をしましたが、小さいころは山や川を駆けまわる元気な普通の女の子でした。元気すぎて学校をさぼる私を見かねて家庭訪問に来た先生に対し、母は「やる気がないときにおしつけてもしようがないでしょう。やる気になったらやるでしょう」と笑いながら言いのける肝の据わった人でした。

父は、高等中学校を卒業して教師を目指していたのですがアイヌであるがゆえに断念し、炭焼きの仕事で家族を養ってくれました。旅館などで炭を使って火をおこしていましたから、父の炭はよく売れましたし、白米とも交換していました。戦後間もない時期で、お米を食べられる家庭が少ない中、ジャガイモや大根、ニンジンなどの野菜と一緒に白米を炊いた雑炊のようなご飯が食べられたことは本当にうれしかったですね。

その当時、父と母が口論をしているのを聞いたことがあります。米を食べられない、買えない母子家庭や子どものいる家庭に父が白米を少しずつ持って行き、分け与えていたことが原因でした。小言を言う母に対して、父は「少しずつでも持っていくことが、とても大事。ウレシパモシリ(互いに育って助け合う世界)なのだ」と言いました。アイヌは昔から、集落の子どもはみんなの子ども、お年寄りはみんなのお年寄りという意識が高かった。どこの子どもであろうがおなかを空かしていれば食事を与える。病気を患って動けない人がいれば、その人の分まで山菜を採り食事をさせる。それが当たり前のことだった。父は、そのアイヌ精神を貫いていたのです。父の言葉や行動はすごく大事なことだと感じました。小学校5年生ぐらいのころから「死ぬまで勉強だから、ゆっくりでいいから一日一個漢字を覚えなさい」と言って読み書きを教えてくれたのも父でした。私は父親っ子だったので、そんな父の影響が大きいと思います。

私を動かすのは、父の言葉

小学校時代は学校が二風谷にありました。今ではアイヌの聖地ともいわれている土地で、当時は生徒の7割ほどがアイヌでした。でも、平取町へ母と買物などに行くと「ア、イヌが来た」とか言われました。まだ幼かった私は、本当に犬が後ろにいるのかなと思って振り返って見た記憶はあります。ただ、小学生のころは大半が二風谷にいることが多かったので、気にもしていませんでした。私の世界が変わったのは平取町の中学校へ入学してからです。言葉の暴力や仲間外れにされたりして、最初は何が起きているのか理解できませんでしたが、次第に自分がアイヌだからだと分かりました。そのころから登校拒否が少しずつ始まりました。

今でも鮮明に覚えていることがあります。中学校1年生のとき、下校途中にある砂利の坂道で、上級生たちが仕掛けた罠に気付かずに足を縄に引っかけられて滑り落ちてしまいました。膝を擦りむいて、かなりの出血があり、セーラー服のスカートは泥と血で汚れてしまいました。その日は、学校帰りに、心臓弁膜症で入院している父の病室へ寄るよう母に言われていました。坂から滑り落とされるようないじめにあったことを両親には知られたくなくて、スカートの汚れた部分を後ろに回して病院へ行きました。お見舞いで頂いたスイカやメロンを食べたりして父と過ごす時間を楽しんでいたのですが、帰るためにドアの取っ手に手を掛けたとき、血と泥で汚れてボロボロのスカートを見た父が「そのことから逃げるなー!」と、ろくに声も出なくなっていたのに叫んだのです。

そして翌日に父は亡くなりました。父の最後の言葉は、いじめに屈することは、自分からも国からも逃げることになる。チャランケ(ちゃんと話し合え)ということだと思いました。

それまでの私は、悪口を言われたくないし聞きたくもない。言っている人たちも見たくなかったので、いつも山や川に逃げているような子どもでした。父の「逃げるな」の言葉を聞いて今の自分ではダメだと気付かされました。

それからは、逃げるのをやめてマタンプシ(アイヌの鉢巻き)をいつも巻き、堂々と人前に出るようになりました。アイヌの子どもは中学校1年生の3学期までに不登校になることが多い中、私は中学校の卒業式にもマタンプシをして出席しました。そうしたら「その鉢巻きをしていたら卒業させない。外したら卒業証書をやる」と言われました。

