彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

村の議員だった頃の・・②

2022年05月14日 | きいてきいて

 

 2期目、10年ぐらい前だったでしょうか。

議会だより作業も「常任委員会」として格上げされ、

「議会だより担当」から「議会広報常任委員会」という体制だけは整いました。
 
案の定、議員だけで文章をまとめ、構成も考えるというのは大変な作業ででした。
 
たった4人で、業者さんと打ち合わせながら作り上げる大変さは今でもしんどかった記憶しかありません。
 
4人の中には分担された原稿を期日までに出さない委員が毎回います。
 
事務局の文字お越しを待っていれば遅くなります。
 
自分の質問は、録音テープを借りて自分で文字起こしからやるようにし、
余裕があれば他のテープも文字にする作業です。
 
そんな過去のことを思います。
 
 
 
   昨日ある人に電話をしたら、
 
「議会は何をやっているんだか、さっぱり見えないねぇ。」という話をされた。
 
そう言われれば、自分も議会を離れて2か月以上になる。
 
遠い世界のように感じる。
 
全く情報がないし、得ようもない。
 
議員と密接に関係しない村民はそういう事なのかなと、納得した。
 
 
 村民とのつながりは、議会だよりだけだしなぁ・・・と思う。
 
行政は、職員と言う実働部隊があり、いろんな形で村民に関わる。
 
議会は、議会そのものが実働部隊たらんと欲さなければ実働部隊となりえず、だ。
 
議会には支持する実働部隊がない。
 
自らが動かなければ、受動態的な定例会・臨時会などが活動っぽいものとなる。
 
それで議会の仕事をしているような勘違いをする。
 
議会自ら能動的動きをするべきだなと、改めて議会を離れて感じる。
 
 
 
 3月議会の議会だよりがまだ届かない。
 
2か月以上になる。
 
情報として役に立つかどうか、リアルタイムからほど遠い。
 
村民と議会との情報の乖離を思う。
 
リアルタイムは不可能だが、しかし時代はそんな時代である。
 
 
 この意識の格差はどうすればいいのだろうか?
 
新聞が今日の事件を、1か月2か月後に報道すればどうか。
 
「そんなことがあったんだ?」で終わり、他人事になる。
 
それは他人事だから許せる。
 
「いま」、の問題を共有できなければ、村民には伝わらない。
 
自分に関係することも「他人事」になってしまう。
 
非常にむずしい問題である。
 
 
 議会と村民の意識は同時共有し、行政の問題と向き合わなければ意味がない。
 
それが自分がやっていた頃の、個人的な最大課題でした。
 
議会はリアルタイムに発信できない、村民にはリアルに情報が届かない。
 
直接対話ほどリアルはない。
 
 
果たして、何が問題で、何ができ、どう行動に移せばいいのか。
 
それを考え行動して、はじめて議会の意義を認めてもらえるはずである。
 
 
議会がある事すら忘れ、遠い存在だと改めて感じている村民である。
 
行政の窓口のひとつを借りて、「議会課」があってもいいのではないか?


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