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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その396
保津川の開削に成功した角倉了以は、
続いて富士川・天竜川の舟路開発にも手掛ける。
そして、慶長15年には、
慶長元年の大地震で崩壊した方広寺大仏殿を、
豊臣秀頼が再興するに当たって、
その用材を伏見から三条大橋まで運ぶために
鴨川に水路を確保したのです。
ここに淀川水運と鴨川水運がつながる。
これはあくまで、
大仏殿再興の用材運送のて目の臨時の船路確保でしたが、
この成功により今度は本格的に伏見・京都間の
運河を計画することになったのが「高瀬川」です。
そうです京の盛り場木屋町通りの西沿いにあるあの小川です。
時々ですが、若者が酔っ払って・・浅瀬の川に入って悪戯をして
お巡りさんに注意されている光景を見たことが在りましたが・・
昔の若者は元気だったんですねぇ・・
イマドキの若者はそんな馬鹿なことをやっていない・・
おりこうさんが多いですなぁ・・・・・・・
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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必ずや立ち上がってくれると・信じてる。
5年10年掛かるかも知れないけれど・
ずっと・ずっと・応援してる・
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