アイヌ集落でも、字が読めない多くのアイヌが借用とだまされて土地を奪われました。住む場所をなくし酒におぼれて身を滅ぼしていく人も見ました。そんな理不尽なことが日常茶飯事のように起きていたので、このままだとアイヌが滅びてしまうという危機感を覚え、15歳で活動家として立ち上がりました。

最初は、自分がアイヌだとアピールすればするほど弾圧されました。相手が武器を持っていて、怪我をしたり骨折させられるようなこともありました。東京での初めての講演のときには日本刀を持った過激派の男性に、壇上で切りつけられたこともありました。間一髪で無事でしたが、命の危険を感じて過激な運動に走りかけたこともありました。でも、それを止めたのも父の言葉でした。父は「どんなに非道なことをされたとしても、それを非道で返したら、それは同罪。だから絶対に非道なことはやってはいけない。アイヌにはチャランケしかない」と言う人でしたから。

命を粗末にすると悲しむ人がいる

私はアイヌの民族問題や環境保護活動をしながら、事情があって子どもを育てられない親から10人ぐらいの子どもを引き取って育てていました。みんなアイヌの血が混ざった子どもたちでした。当時は、いじめなどの問題があって子どもたちを学校に通わせられなかった。いじめの恐ろしさを私は身を持って知っていましたから。だから、父が私に読み書きを教えてくれたように、私が子どもたちに教えることにしました。

1989年に自宅横のチセ(建物)を、フリースクールを兼ねたアイヌ語学校にしました。子どもたちに最初に教えたことは、死なないこと、自分を殺さないこと、自分に負けないこと、自分一人の命ではなく、命を粗末にすると親や兄弟など悲しむ人がいるということ。親や兄弟がいなくても私が悲しむということです。子どもたちが命の大切さを理解し、勉強することへの意欲が出てきてから、読み書きを教えました。父が私に言ってくれたように「死ぬまで勉強だから、ゆっくりでいいから」と、少しずつゆっくり。読み書き・計算などの勉強、アイヌ語や踊りを教えていきました。そのときに教えた子どもの一人が、今、教師になっていますよ、うれしいですね。

その年の8月から毎年アイヌモシリ一万年祭も行っています。過去の歴史の中で、アイヌとアイヌを助けたことによって殺されてしまった日本人の霊を慰めるための供養祭です。会場があるところは、アイヌたちが住処を追われ命からがら逃げ着いた場所です。イオマンテ(祭り)は前夜祭を含め6日間あります。1日目はお祈り、2日目はアイヌ語学校に通う子どもたちの歌や踊り、3日目は子どもが参加するゲーム大会、4日目は運動会、最終日の5日目には、またお祈りをします。ゲームなどはその年によって内容が変わることはありますが、必ず6日間にわたって行われます。

なぜ、6日間もあるのかというと、アイヌは「天・大地・太陽・月・火・水」の6つのカムイ(神)を重要神として尊敬しています。それは文明や科学がいくら進んでも絶対につくれないし、人間が絶対に勝てないものです。その重要神が6つあることから“6”という数字をとても大切にしているので、アイヌのイオマンテは全て6日間あります。よく「アイヌには神様がいっぱいいる」と言う人がいますが、アイヌは偶像崇拝はしません。

大事なことは真実を知ること

アイヌを知ってもらうためには、日本語やアイヌ語でのユーカラ(叙事詩)の語り部など、アイヌ文化の伝承活動は大切なことです。でも、一番大事なことは真実を知ってもらうことだと思っています。日本人は、アイヌも朝鮮人も中国人もモンゴル人の血も入っている複合民族だということ。アイヌ問題は日本人の問題です。知らない、無関心は人種差別していることと同じ。真実の歴史を明らかにし、ちゃんと知ることが人種差別のない世の中へとつながっていきます。私たちが前線に立つことによって少しでも真実を知ってもらい、人種差別のない世の中になることを願っています。そのために私は死ぬまで戦っていきます。

