音楽も、また、生きていくこと自体も、
独り占めしたくないな、と、思うようになった。
だから、そう望んで、動いているけれど、
なかなかうまくいかなくて、煩悶したりもする。
理由が全部、じぶんにあるから、
逃げ場もないし、貼られたレッテルは剥がしにくい。
ひとの痛みや気持ちがよくわからないから、
じぶんをなかなか肯定できない。
じぶんを大切にしてこなかったから、
いきおい、わがままで勝手になり、
自制を失って、狭い論理で物事を運ぼうとするようになった。
その結果、ひとを蔑ろにして、大切にしなくなり、
なりたくなかったはずのものに、みずから進んでなっていく。
鏡を見れば、ずいぶん醜い顔になっていて、
齢ばかり重ねてしまって、何ひとつも、出来ていない。
ひとが離れていく理由やら、結果が出ない理由やらを考えていると、
どうしても、じぶんの資質と行為に起因している、という結論に行きつく。
ああ、そういう定めなんだ、許されないんだ、
望んではいけないんだ、となって、閉じこもっていくうちに、
一切をあきらめることで、納得しようとして、
あ、もう、無いんだ、というところに行きついて、
狂いそうになったので、考えるのをやめた。
ピアノを誰にも習わなかったのは、
幼いころ、母親に、ピアノを教えて、とねだったら、
忙しいから、と、断られたからなのかもしれない。
思い返してみると、幼いころの、母親との記憶は全くない。
代わりに、父親に連れ回され、よく殴られていた。
学校ではいじめられ、教師にも目の敵にされ、告発は封じられ、
褒められたことや、認められたこと、そうした実感が、全くない。
ただ、周りはそんなつもりが全くない、ということに感づいたから、
言うのをやめて、封じた。
だから、何も期待しないし、じぶんに何も、望んではいなかった。
他人に優しくするふりをして、その実、復讐していた。
それに気づいて、ひとは、近寄らず、あるいは、去った。
甘えたかったし、抱きしめられたり、
褒められたりはしたかったはず。
だからか、必要とされたり、感謝されると、
どうしていいかわからない。
まず、疑う。そのくせ、過剰に協力し、自己開示もする。
音楽にしろ、仕事にしろ、自己実現ではなく、
存在承認の欲求から発していた自覚がある。
なりたい自己がないわけだから、目標もないし、意欲もない。
学ぼうともしない。
それが、今も続いてしまっているのだろう。
セルフネグレクト、として。
昨年、実妹が出産のために、
姪っ子を連れて、故郷に帰ってきた。
姪っ子とは仲良くやっていて、
彼女は僕を、お兄ちゃん、と呼んでいた。
彼女は、お兄ちゃんを元気にするために生まれてきたんだよ、などと、口にした。
あるとき、両親と、妹家族が、仲睦まじくしているのを、
遠くからみつめたときに感じた疎外感が、
初めてではないように感じた。
そこで、気づいたのかもしれない。
幼少期はほぼ、僕は祖父母に預けられていた。
親しんでいた祖父は、ずいぶん早くに亡くなってしまった。
もちろん、両親から、愛情はたくさん受けていると思うけれど、
無意識下では、どこか、欠落があるような気もしている。
もしかすると、まるごと肯定されることがなかったから、
その代償行動として、同じだけのものを他人に求めたのかもしれない。
それは、他人からすれば、迷惑極まりないことだ。
じぶんを、悲しいと感じ始めた。
じぶんを見つめ、少しずつ受け入れていくなかで、
おのれに真摯に、誠実になろうとし、
ものごとにひたむきに向かうように心がけ、
ひとびとに申し訳なく思いながら、じぶんのしあわせを願うなかで、
そのひとのしあわせを願うようになり、チカラになりたくもなった。
しかしそれは、叶わない。
一切は、じぶんのせいであって、僕がわるい。
