この三連休は、運転免許の更新等のために帰省した。
日曜の朝に、妹の結婚を祝うために、父の兄弟姉妹のうち
存命の6人が実家に来ることになっていたらしかったが、
僕はその朝に免許センターに出掛けたので、会っていない。
家に戻ると、東京大丸で買い求めた虎屋の季節の羊羹は、
一棹丸ごとなくなっていた。
その朝は、混雑を見こして、朝早くに出掛けたのだが、
着いたときには駐車場は既に一杯になっていて、
教習コースへの臨時駐車が行われていた。
果たして、ロビーは受付を待つ人間で溢れ返っている。
最後尾に並んで、順を待ちつつ進んでいくうち、
眼の前にひとりの男が割り込んできたので、一喝した。
免許センターは、こうした混雑を見こしていて、
おそらくは目一杯の人員を動員して稼働したのだろう。
優良運転者講習と併せて、更新手続きは1時間ほどで終わり、
僕は、日曜の朝9時半に、出先で早くも暇になってしまった。
はてさて一体どうしたものか、と思案しながら歩いていると、
遷宮に抱き合わせた旅行商品のポスターが視界をかすめた。
そうして不図、伊勢参詣を思い立ち、近鉄の駅へと向かうと、
発車間際の特急に飛び乗り、宇治山田駅に着いたのだった。
昭和5年に完成した宇治山田駅は、旧阪急梅田駅や旧南海難波駅、
東武浅草駅にも劣らぬ、装飾性と機能性に優れた建築であり、
国家神道における「都」であった当時の伊勢の玄関口に相応しい
堂々たる外観を誇っている。
駅前では、小学校高学年と思しき子供らが、核兵器廃絶を訴える
署名活動を、観光客に声掛けをして行っていた。
路線バスは、外宮を経由して、内宮へと走る。
遷宮に伴う特需は、産業分野を問わず、多大な経済効果をもたらす。
この仕組みは開帳と同じだ。
この日は好天に恵まれ、観光客、参拝客の数は普段の数倍はあった。
バスは東京の地下鉄並みに混雑し、積み残しさえも起こっていた。
内宮まであと2kmほどのところで、御幸通りが渋滞し始めた。
沿道には、付近の住民が無届けで営んでいるらしい、
臨時の駐車場もちらほら見られる。
1回、2000円という看板が立っている。
ずいぶんと罰当たりな気がする。
周りの車両の様子を車窓から眺めた。
「愛知痛車連合」なるステッカーを張った、贅沢なスポーツカーに
いわゆる萌えアニメのキャラクターを車体全体にあしらったものを
10台ほど追い越した。
痛車というものを初めて見た。
ハーレー・ダビッドソンの群れも見える。
沿道に伊勢うどんの店も見える。名をエリントンという。
さすが、八百万の神を奉ずる嶋だ。
内宮前のおはらい町は、休日の原宿竹下通りよろしく、
人波溢れて渋滞して、なかなか前へと進むことが出来ない。
炎暑は落ち着きつつあるとはいえ、日蔭の無い通りの混雑は、
さすがに、夏に疲れた身にこたえる。
往来するひとの殆どは、赤福の包みを手に提げている。
このおはらい町そのものが、赤福が作りだした町並みなのだが、
一体どれだけのひとが、そのことをを知っているのだろうか。
また、食事処は、ほとんどがおひとりさま対象外のようで、
基本の価格帯は概ね2000円と、随分割高のようだ。
中には、松阪牛ステーキ膳を8000円で供する店もある。
早々に、昼食をあきらめることにした。
宇治橋では、はるか東京から来たらしい障害者のひとびとが
車椅子を押されて渡る姿を見た。
おはらい町と変わらぬ混雑である。
渡り終えて右へ折れると、玉砂利を敷き詰めた広大な道がある。
静かな日の神宮は、京都の御所のそれに似た印象があるが、
今日は流石にそうはいかないようだ。
1kmほどの参道で、ひとの流れの絶えることはなかった。
途中、五十鈴川へと下りて、手水場で手と口を濯いでから、
参道へ戻り、正宮を目指すと、
やがて、正宮前の石段を埋め尽くすひとびとの姿が眼に入った。