子どもたちの里帰りが楽しみ

私も69歳になりましたので、たくさんの子どもは預かれませんが、今も10人ぐらいの子どもたちと一緒に生活をしています。昔のようないじめもなく、学校にも行かせています。早く友達ができればいいなと見守っています。

今まで私は50人以上を育ててきました。自分の籍に入れて育てた子どももいます。みんなかわいいですよね。あの当時の子どもたちで結婚している子もいるので、もう孫もいます。みんな「お母さん、お母さん」と言って、お盆や正月に家族を連れて里帰りして来てくれる。家に入りきれないぐらいの人数になるんですよ、床が抜けるかと思います(笑)。子どもたちのことは、自分が棺桶に入るまで、あれこれ心配はするのだろうけど、その分うれしさも楽しみもたくさんあるってことですね。

今年中に、今まで使っていた日本名の山道康子からアイヌ名のアシリ・レラに改名できることになりました。以前はアイヌ名での出生届が認められなかったのですが、時代の流れとともに法律が緩和されました。それもうれしい出来事ですね。


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アシリレラさんがやっと私の田舎にきてくれました

2023-10-07 15:52:00 | 私の一押しコーナー
アイヌ活動家
15歳で立ったアシリレラさんが岩手にきてくれました




アシリレラさんに、アイヌの祈りをしてもらった日

参加していただいた皆様と記念撮影

当日の朝、先に姉の家で食事の準備をしながら、待っていると、1時間わたしより遅れて、夫がアシリレラさん一行をお連れしました。

レラさんが私をみるなり、
 あなた!、龍神がついているわよ。
龍神だよ、そうだよね?ついてるよね?

と、私の夫にレラさんがいうと、夫も、よそ見しながら、うん、と、ニコニコして言ってました

 すごく綺麗な蒼い龍神だよ
 守られているよ

うん、うん、
ありがたいことに、たぶんいや、絶対に、そうなんだと思います
鈴龍さん、いつもありがとう😊
うちの、鈴ケ神社の龍神様が、いつもバッチリガードしてくれています

そして、レラさんは、すぐに、アイヌのお墓に向かってくれました












アイヌのお墓の魂が、アイヌ語で、レラさんに、戦争、という言葉をつたえてきたんだそうです
今から千年前のことでした

渡来人の襲撃があったということなのでしょう。ここの土地にいたアイヌの民は交戦したあと、殺されて、土の中にどんどん埋められました

祈りの時、レラさんの前に、お墓の向こうに、妊婦のアイヌの衣装を着た女性が立ちました。
戦いの時、敵の侍に、強姦されそうになりましたが、妊婦だったので、侍は、お腹の赤ちゃんごと、女性のお腹を十文字に切ってころしました。

