白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

東京にて

2008-08-18 | 日常、思うこと
8月15日11時53分発のぞみ12号9-7Aに腰を下ろし
昼食のサンドウィッチとプレミアムモルツを取り出して
顔をあげると、白鳥を模った特別仕様のギターを弾くことで
有名な某バンドのギタリストがちょうど、真横の列、9-7Dに
腰を下ろそうとしていた。
ステージ衣装と見紛うほどに煌びやかな、黒のラメ入り上下に
金色のアクセサリーを装い、香水を十二分に浴びているような
様子だった。
氏はおもむろに紙袋の中からファンレターと思しき多くの手紙を
取り出して、その一枚一枚に目を通していた。





永井荷風「断腸亭日乗」昭和8年から13年のあたりを熟読し
富士山の見えぬ車中を時間を慰めているうち、
13時33分東京駅着、中央線快速にてお茶の水に向かい、
各駅停車に乗り換え、さらに市ヶ谷にてメトロ有楽町線に乗り換え
麹町下車、2時過ぎに東京グリーンパレスに到着した。
チェックインの後、慌ただしく着替えを済ませ、再び麹町から
市ヶ谷を経由して都営新宿線に乗り、森下にて下車、
アンティークウォッチ専門店「ケアーズ」へと入った。





時計蒐集家と思しき先客が、店員に何やら嫌味のある言葉で
買いもしない時計のことをけたたましい調子で話しているのに
少しばかり軽蔑の一瞥を送ってから、品を定めることとした。
ジラール・ペルゴの1950年代クロノグラフ、
ユニバーサル・ジュネーブの1940年代3針モデル、
IWCの1941年スモールセコンドモデルなどを試した後、
結局最初に手に取った、IWCの1940年デッドストックの
3針モデルを購入した。
製造後68年間未使用であったものが、生まれて初めて
時計を買うという僕の手元に来るというのも、感慨深い。





4時半過ぎ、店を出て地下鉄に乗り、麹町に戻って
日本テレビ麹町ビル前のセブンイレブンにて夕食と酒類を
購ったのち、ホテルに戻った。
8月15日の九段・市ヶ谷付近は街宣車の運動があり、
警視庁の警備体制も強められていたようで、いたるところに
警官の姿があった。
僕の宿泊した東京グリーンパレスはイスラエル大使館の
真正面にあり、警察官が10名程度常駐している。
帝国ホテルなどよりも、こちらのほうが余程警備が手厚い。





夜はテレビを見、酒を飲み、就寝。





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8月16日午前7時、F氏より連絡が入り、
府中の森芸術劇場に既に向っている、と伝えられた。
何でも、入場券が売り切れになる恐れがあるという。
申し訳なくも券の手配を依頼し、身支度を整えたのち
麹町から市ヶ谷に出、京王直通急行橋本行きに乗車して
荷風を読みながら車中を過ごし、つつじヶ丘で各駅停車に
乗継ぎ、東府中にて下車、10時15分に府中の森芸術劇場に
到着した。
会場外では、券の売り切れを知らせる係員の声があちこちから
聞こえてきた。
F氏より無事に券を入手し、会場に入った。





昼休憩の折、BIFF氏、昨年はDREAMS COME TRUEの
レコーディング・ツアーに帯同したI氏と再会して握手し、
太ったな、と指摘された。
薬の副作用と酒量、喫煙頻度の減少が理由とはいえ、情けない。
午後2時55分からの後輩の演奏を聴き、T君のテナーサックスの
ソロに非常に感銘を受けた。
2か月前とは別人だった。
素晴らしい技術と感覚、理論を高度な次元で見事に統一していた。
あるサイトではなぎら健壱に似ていると指摘されていて
思わず噴き出したのだが、凄いプレイヤーである。
終演後、T君に、参った、と頭を下げた。
一緒に演奏してみたいと思うが、僕と演奏している暇など、
彼にはおそらくはないだろう。





午後5時、BIFF氏の運転するFUGAにI氏と共に乗り込み、
甲州街道から飛田給を過ぎ、調布から中央高速に乗車し、
北京五輪の話などを交わしながら車窓の外を眺めた。
新宿上空は暗黒の雲に覆われ、都庁は灰の中に飲まれている様相、
吉増剛造の書き留めた詩の速度を、高速道路に思ううちに
車ははや外苑出口、信濃町から新宿御苑前を経て、国立競技場、
北青山、BIFF氏宅に到着の後、タクシーを拾い新宿に向かった。





