オヤジのひとり言

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恋しい、恋しい・恋志谷神社

2013年04月11日 | オヤジのひとり言

恋志谷神社(京都府南山城村)

悲恋の妃 悼み祭る
恋愛成就・子授け・安産の御利益があるという恋志谷神社(京都府南山城村南大河原)

 
京都府の最東端・南山城村にある。

国道163号の木津川を挟んで南側。

森を背にしてひっそりとたたずむ社。

天満宮はじめ計十三社が合祀(ごうし)されている。

恋志谷神社もその一つで。

恋愛成就・子授け・安産の神として知られる。
 
近くの主婦は

「入り口の鳥居に、石を投げてうまく乗せられたら、

願い事がかなうって言われました。

子どものころ、必死になって乗せようとしました。

わたしは成功したことないですけどね」とほほ笑む。
 

恋志谷神社の始まりを伝える伝説がある。

鎌倉時代末期、倒幕を企てていた後醍醐天皇は、

その計画が幕府側に知れ、笠置山に身を潜めた。
 
これを聞いた天皇の妃(きさき)は、

伊勢で病気療養中だったが、病の体をおし、

駆けつけたが時すでに遅し。

妃が到着した時には、すでに天皇は追っ手から逃れるため、

笠置山を跡にしていた。

妃は悲しみと長旅の疲れで持病を再発。

「恋い焦がれ、病に苦しむようなつらいことは自分一人で十分。

人々の守り神になりたい」と遺言を残し、この世を去ったという。

妃を哀れんだ人々が祠(ほこら)を建て、祭った。

最期まで「恋しい、恋しい」と言い続けていたことから、

愛着を込めて「恋志谷さん」と呼ばれるようになったという。
 
恋志谷神社が現在地に祭られるようになったのは明治期のことで。

近くに住む宮守、今中さんは

「昔はこの西側の山中にあった。

木が生い茂ってなかなか行きにくい所だが、

今も跡は残っている」と話す。
 
毎年四月と九月の二日にある大祭の時は多くの人でにぎわうが、

「昔は笠置、加茂、島ケ原(三重県伊賀市)といった近くの町村の人が多かったけど、

ずいぶん減ったと・・。

『インターネットで知った』と、

遠くから来る人が多くなったとも。

 神社の御利益をネットで知った若い女性が、遠方から足を運ぶ。

時代は変わっても、

恋が人々の心をとらえることに変わりはなく、

恋の成就を願う気持ちも変わらないものですねぇ~。

 

【メモ】

恋志谷神社は南山城村南大河原。
JR関西線の大河原駅から徒歩で10分余り。
駅のほぼ南の対岸に位置する。
国道163号を横切り、木津川河川敷に降り、
通称「恋路(こいじ)橋」を渡ってすぐ。
増水時は橋が沈むので注意。
この橋を渡って参拝すると、御利益が増すといううわさもあるようです。

 

今回はここまで・・    

続きは次回に・・ 

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