先週日曜は、いつものように本郷、東大前から言問通り、
根津へ折れて、芸大裏から上野へと歩いた。
国立博物館では「皇室の名宝」として、天皇家が所有し
一般にはあまり目に触れないものばかりを展示していた。
狩野永徳、伊藤若冲、円山応挙、酒井抱一など、近世の
日本絵画の粋から、明治以降の帝室技芸員であった
横山大観や橋本雅邦、下村観山に川合玉堂と、
絵画部門だけでも完璧な構成である。
尤も、明治以降の作品のなかには、思わず首を傾げたく
なるような代物もないわけではない。
しかし、、若冲の動植栽絵30幅は圧巻だった。
永徳も応挙も正直にいえば、かすんで見えた。
これに比肩して見えたのは酒井抱一だけ、あの大観の
「臣」と署名してまで描いた大作屏風に、印象はない。
むしろ圧倒的であったのは工芸のほうで、象嵌、蒔絵、
彫刻、七宝、硝子など、今はもう失われてしまった
日本の職工の、最高の技術の粋、結晶が一堂に会する
その様は壮観というほかになかった。
その後、木曜まではさまざまの催しことに駆り出され、
外務大臣に挨拶したり、かの「IT革命」という言葉で
流行語大賞をとったひとの講義を聴いたり、
一日中イベントの差配をしたり、
日本橋で江戸前寿司の本流を味わったりしてから、
金曜、沖縄に飛んだ。
根津へ折れて、芸大裏から上野へと歩いた。
国立博物館では「皇室の名宝」として、天皇家が所有し
一般にはあまり目に触れないものばかりを展示していた。
狩野永徳、伊藤若冲、円山応挙、酒井抱一など、近世の
日本絵画の粋から、明治以降の帝室技芸員であった
横山大観や橋本雅邦、下村観山に川合玉堂と、
絵画部門だけでも完璧な構成である。
尤も、明治以降の作品のなかには、思わず首を傾げたく
なるような代物もないわけではない。
しかし、、若冲の動植栽絵30幅は圧巻だった。
永徳も応挙も正直にいえば、かすんで見えた。
これに比肩して見えたのは酒井抱一だけ、あの大観の
「臣」と署名してまで描いた大作屏風に、印象はない。
むしろ圧倒的であったのは工芸のほうで、象嵌、蒔絵、
彫刻、七宝、硝子など、今はもう失われてしまった
日本の職工の、最高の技術の粋、結晶が一堂に会する
その様は壮観というほかになかった。
その後、木曜まではさまざまの催しことに駆り出され、
外務大臣に挨拶したり、かの「IT革命」という言葉で
流行語大賞をとったひとの講義を聴いたり、
一日中イベントの差配をしたり、
日本橋で江戸前寿司の本流を味わったりしてから、
金曜、沖縄に飛んだ。
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