彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

コロナ差別

2020年08月07日 | Weblog

いつもはここを下がって戻る来るだけですが、

今日は沢漁港から避難路を登って帰る予定で出発。5:50

久慈にもコロナ感染者が出ました。県内6人目。

あまり探したり、わめいたり、異常に反応しなければいいと思います。

先日、秋田県寒河江市の知り合いに電話したら、3人目の感染者の時の話で。

家のガラスが石を投げられ割れて、近所からは批判を浴び、結局仕事も辞め引越しした。

という話を聞きました。ひどい話です。

が、もしかして、近所に出たら自分も同じ行動をするのか?

その場に立ち会わないと、人はどういう行動をとるか予測がつきません。

人間、自分ファーストですから。ちっちゃい世界の議会でも何度も見てきました。

上の写真位置から沢向を見る。↓

実はコロナ情報は、この時点では知りませんでした。

昨夜、テレビに速報としてテロップに出たようです。爆睡してました(笑)

聞いたのは、この後着いた漁港で漁師さんが集まって話をしていた中で聞きました。

「今、久慈でコロナがでだ話すをすてーだーぁ」 ???

そんな冗談で盛り上げってるんだろうな。と受け止めました。

漁港着。

ところが事実。

さすがにビックリです。

久慈に毎日通っているというだけで都合が悪い。

長居しないで帰る。

この階段までは普通の山登り。ここの登りは休まず昇る。非常にきつい。↓ 

「久慈には行けないなぁ」という話になっていました。

普代も久慈も、人の行き来があり、久慈にいるのと一緒です。

自分が行かなくても、学生も、勤めにも、取引でも誰かが来、誰かが行く。

久慈管内であり、自分もその久慈の中にいることになります。

地域で分けて考えてもしょうがないです。

それでも、久慈に行ってる人は差別されるのでしょうか。

すぐそばにいた1人がさーっと離れて帰りました。(気のせいかな?)

普代の人も大きな意味では、人の流れは久慈にいます。

普代でなかっただけましでしょうか?

ちっちゃい普代民が差別されたら、息の根が止まります。


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