糸水銀の針の雨 降りしきる
糸水銀の針の雨 降りしきる
大宇宙の銅盤へ
糸水銀の針の雨 降りしきる
捲れあがる天蓋の傘へ
緋色の羅針が 剥がれ落ちる
糸水銀の針の雨 降りしきる
墜落するアンドロメダへ
碧玉の十字架上から
花火するペルセウスへ
あの忌まわしき 破裂した朝
結界の化粧を
破るように 落下する
大星雲 . . . 本文を読む
まず、ことばにできるものについてみてみよう。
ヴォルテールは、人間は自分の考えていることを隠すために
ことばを使うのだ、と述べた。
それは、ことばの使い手の正体が白日の下にさらされた状態、
いわば、まるはだかの自己の意識を、
ことばによって服を着せることで隠蔽し、
自分を食い破ろうとする外敵の侵入を拒むために
ことばが生まれたということを意味する。
ことばこそが「個別な人格」を生むのは疑 . . . 本文を読む
先に述べたように、ブログというメディアは
書き手を透かして見せるのにとても有用なものだが、
日本のブログの殆どは、個人の日記として書かれていて、
書き手が、自分が誰であるか知られていることを前提に
文章を書いている。
実は、日本のブログのアイデンティティはまさに、
「自分のことを読み手が知っている」ことに
委ねられている。
日本において、ブログの目的のほとんどは、
書き手と読者の両方が参 . . . 本文を読む
まとめ。
ブログというメディアにおいては、書き手自身が
自らの意識の働き方をあらかじめ決めている。
そして、書き手自身が常に読み手の視点を保ちながら、
自分の文章の「行間」を、まるで他人のものを読むように
意識出来るようにもなっている。
スタイルシートによって書き手の意識の働き方について
一定の規制をかけると同時に、
書き手の無意識の働きをも表示することが出来るという点で、
ブログの、表 . . . 本文を読む