![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/4b/65d3be7610696d2b6257636a1c8662d0.jpg)
以下 見苦しい文字が並んでいますから
望まない方は ブラウザを閉じてください
ほんとうは 大阪には行かないつもりでした
まだ傷が癒えていないような気がしていましたし
それに いったん棄てるとまで言い切った場所に
女々しくのこのこと出かけていく無神経さや
恥を知らない厚かましさが気にかかりましたから
それでも 行くことにしましたのは
複数の先輩からの誘いと 勧めがあったゆえのこと
日ごろ お世話になっていることもありましたから
今回 大学時代の軽音楽部の会合に
出席をさせていただくこととしたのです
金曜 会場となるホテルに入りましたが
ホテルの周囲にはコンビニエンスストアの類はなく
そうかといって ひとりレストランで食事をとるのも
なんとなく気が引けてしまいまして
自販機コーナーで冷凍食品と酒類を買い求めまして
一気にそれをかきこみまして
マッサージを受けてから その日は早く眠りました
************************
今回の大阪への旅は
出来るだけ 思い出の場所に行こうと思っていました
大学時代に住んでいた箕面市桜井や
牧落駅近くの喫茶店や 石橋駅付近の居酒屋
豊中病院前のカフェや 国道176号池田駅前あたりまで
点在しているかつての友達たちの旧宅のあたり
そして 高槻市の元社員寮など
もう二度と行かない場所を巡ろうと思っていました
ひとはよく 知ってか知らずか 死や節目の直前に
自らの足跡を巡ろうとするそうですから
あまり縁起はよくないことだな と思ったのですが
結局 日曜にそれらを巡りました
事前の予想通りに 金曜は誰とも会わず
日曜も 誰とも会わずに早朝からそんなことをして
疲れてしまいまして 大阪空港で4時間座っていました
************************
土曜日は 朝から演奏のリハーサルでした
寄せ集めのメンバーでも どこをどう演奏すべきか
暗黙知を共有しているために
それなりにはまとまります
それにひきかえ こちらはというと
手がしびれ指が震えて痛んで回ってくれません
そういえば どことなく金曜から
本当にこのあたりが あれほど思い入れていた場所で
なじんでいた場所なのか わからなくなっていました
表面ではうまく繕って笑ってはいたのですけれど
それはそれで 結構しんどかったのです
久し振りに顔を合わせるひとたちに挨拶などしまして
そうこうしているうちに会合が始まります
酒をがぶ飲みして自分の番を待ち
こけおどしの身振りと 下手な演奏を散らかしました
酔っぱらっていたものだから気分だけはよかった
そうしてふざけているうちに会合も終わりまして
タクシーで石橋駅へ向かいまして
なじんでいたはずの居酒屋に行きましたが
落ち着くはずの場所で落ち着かず
醒めているのに 酒が飲めなくなってしまいました
そして ある時を境にして 心拍が上がり
呼吸がしにくくなってしまいました
自分がここにいていいのかがわからなくなってしまい
いてはいけない いるべきじゃないと思えてきまして
逃げるように店を出ました
サークル棟で セッションをやっている という話を
聴いたものですから
そちらへいこう と思いました
けれど扉の前まで行き 音も聞こえているというのに
とうとう扉をあけることが出来なかったわけでして
中央環状まで歩いて タクシーを拾って帰ったときは
まだ 22時にもなっていませんでした
*************************
日曜 なじんでいたはずの街が見知らぬ街のようで
おそろしく不安になって
いろんな場所を歩いたのですが
結局不安は消えないまま大阪空港に着いてしまいました
やはり 棄てると決めた瞬間に
こちらも棄てられていたのだろうなと思います
本当は ずっと関西で過ごして
夙川あたりに住みたいと思っていました
どうやら妹夫婦がそこに住むらしいのですが
第一 義理の弟となるはずのひとの顔と名前を知らない
式の日取りも聞いていない
なぜだとは思うのですが
まあそれは 別の話です
*************************
結論としていうと とても大切なもの
大袈裟にいえば命の理由にも近しかったものが
なかったことになっている
はじめからないものということになっているのを
感じたということです
徹底的でした
それはそうだろうと思います
しかたがない もうどうしようもないのだから
こちらもどうしていいかわからないや あはは と
冗談にしてしまえる状態にまでなっていなかった
こちらが悪いのでしょう
何も出来る気がせず 何も出来やしませんでした
それにしても 癒えていないと思っていたら案の定
また ばっさりと傷口が開いてしまったような感覚
まあ ナタでもって 心身をめった切りにされるような
そんな状態だった一年半前のころがフラッシュバックで
いま血みどろの気分ですけれど
でもそれらいっさいは自分の問題ですので
誰も気にする必要はない
平穏無事な日々をどうぞ送ってください と祈るばかり
こんな10年なら棄ててしまえばいいと思ったのは
僕自身なのですから業も苦もこちらに来ればいいのです
助けを求めることはゆるされないませんから
ひとりでいることにしますけれども
ひとりでいることが長すぎますと
誰とどう話をしていいのかも忘れてしまいそうになるので
思わず 高校のころの 4年間の失語期間を思い出します
いつか一度でいいから 誰かと旅がしてみたいと思うのは
贅沢なのでしょうね
**************************
幹事の皆様方 おつかれさまでした
ありがとうございました
演奏してくださった方々 ありがとうございました
あのような演奏で 申し訳ありませんでした
そこに集っていた皆さま ありがとうございました
今後 大阪に行くことがあるのか
ピアノを弾くことがあるのか
お会いすることがあるのかわかりませんが
