白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

Cheering , R.I.P 3 ; Otherwise...

2010-05-23 | 日常、思うこと
タワーレコードのHPのなかに、大学時代の先輩の属している
ユニットのインタビュー記事を見つけた。
音源を視聴する機会は以前にあって、購ったこともある。





自分自身の周囲からは、プロ・ミュージシャンも多く出た。
メジャー・レーベルから音盤を発売したひともいれば、
国内の一線級のミュージシャンと共演しているひともいる。
一線に出ようとして頑張っているひともいるし、
アマチュア・バンドを組んだり、参加したりして、
自分の音を追及しているひとも数多い。
僕に出来ることは、せめて、機会があればライブを観たり、
ひそやかに音盤を購って、応援するくらいか。
そうした活躍の知らせは、うれしく思う。





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15年前、報道が「岐阜県養老町に奇怪な施設が出来た」と伝えた。
およそ10億円をかけて、トイレが天井にある家や、路面が次第に
壁になる通路のある公園を、岐阜県が整備したのだという。
当時、岐阜県は土木業と建設業に対する官公需の割合が高く、
事実、県内総生産の伸び率は、1985年から1995年まで一貫して、
建設業が1位を占める状況が続いていた。
典型的な、公共事業拡大型の経済政策を取っていたのである。
こうした状況にまつわるさまざまの報道や噂話も聞いていたから、
いかにも「岐阜らしい」ニュースだな、と感じると同時に、
この奇怪な施設である「養老天命反転地」の設計者、荒川修作の
過激な言動も身聞きしていたから、一度行ってみようと考えた。
そして、実際に足を運んでみた夏の夕暮れ、当時の僕はなぜか、
光のせいか、あの一見パンキッシュでアナーキーな構造体に、
ロマンティックなものを感じたのである。





僕が、荒川修作の思索や作品に深入りしなかったのは、
樫村春香の優れたテクストを読んだためでもある。

http://www.k-hosaka.com/kashimura/atorie.html





荒川修作の作品に通底する、「身体」という主題は
意識、あるいは言語によって統べられてしまっていて、
論理的整序のなかに安らいでしまっているように思う。


「集うひとびとの呼吸が同調するのを身体経験として
 持ってしまうと、それに美しいと名付けざるを得ない
 自らの判断力を容易には呪うことも出来ない。」

             (2006.12.2)





誤読と誤謬の歴史は、正しく批判されなければならない。
批判から導出される論を、一に限るべきではない。
その批判自体も、一に限るべきではない。






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最近、自分の中から音楽が確実に消えていくのを感じて
(ピアノを演奏することも、音楽を聴くことも含めて)
その分のエネルギーを仕事に打ち込んでいた。
やりがいと誇りをそれなりに持てる仕事が出来るのは
感謝しなければいけないことだと思っていたのだが、
最近になって、かかわる仕事の一切が、「廃止」という
最初から結論ありきの茶番に巻き込まれた。
増え過ぎた葉は剪定すればいいのだから、剪定します、と
言ってみたらば、幹から切り倒されたというわけである。





馬鹿馬鹿しくも、徒労の疲れは抜けない。
一カ月ぶりに行ったバーでは、一回り小さくなった、と
言われる始末。
自分の主観を、客観的な事実だと信じ込んでいるものに
権力を持たせることの恐ろしさと、
それを取り巻く、自分で物を考え、責任を自覚しつつ
判断し、行動することを一切放棄させるような、
スネオ的ポピュリズムの蔓延への恐ろしさが募るばかり。
憤懣過ぎて残るのは、無力感と虚無感ばかりである。





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皆、さまざまあろうけれども、健やかでいるならば、
よいことだ。
誰か、共に酒をと思うのだが、まあ、叶わぬか。






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