新宿西口にて、I氏が宴席手配に奔走し、店員と交渉の末に
安価かつ好条件での酒宴のセッティングをしてくれた。
氏いわく、歌舞伎町で飲み放題を500円まで値切ったことが
あるという。
午後6時半、BIFF氏、I氏とともに飲みはじめ、音楽論等
様々の内容にて談話したあと、午後9時半、京王新宿駅まで
宴席を共にするひとびとを迎えに行き、総勢25人の大宴会と
なった。
午前0時、酒宴をお開きとし、タクシーを拾い、BIFF氏宅
経由して麹町に帰った。
明治通りも青山通りも、交通量が甚だ少なかった。
東京の盆暮れの休み方はどこよりも決然としている。





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8月17日午前10時、ホテルをチェックアウトし、
市ヶ谷から神保町に出て、荷物をロッカーに預け、地上へ出た。
神田の古書店街も休み、神田藪そばも休み、古くからの喫茶店も
休みではどうしようもない。
田舎者の散策などこの程度である。
仕方なく、明治大学方面へ戻り、ニコライ堂から聖橋を渡り、
医科歯科大学を左折して本郷通りを歩き、春日通りも超えて
赤門から東京大学へ入った。





学生の姿はまばらでも、レンガ造りの古色蒼然とした建築物の
整然と並ぶ姿は、東大にしかない「重み」をはっきりとさせる。
文学部から三四郎池を巡り、安田講堂をぐるりと回って
法学部裏に至り、正門前に抜け、信号を渡って本郷の街へ入った。
40年前、安田講堂攻防戦の折にもテレビを傍らに麻雀に興じた
筋金入りのノンポリであった父は、東大正門前からわずかに
200mほどの所に住んでいたという。
父の住んでいたあたりをあてどなく歩いたあと、本郷三丁目で
軽食を取り、バスで上野広小路に至り、旧岩崎邸や大観記念館を
横目に池の端を歩き、引きかえして鈴本演芸場に入った。





あした順子・ひろし、5代目鈴々舎馬風、古今亭志ん輔、
江戸家小猫、三遊亭円歌が出演とあって会場は満席となっていた。
川柳川柳をこの目で見ることができたのは幸いなことだった。
終演は4時半を過ぎていたため、フェルメールや応挙、芦雪、
若冲、蕭白を観ることは叶わなかったものの、あした順子・ひろしを
見られたので、良し、とした。
上野広小路から三越前、神保町と地下鉄を乗り継いで、
荷物をロッカーから引き取り、そのまま府中へ向った。





府中にてI氏、F氏夫妻、書家と合流し、総勢45名の宴会となり、
中途BIFF氏も駆けつけた。
午前0時、I氏、F氏夫妻、書家とともに最終電車にて桜上水に至り、
タクシーにて小竹向原近くのI氏宅に向かい、朝まで痛飲、となった。
小竹向原近くに、学生時代の母が住んでいたことがある。
何だか、両親の下宿先めぐりのような旅となってしまった。





I氏とは随分と、さまざまを話した。
僕は随分情けない男だが、彼は随分、やさしい男である。





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8月18日、正午近くに起き、順番にシャワーを浴びて
身支度を整えたのち、渋谷に出、ラーメンを食し、
I氏と別れ、大阪に戻るF氏夫妻と書家と席を分けぬように
手配の後、山手線で品川に向かい、14時27分発のぞみ243号
14-9Bに座り、うわ言のように書家と話しながら、
椅子の背もたれ越しに見える、F氏夫妻の寄り添って眠る姿を
眺めていた。





16時過ぎ、彼らと別れを告げ、名古屋に降りた。





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そろそろ、さまざまなことに、潮時であると思う。
思いが届かずに墜落して、声を届けても、返ってくることは
なくなって、という、幾度も繰り返して枯れ果ててきたことが
また、起こっていて、どうしようもなくなって、とまあ、
疲れてしまった。





思いびとのこと、ピアノのこと、
夢を追う前に挫折してしまったのだし、
待っていてほしいと願っていても、待つはずがなかったのだ。





僕はいくつかの縁を切ろうと思っている。





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書家が、I氏の言葉は当たる、そのとおりになる、といった。
そのとおりになるのだろうか。


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