もし、自分の願いを叶える戸籍を、自分の手で作れたら、
それはどんなに、幸せなことだろう。
大切に思ってきたひととの戸籍を作れるとしたら。
そのひとが幸せになれるように、これからずっと、
チカラを尽くしていけるなら。
でも、自分の手で、そうした自分の願いを永遠に叶わなくする戸籍を、
自分の手で作らなければならないなら、
僕はどうやって、自分を保てばいいのだろう。 . . . 本文を読む
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近鉄特急アーバンライナーには、
デラックスシートという1+2列の席がある。
1人掛けの方に腰をおろして、
内田百「阿房列車」を読んでいるうちに
三重ははやくもうしろの遠くへ過ぎた。
青山トンネルの長い闇を過ぎて
伊賀路に入ったところで車窓の外を初めて眺めると、
空から地へと、灰暗の雲が垂れ込めていた。
銅の錆びたような色の新緑が、
瘤のように、
山々の総身を内側から突き伸ば . . . 本文を読む
やっぱり僕は薔薇を届けたいのだと思う、
と、喉の底の水琴窟に、滴り落ちて、響く。
埋もれていく、埋もれていく、埋もれていく。
瑠璃光の寺の沈めるフィギュールの、
列柱回廊の、笑みを浮かべて銀傘を差す象眼猫。
埋もれていく、埋もれていく、埋もれていく。
床一面に散りかかった華の髪の死を一瞥もせず、
釉薬がかった肌をして、鏡のなかの女になる。
糸水銀、 . . . 本文を読む
学生時代のことだから、もう7年も前のことになる。
京都・東山の国立博物館では、レンブラントの展覧会が
大々的に開催されていた。
卒業論文の提出を控えた時期ではあったものの、
折角の機会を逸するのも口惜しくて、観にいこうと思い立って
ある日、阪急石橋駅から十三駅まで出た。
しかし、京阪電車に乗るためにわざわざ淀屋橋まで出るのが
何とも億劫で、そのまま阪急京都線に乗り換えてしまった。
普段なら、予め決 . . . 本文を読む
祖父は、今生きていれば、今日でちょうど90歳。
21年も前に死んだから、もう殆ど覚えていない。
黄疸でからだは真っ黄色、黄河で泳いだようなふうになり、
歩くこともできないくらいに衰え弱って、
座敷を這いずって、病院からの迎えの車に乗るために
玄関のほうへそろそろ進んで消えていった、
その痩せたくるぶしを見たのが、僕の見た最後の姿だった。
おじいちゃん、よくなるよ、と、話しかけた覚えがある . . . 本文を読む
心拍が刻む時間を標準時が追い越していった。
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高原にあって、薄明、霧を身にからめ取りながら
歩いていた。
濡れ草の匂い、深く、
斑点状に乾きはじめた土の道の端に残っている
青銅色をした水盤の面を翅虫が漂った。
ぼくはどうにも生まれ間違えたような気がした。
このあとを躓かずに歩くことがどうにも出来る
気がしなかった。
. . . 本文を読む
5月31日、6月1日、神戸に滞在した。
大学時代に所属していたサークルの同期のひとの
結婚披露パーティに招待されたためだった。
宿をホテルオークラに定め、
この二日間、神戸の街、三宮、元町、旧居留地、
メリケン波止場、ハーバーランド、北野を歩いた。
ロビンソン神戸での昼食、フォリフォリの贈り物、
メリケン波止場の散策、遊覧船での神戸港周遊、
モザイクから眺め見たコンチェルトウェ . . . 本文を読む
空一面の音の雲
圧殺するような 鈍重な 鉛の
原爆の霞のような雲
それは午睡する漆黒の森を捻じ曲げる風渡りの鬼の腕
灰暗の雲
「光が群れ群れて重なり合い
そのために暗くさえ感じられる
純粋な 自己矛盾 昏さ」
(リルケ)
掴み取ろうにも
指はすでにちりちりと風化してしまっているではないか
遮光
射光
地表を穿つその巨大な錐が
この皮膚と心の
分厚い外殻を割 . . . 本文を読む