また逢う日まで さようなら
皆さまのご多幸ご健勝を祈願して 万歳三唱
望まない方は ブラウザを閉じてください
ほんとうは 大阪には行かないつもりでした
まだ傷が癒えていないような気がしていましたし
それに いったん棄てるとまで言い切った場所に
女々しくのこのこと出かけていく無神経さや
恥を知らない厚かましさが気にかかりましたから
それでも 行くことにしましたのは
複数の先輩からの誘いと 勧めがあったゆえのこと
日ごろ お世話になっていることもありましたから
今回 大学時代の軽音楽部の会合に
出席をさせていただくこととしたのです
金曜 会場となるホテルに入りましたが
ホテルの周囲にはコンビニエンスストアの類はなく
そうかといって ひとりレストランで食事をとるのも
なんとなく気が引けてしまいまして
自販機コーナーで冷凍食品と酒類を買い求めまして
一気にそれをかきこみまして
マッサージを受けてから その日は早く眠りました
************************
今回の大阪への旅は
出来るだけ 思い出の場所に行こうと思っていました
大学時代に住んでいた箕面市桜井や
牧落駅近くの喫茶店や 石橋駅付近の居酒屋
豊中病院前のカフェや 国道176号池田駅前あたりまで
点在しているかつての友達たちの旧宅のあたり
そして 高槻市の元社員寮など
もう二度と行かない場所を巡ろうと思っていました
ひとはよく 知ってか知らずか 死や節目の直前に
自らの足跡を巡ろうとするそうですから
あまり縁起はよくないことだな と思ったのですが
結局 日曜にそれらを巡りました
事前の予想通りに 金曜は誰とも会わず
日曜も 誰とも会わずに早朝からそんなことをして
疲れてしまいまして 大阪空港で4時間座っていました
************************
土曜日は 朝から演奏のリハーサルでした
寄せ集めのメンバーでも どこをどう演奏すべきか
暗黙知を共有しているために
それなりにはまとまります
それにひきかえ こちらはというと
手がしびれ指が震えて痛んで回ってくれません
そういえば どことなく金曜から
本当にこのあたりが あれほど思い入れていた場所で
なじんでいた場所なのか わからなくなっていました
表面ではうまく繕って笑ってはいたのですけれど
それはそれで 結構しんどかったのです
久し振りに顔を合わせるひとたちに挨拶などしまして
そうこうしているうちに会合が始まります
酒をがぶ飲みして自分の番を待ち
こけおどしの身振りと 下手な演奏を散らかしました
酔っぱらっていたものだから気分だけはよかった
そうしてふざけているうちに会合も終わりまして
タクシーで石橋駅へ向かいまして
なじんでいたはずの居酒屋に行きましたが
落ち着くはずの場所で落ち着かず
醒めているのに 酒が飲めなくなってしまいました
そして ある時を境にして 心拍が上がり
呼吸がしにくくなってしまいました
自分がここにいていいのかがわからなくなってしまい
いてはいけない いるべきじゃないと思えてきまして
逃げるように店を出ました
サークル棟で セッションをやっている という話を
聴いたものですから
そちらへいこう と思いました
けれど扉の前まで行き 音も聞こえているというのに
とうとう扉をあけることが出来なかったわけでして
中央環状まで歩いて タクシーを拾って帰ったときは
まだ 22時にもなっていませんでした
*************************
日曜 なじんでいたはずの街が見知らぬ街のようで
おそろしく不安になって
いろんな場所を歩いたのですが
結局不安は消えないまま大阪空港に着いてしまいました
やはり 棄てると決めた瞬間に
こちらも棄てられていたのだろうなと思います
本当は ずっと関西で過ごして
夙川あたりに住みたいと思っていました
どうやら妹夫婦がそこに住むらしいのですが
第一 義理の弟となるはずのひとの顔と名前を知らない
式の日取りも聞いていない
なぜだとは思うのですが
まあそれは 別の話です
*************************
結論としていうと とても大切なもの
大袈裟にいえば命の理由にも近しかったものが
なかったことになっている
はじめからないものということになっているのを
感じたということです
徹底的でした
それはそうだろうと思います
しかたがない もうどうしようもないのだから
こちらもどうしていいかわからないや あはは と
冗談にしてしまえる状態にまでなっていなかった
こちらが悪いのでしょう
何も出来る気がせず 何も出来やしませんでした
それにしても 癒えていないと思っていたら案の定
また ばっさりと傷口が開いてしまったような感覚
まあ ナタでもって 心身をめった切りにされるような
そんな状態だった一年半前のころがフラッシュバックで
いま血みどろの気分ですけれど
でもそれらいっさいは自分の問題ですので
誰も気にする必要はない
平穏無事な日々をどうぞ送ってください と祈るばかり
こんな10年なら棄ててしまえばいいと思ったのは
僕自身なのですから業も苦もこちらに来ればいいのです
助けを求めることはゆるされないませんから
ひとりでいることにしますけれども
ひとりでいることが長すぎますと
誰とどう話をしていいのかも忘れてしまいそうになるので
思わず 高校のころの 4年間の失語期間を思い出します
いつか一度でいいから 誰かと旅がしてみたいと思うのは
贅沢なのでしょうね
**************************
幹事の皆様方 おつかれさまでした
ありがとうございました
演奏してくださった方々 ありがとうございました
あのような演奏で 申し訳ありませんでした
そこに集っていた皆さま ありがとうございました
今後 大阪に行くことがあるのか
ピアノを弾くことがあるのか
お会いすることがあるのかわかりませんが
また逢う日まで さようなら
皆さまのご多幸ご健勝を祈願して 万歳三唱
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます