オヤジのひとり言

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まぁ・・いろいろ有りました。

2012年03月27日 | オヤジのひとり言

3月26日は京都エステートの創業記念日です。

思い起こせば昭和63年3月26日に最初の免許を取得して

京都府城陽市寺田水度坂15-168で創業した京都エステートも25周年を迎えました。

免許番号も(6)から(7)に・

* 因みに免許番号は5年毎に更新されます。

まぁ・・いろいろ有りました。

バブルの絶頂期の真っ只中で、自分が中心に世の中が廻っているとも思っていた時期も経験しました。

そしてバブル崩壊、失くした20年も乗り越え、

おかげさまで今は元気いっぱい明るく日夜業務にいそしんでいます。

まぁ・これが普通と思えば何のことは無いんですがねぇ・・・

どうしても若い時って元気が有り過ぎて・・ついつい突っ走ってしまうんですよねぇ・・

若さと言えばそれまでですが・・性格もそんなんで・

20代はモータースポーツ・

30代はヨットレース・

40代はマラソンと、

仕事以外の趣味の世界でも、

何時もMore&More 何時も前を向いて突っ走っていましたなぁ・・

周りからよく言われるんです。??

孫が出来た辺りから、大人しくなったってね。

でも気持ちは何時も万年青年・

何時も真剣に100歳まで火の玉オヤジでいること考えている毎日です。

今後ともよろしくお願い致します。

 


カズが喝!

2012年03月27日 | オヤジのひとり言

カズが喝!「みんな勝手。一体感がない」

 J2第5節最終日(横浜FC0-2甲府、山口素弘監督が就任した横浜FCは、

甲府に0-2で敗れ新監督の白星発進はならなかった。

横浜FCのFW三浦知良が後半32分から今季初出場し、

自身の持つJリーグ最年長出場記録を45歳28日に更新した。

甲府は4勝1敗で勝ち点12の2位。

首位の湘南は熊本と3-3で引き分け、

開幕からの連勝は4で止まった。湘南は4勝1分けで勝ち点13。

 0-2とリードされた後半32分、FW三浦知が途中出場。

ついに今季初めてピッチに立った。

サポーターはじめ相手チームサポーターからも大歓声の中、中盤のトップ下に起用された。

 「チャンスはできると思ったが、押し込まれるシーンが多かった。厳しかった…」と

 甲府に主導権を握られ得点差以上に実力差を見せつけられ、悔しさをにじませた。

終了間際には中央からMF内田へ横パスを出しチャンスを作ったが、

それもゴールには結びつかず、カズ自らのシュートも0本に終わった。

 日本代表や横浜FCで選手としてともに過ごした盟友、山口新監督の初采配。

勝利で船出を飾りたかったが、それはかなわなかった。

現実は厳しいものに。

 開幕5戦で2分け3敗と勝利がなく、

得点もわずか「1」という惨状で第3節以来の単独最下位に沈む横浜FC。

そんなチームにカズは、「みんな勝手。一体感がない」

 今はみんなが勝手に動いている。

軸になるコンセプトをはっきりさせることが大事」と今後の新監督の指導力に期待をこめた。

 ただ、

まだ新体制4日目。

22日に始動した山口新監督は「負けたのは悔しいが、こんなもの。戦術練習はこれから」と努めて冷静に話すが。

 カズはこれでJ創設以来20年連続出場。

自らが昨年12月3日に出場した際の44歳9カ月7日のJ最年長出場記録も45歳28日に更新したが、

「それは意識にない」。わずか15分の出場に「それ(記録更新)でいいのかと思う。サッカーに失礼。

もっと長い時間出場して、納得のいく勝利を目指したい」と相変わらずの元気さで前を向く。

次節4月1日の草津戦(正田ス)こそ先発出場、

そして自らの43歳9カ月8日を超えるJ最年長弾で、

チームに、山口監督に初勝利をもたらすことが出来るのか。

ガンバレ・・中年の星・カズ


高瀬舟の船賃は・

2012年03月27日 | オヤジのひとり言

3/27

 

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その398

 

この「高瀬川」の開通で大坂から淀川を登った船は、

 

伏見で荷物を高瀬舟に移し替え、京都市内まで運送することに。

 

積荷は、二条から五条まで間に八個所の舟入り(船着場)が在って、

 

此処で種々の荷物が積み降ろしされた。

 

こうして高瀬川沿いの木屋町通りは、

 

船宿・問屋・倉庫が建ち並ぶ景色に変わっていったのです。

 

それまでの伏見・京都間の運輸はもっぱら

 

馬借、車借といわれる馬と荷車による運送業者に頼っていたから、

 

高瀬川の完成により彼らは大打撃を受けたが、

 

米、薪の値段も下がって京の人々は大喜びしたという ( 当代記 )

 

 

森鴎外の小説『高瀬舟』は、

 

弟の自殺を助けて島流しになる喜助が

 

この高瀬川を舟で下る間に自分の罪を語る、

 

という設定になっている。

 

 

 高瀬川の運航を許された高瀬舟は、

 

総数159艘と決められており、

 

船賃は一艘一回につき二貫五百文で、

 

そのうち一貫文を幕府に納め、

 

250文は舟加工代、

 

あとの一貫250文が角倉の取り分になった。

 

了以は、高瀬川の完成を見届けて、慶長19年に亡くなるが、

 

その後、息子 素庵の長男玄紀が高瀬川畔の二条に住居を構えて

 

京角倉」となり、

 

高瀬川の水利を支配して莫大な利益を得て繁栄するのです。

 

 

今回はここまで・・   

 

 

続きは次回に・・    

 

 

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