近年のパワースポットブームの影響なのは間違いない。
参拝するひとの層が変わっていた。
子連れの女性の群れ、女子大生の群れ、カップルの群れが
片手にスピリチュアルな雑誌を持ち、次はここ、次はあそこ、
盛んに巡礼の話をしていたからだ。
写真や動画の撮影は、石段の下をもって禁止となるのだが、
そんなことには一切構わぬ様子である。
それでも、ふだんあまり関わり合いになりたくない風情、風体、
あるいは柄の方々も、神様の前では一応おとなしく並んでいる。
そして、きちんと順番を待っている。
何とも滑稽だが、いかにも日本人らしい姿だ。
ちなみに、近年パワースポットとして名高くなった、
明治神宮の清正の井戸は、数年前まではゴミ捨て場で、
蚊が湧き、神宮で働く人は近寄らなかった場所だそうだ。
それに、明治神宮が現在鎮座している地は、
神宮造営以前は一面の荒野だったというのだから、
その伝承も、甚だ怪しく思われてくるのだが・・・
天照大御神はイザナギが冥界からの帰途、穢れを祓おうとして
左眼を洗ったときに生まれ落ちた太陽神である。
それゆえ正殿は東を背に建てられている。
女の神であり、豊穣の神でもある。
段を昇りきるのに30分、さまざまに思い、想い、あるいは祈り、
そうして本殿に真向かった瞬間に、
東風吹いて、俗人の視界と神域を隔てる門に掛かった布が
ふわりと捲れあがって、神域が眼前に拡がった。
身ぶるいがした。
「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
(西行)
僕は俗人ゆえか、マリリン・モンローの映画よろしく、
天照大御神の衣が風に捲れるのを思った。
水浴して衣を奪われる女神は、日本の神話に多く登場するが、
こんな罰当たりの参拝で、果たしてよかったのだろうか。
日曜の朝に、妹の結婚を祝うために、父の兄弟姉妹のうち
存命の6人が実家に来ることになっていたらしかったが、
僕はその朝に免許センターに出掛けたので、会っていない。
家に戻ると、東京大丸で買い求めた虎屋の季節の羊羹は、
一棹丸ごとなくなっていた。
その朝は、混雑を見こして、朝早くに出掛けたのだが、
着いたときには駐車場は既に一杯になっていて、
教習コースへの臨時駐車が行われていた。
果たして、ロビーは受付を待つ人間で溢れ返っている。
最後尾に並んで、順を待ちつつ進んでいくうち、
眼の前にひとりの男が割り込んできたので、一喝した。
免許センターは、こうした混雑を見こしていて、
おそらくは目一杯の人員を動員して稼働したのだろう。
優良運転者講習と併せて、更新手続きは1時間ほどで終わり、
僕は、日曜の朝9時半に、出先で早くも暇になってしまった。
はてさて一体どうしたものか、と思案しながら歩いていると、
遷宮に抱き合わせた旅行商品のポスターが視界をかすめた。
そうして不図、伊勢参詣を思い立ち、近鉄の駅へと向かうと、
発車間際の特急に飛び乗り、宇治山田駅に着いたのだった。
昭和5年に完成した宇治山田駅は、旧阪急梅田駅や旧南海難波駅、
東武浅草駅にも劣らぬ、装飾性と機能性に優れた建築であり、
国家神道における「都」であった当時の伊勢の玄関口に相応しい
堂々たる外観を誇っている。
駅前では、小学校高学年と思しき子供らが、核兵器廃絶を訴える
署名活動を、観光客に声掛けをして行っていた。
路線バスは、外宮を経由して、内宮へと走る。
遷宮に伴う特需は、産業分野を問わず、多大な経済効果をもたらす。
この仕組みは開帳と同じだ。
この日は好天に恵まれ、観光客、参拝客の数は普段の数倍はあった。
バスは東京の地下鉄並みに混雑し、積み残しさえも起こっていた。
内宮まであと2kmほどのところで、御幸通りが渋滞し始めた。
