花火の宇宙が消滅したあと、硝煙くすぶる一面の葦原は
雄大に沈思する大河を撫で渡ってきた涼風にさざらと揺れ、
見上げれば、数千光年の銀河の群れ、恒星、大三角、プレアデスを、
水墨の薄く延ばされた雲が時折僕の目から遮断した。
深更、虚空から切断しておいた、消滅した花火宇宙たちを
タロットのように並べて、眠る。
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『理論があって絵があるのではありません。
あるとすればそれは追随です。
絵があって理論があるのではありません。
あるとすればそれは批評の分野です。
製作を通じての思索と苦しい試行錯誤のなかから
あふれ出たものが、そのひとそれぞれの
「絵のことば」になるのでしょう。
直観的に強い絵ではなく、
漸達的にして追々に光輝を発する絵。
絵を慈母のごとく仰いでその懐中に抱かれんとする者、
美的礼拝者 . . . 本文を読む
感覚と思想が矛盾無く調和していることにこしたことはなく、
両者の弁証的、対立的な関係のどこかに一致点を持ち、
それが歴史の発展の力になっていることが望ましい。
しかし、われわれの時代の宿命的な不幸は、それら両者に
調和も統一もない、感覚と思想の分裂のみが存在することだ、と
唐木順三は述べた。
唐木の言葉を引こう。
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非現実の存在を肯定的に捉えることにより、
空間や時間の因果律から逃れた「影画の世界」において
シュール・レアリスムが試みた奔放な空想、狂気、妄想の
表出による、科学的世界観への平手打ちと現実からの脱走も、
芸術が、芸術と信じられた時代であったからこそ有効であった。
作品に対する鑑賞者の能動的な観照のエネルギーが摩滅し、
ただ、作品が受容されるがままに過ぎ去られる現在では、
芸術作品から我々が受ける . . . 本文を読む
世の中には、孫をひざに抱き、預金通帳を見せ、
「さあ、○○ちゃん、ここ見てごらん。
そうそう、そこそこ。
さあ、0の数が、いくつあるか、数えてみようかぁ。
いーち、にー、さーん、しー、ごー、ろーく、しーち、
はーち、・・・ほーら、8つもあったねぇ、うひひひひ。
億っていうんだよ、これねえ、いひひひひ。」
と笑う爺がいるそうであるが、
これぞ人間であり、小市民であり、愛らしいことこの上 . . . 本文を読む