糸は、ぷつり、と、切れてしまった。
独り占めしたくないな、と、思うようになった。
だから、そう望んで、動いているけれど、
なかなかうまくいかなくて、煩悶したりもする。
理由が全部、じぶんにあるから、
逃げ場もないし、貼られたレッテルは剥がしにくい。
ひとの痛みや気持ちがよくわからないから、
じぶんをなかなか肯定できない。
じぶんを大切にしてこなかったから、
いきおい、わがままで勝手になり、
自制を失って、狭い論理で物事を運ぼうとするようになった。
その結果、ひとを蔑ろにして、大切にしなくなり、
なりたくなかったはずのものに、みずから進んでなっていく。
鏡を見れば、ずいぶん醜い顔になっていて、
齢ばかり重ねてしまって、何ひとつも、出来ていない。
ひとが離れていく理由やら、結果が出ない理由やらを考えていると、
どうしても、じぶんの資質と行為に起因している、という結論に行きつく。
ああ、そういう定めなんだ、許されないんだ、
望んではいけないんだ、となって、閉じこもっていくうちに、
一切をあきらめることで、納得しようとして、
あ、もう、無いんだ、というところに行きついて、
狂いそうになったので、考えるのをやめた。
ピアノを誰にも習わなかったのは、
幼いころ、母親に、ピアノを教えて、とねだったら、
忙しいから、と、断られたからなのかもしれない。
思い返してみると、幼いころの、母親との記憶は全くない。
代わりに、父親に連れ回され、よく殴られていた。
学校ではいじめられ、教師にも目の敵にされ、告発は封じられ、
褒められたことや、認められたこと、そうした実感が、全くない。
ただ、周りはそんなつもりが全くない、ということに感づいたから、
言うのをやめて、封じた。
だから、何も期待しないし、じぶんに何も、望んではいなかった。
他人に優しくするふりをして、その実、復讐していた。
それに気づいて、ひとは、近寄らず、あるいは、去った。
甘えたかったし、抱きしめられたり、
褒められたりはしたかったはず。
だからか、必要とされたり、感謝されると、
どうしていいかわからない。
まず、疑う。そのくせ、過剰に協力し、自己開示もする。
音楽にしろ、仕事にしろ、自己実現ではなく、
存在承認の欲求から発していた自覚がある。
なりたい自己がないわけだから、目標もないし、意欲もない。
学ぼうともしない。
それが、今も続いてしまっているのだろう。
セルフネグレクト、として。
昨年、実妹が出産のために、
姪っ子を連れて、故郷に帰ってきた。
姪っ子とは仲良くやっていて、
彼女は僕を、お兄ちゃん、と呼んでいた。
彼女は、お兄ちゃんを元気にするために生まれてきたんだよ、などと、口にした。
あるとき、両親と、妹家族が、仲睦まじくしているのを、
遠くからみつめたときに感じた疎外感が、
初めてではないように感じた。
そこで、気づいたのかもしれない。
幼少期はほぼ、僕は祖父母に預けられていた。
親しんでいた祖父は、ずいぶん早くに亡くなってしまった。
もちろん、両親から、愛情はたくさん受けていると思うけれど、
無意識下では、どこか、欠落があるような気もしている。
もしかすると、まるごと肯定されることがなかったから、
その代償行動として、同じだけのものを他人に求めたのかもしれない。
それは、他人からすれば、迷惑極まりないことだ。
じぶんを、悲しいと感じ始めた。
じぶんを見つめ、少しずつ受け入れていくなかで、
おのれに真摯に、誠実になろうとし、
ものごとにひたむきに向かうように心がけ、
ひとびとに申し訳なく思いながら、じぶんのしあわせを願うなかで、
そのひとのしあわせを願うようになり、チカラになりたくもなった。
しかしそれは、叶わない。
一切は、じぶんのせいであって、僕がわるい。
糸は、ぷつり、と、切れてしまった。