沿道には、付近の住民が無届けで営んでいるらしい、
臨時の駐車場もちらほら見られる。
1回、2000円という看板が立っている。
ずいぶんと罰当たりな気がする。
周りの車両の様子を車窓から眺めた。
「愛知痛車連合」なるステッカーを張った、贅沢なスポーツカーに
いわゆる萌えアニメのキャラクターを車体全体にあしらったものを
10台ほど追い越した。
痛車というものを初めて見た。
ハーレー・ダビッドソンの群れも見える。
沿道に伊勢うどんの店も見える。名をエリントンという。
さすが、八百万の神を奉ずる嶋だ。
内宮前のおはらい町は、休日の原宿竹下通りよろしく、
人波溢れて渋滞して、なかなか前へと進むことが出来ない。
炎暑は落ち着きつつあるとはいえ、日蔭の無い通りの混雑は、
さすがに、夏に疲れた身にこたえる。
往来するひとの殆どは、赤福の包みを手に提げている。
このおはらい町そのものが、赤福が作りだした町並みなのだが、
一体どれだけのひとが、そのことをを知っているのだろうか。
また、食事処は、ほとんどがおひとりさま対象外のようで、
基本の価格帯は概ね2000円と、随分割高のようだ。
中には、松阪牛ステーキ膳を8000円で供する店もある。
早々に、昼食をあきらめることにした。
宇治橋では、はるか東京から来たらしい障害者のひとびとが
車椅子を押されて渡る姿を見た。
おはらい町と変わらぬ混雑である。
渡り終えて右へ折れると、玉砂利を敷き詰めた広大な道がある。
静かな日の神宮は、京都の御所のそれに似た印象があるが、
今日は流石にそうはいかないようだ。
1kmほどの参道で、ひとの流れの絶えることはなかった。
途中、五十鈴川へと下りて、手水場で手と口を濯いでから、
参道へ戻り、正宮を目指すと、
やがて、正宮前の石段を埋め尽くすひとびとの姿が眼に入った。
近年のパワースポットブームの影響なのは間違いない。
参拝するひとの層が変わっていた。
子連れの女性の群れ、女子大生の群れ、カップルの群れが
片手にスピリチュアルな雑誌を持ち、次はここ、次はあそこ、
盛んに巡礼の話をしていたからだ。
写真や動画の撮影は、石段の下をもって禁止となるのだが、
そんなことには一切構わぬ様子である。
それでも、ふだんあまり関わり合いになりたくない風情、風体、
あるいは柄の方々も、神様の前では一応おとなしく並んでいる。
そして、きちんと順番を待っている。
何とも滑稽だが、いかにも日本人らしい姿だ。
ちなみに、近年パワースポットとして名高くなった、
明治神宮の清正の井戸は、数年前まではゴミ捨て場で、
蚊が湧き、神宮で働く人は近寄らなかった場所だそうだ。
それに、明治神宮が現在鎮座している地は、
神宮造営以前は一面の荒野だったというのだから、
その伝承も、甚だ怪しく思われてくるのだが・・・
天照大御神はイザナギが冥界からの帰途、穢れを祓おうとして
左眼を洗ったときに生まれ落ちた太陽神である。
それゆえ正殿は東を背に建てられている。
女の神であり、豊穣の神でもある。
段を昇りきるのに30分、さまざまに思い、想い、あるいは祈り、
そうして本殿に真向かった瞬間に、
東風吹いて、俗人の視界と神域を隔てる門に掛かった布が
ふわりと捲れあがって、神域が眼前に拡がった。
身ぶるいがした。
「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」
(西行)
僕は俗人ゆえか、マリリン・モンローの映画よろしく、
天照大御神の衣が風に捲れるのを思った。
水浴して衣を奪われる女神は、日本の神話に多く登場するが、
こんな罰当たりの参拝で、果たしてよかったのだろうか。
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