妊婦の女性は、体をよじりながら、前に倒れ込みました。恨めしそうな目をしながら倒れ込んだのだそうです。

女性は子供を産んで育てたかったのです。
その想いをレラさんに伝えてきたのでした。

そして、レラさんの耳に、男性の唸る声が聞こえてきました
 お〜、お〜、
すると、斜め後ろの、私が実際に、お〜、お〜、と、苦しそうな声でうなりはじめたのでした

レラさんは祈りを続け、光の柱を立てて、塞がれていた沢山のアイヌの魂を上げていきました

呼吸が苦しくて唸る私の声も止んでいきました

祈りも終えると、アイヌのお墓の周りに、沢山のトンボが、飛び交い、蝶々も飛んできました

空は、真っ白な雲と、秋の空気なのにギラつく太陽

祈りのとき、泣いている私の目を見たレラさんは、あなた、龍の目をしてるね

そう言ったあと、祈りにつかうこちらを私にくださいました
東の方角に置くといいよ、守られるからね


今、自宅の玄関に置いています

私には宝物になりました
とっても嬉しくてありがたい贈り物でございました

 アイヌの浮かばれなかった沢山の魂が天に上がっていった2023.10.4

 レラさんは、遅くなってごめんね、天に上がってね

アイヌの魂に投げかけてくれました
そして、姉夫婦には、
 お墓に、お花を植えてくれて、ありがとうございます

 ねぎらいの言葉をかけてくださっていました

なんてありがたいことでしょう
もっと、こうしなさい、ああしなさい、なんて、言わないのです
 愛しか与えない人、愛の塊のアシリレラさんなのでした

そう感じていましたら、実際にレラさんが北海道で初めてフリースクールをたちあげたのですが、その名前が愛の学校、なのでした
ハートチャクラ、身体に触れずして、ハートの中の沢山の愛の波動をわたしは感じたのです
10人の子供を養子にして、ご自身の生んだ二人のお子さんと分け隔てなくそだてあられておりますから

そして、翌日は岩手県千厩の安楽寺にて、岩手県渡航最後のアシリレラさんの、講演会になりました

2023.10.5
安楽寺にて

レラさんの公演はわたしはもちろん初めてでした

静かな語り口でした
穏やかな空気を醸し出されておりました

アイヌの民の歴史を淡々と話されました

アテルイと、モレ対坂上田村麻呂の話は、まさかの坂上田村麻呂が主人公でした

次回に続く










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鈴ケ神社に女神降り立つ

2023-10-01 15:52:00 | 日記
天麻那舞いの、メンバーで、特にもお美しい舞をされる、お美しいお二人が、大迫の早池峰神社奉納をされた後に、わざわざ、宮古市鈴久名にある、うちの、鈴ケ神社に、9月30日 一粒万倍日のこの日、参拝と、そして、あまな舞の、奉納舞いを、お二人でしてくださったのですっっ

わたしは、夫のお話会に、つきあってましたから、お任せしっぱなしでしたが、まさか、舞いを、してくださるとは、本当にびっくりしましたが、本当に本当に嬉しい!!
ハートがもうね。ジンジンしますっ

この目でみれませんでしたが、

ああ、

穏やかな時が流れていた瞬間の、鈴ケ神社境内でありましたことでしょう

白い袖がゆらゆらしながら、静かに微笑むお二人の舞い

麗しいお姿でしたでしょう

静御前様、たいそう慰められたことでしょう

ありがとうございました




お写真ありごとうございました



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たまくさ

2023-10-01 15:38:00 | 日記
たまくさの、改築工事真っ只中、棟梁川原一三のお話会が、昨日ありました

たくこさんの、巧みな、司会進行に支えられて、好きなように話を進めていた棟梁





棟梁、カウンターへの愛が、みんなにバレバレでした
地球と人を繋ぐたまくさカフェ

もう時期、工事は完成

どうぞ皆様紫波稲荷の近くの、古民家カフェにおこしください


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岩手やまんばの、まこも茶

2023-10-01 07:58:00 | 日記
こちら、岩手やまんばの、まこも茶

無農薬です。はい、もちろん

大地とつながる真菰

と、表示されているその下の絵、は、まさに。一関のやまんばメンバーの姿ですね

真菰が、最近、浄化に良いと評判になってきて、量産されるようになったようですが、

一関は無農薬で、大地と人が繋がりながら収穫しています

一パック千円、ですが、この、千円の真菰製品に、何時間、何人、手がかかったろう

暖かい人の手の、ぬくもりと、高い精神性のもと、出来上がったこの商品。
飲めばおいしいだけじゃない、心と体が、浄化されますね

ティータイムは、せっかくなら、心にも体にも安心の、岩手やまんばの、真菰茶で

やまんばリーダー西島富士子さんは、里の暮らしは、山が生きていればこそ、という観点で、林業にも一石を投じています

すごい人だわ。まじで。

真面目で、筋が通った人なので、うちの旦那の不思議な話なんか、私の夢の不思議な話なんか、絶対信じないだろう、なーんて、おもっていたら、あれ?
まさかまさかの、川原の不思議話し、木と会話する話、信じてそして、サポートを、いまや、やってくれてます

川原の足りない部分を埋め合わせしてくれて、本当にスーパーウーマン

実際に手助けできないけど、岩手やまんば!応援してる
祈って応援



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