今日は、馬鹿に自分の文章をけちょんけちょんに腐されて
すこぶる機嫌が悪い。
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文体は思考の痕跡である。そして、思考を未来に延長し、
保障するものでもある。行動の軌跡でもある。
世界を把握するための網であり、粋を汲む柄杓でもある。
それは、個として生き、学び、読み取り、真似をしつつ
獲得してきた、表現の独自性の源泉でもある。
世界を語るときの、自分で決められる筋道でもある。
それがあって初めて、人に訴えうる言葉を紡げる。
創造的な思考を進めることができる。
ゆえに、文体は複数性を帯びていなければならないし、
いくつかを持ち合わせていなければならない。
これを、全く理解せず、ただの自分の趣味程度の認識で
批判にも至らぬ、誹謗中傷レベルの
「どうも気に入らない、わかりにくい」
という言葉でけなすことは、根拠なくこちらの人格をば
否定する作用しか持ちえない。
その程度のレベルで、相手に「自分の文脈」で語ることを
それも、貧困な語彙と詩性を欠いたセンテンスでもって
強いることに対して、何の疑問も意識もない、という状態が
どれほど罪深いことか。
それを全く理解していない人間が、それを強いるという
愚かさ、馬鹿馬鹿しさ、苛立ちが、どうにも収まらない。
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文体を強いることは、一つ間違えば洗脳に通じる。
自分の語り方や世界の認識方法を、他人に強制する、と
いう意味で、文体を強いることが何を意味するのか。
それは、服従を強いること、自己の独自性を放棄させて
創造を捨て去るよう命じることでもある。
それがいったいどういう結果をもたらすのか。
愚かなものが貧弱な言葉で、何らの言葉に対する意識も
無しにしてそれを行うことは、決して許されないことだ。
僕は指示を全く無視して、入稿した。
しかし全くもって腹立たしい。馬鹿に説教されるほど、
腹の立つことはない。
この馬鹿は30分も僕に吹っ掛けてきた。
仮にも課長だが、おのれごときに何がわかる。
おのれの語彙で、おのれの語りかたで文章をつづれば、
おそらくは、読むに堪えるものにはならないのだと、
頭蓋骨をこじ開けて中身をぐっちゃぐちゃにしてから
耳元で囁いてやろうかと思ったのだが、やめた。
それがわからない頭の出来なのだから、始末が悪い。
きみは文章の書き方をわかっていない、という言葉に
とうとう思わず失笑してしまった。
一応、これでも本も読み、文章も読んできたのだが、
どうやら、そやつにとっては僕は文才が無いらしい。
まあ、「両義性」の意味がわからないのでは仕方がない。
「いってきた」と、「おこなってきた」との読み分けを
文脈で出来ないのだから、仕方がない。
哀れである。己を知るべきであるのだが、無理だろう。
恥を知らないから、発せられる言葉なのであろうから、
馬鹿は無視しておくに尽きる。相手にするに足りない。
おそらくは、「文は思考の機械なり」という言葉の
ほんの一部も、理解できないのであろう。
哀れだ。
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ちなみに、この馬鹿は僕の前職の会社から出向している。
あの会社を辞めておいてよかったと思う瞬間でもあった。
すこぶる機嫌が悪い。
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文体は思考の痕跡である。そして、思考を未来に延長し、
保障するものでもある。行動の軌跡でもある。
世界を把握するための網であり、粋を汲む柄杓でもある。
それは、個として生き、学び、読み取り、真似をしつつ
獲得してきた、表現の独自性の源泉でもある。
世界を語るときの、自分で決められる筋道でもある。
それがあって初めて、人に訴えうる言葉を紡げる。
創造的な思考を進めることができる。
ゆえに、文体は複数性を帯びていなければならないし、
いくつかを持ち合わせていなければならない。
これを、全く理解せず、ただの自分の趣味程度の認識で
批判にも至らぬ、誹謗中傷レベルの
「どうも気に入らない、わかりにくい」
という言葉でけなすことは、根拠なくこちらの人格をば
否定する作用しか持ちえない。
その程度のレベルで、相手に「自分の文脈」で語ることを
それも、貧困な語彙と詩性を欠いたセンテンスでもって
強いることに対して、何の疑問も意識もない、という状態が
どれほど罪深いことか。
それを全く理解していない人間が、それを強いるという
愚かさ、馬鹿馬鹿しさ、苛立ちが、どうにも収まらない。
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文体を強いることは、一つ間違えば洗脳に通じる。
自分の語り方や世界の認識方法を、他人に強制する、と
いう意味で、文体を強いることが何を意味するのか。
それは、服従を強いること、自己の独自性を放棄させて
創造を捨て去るよう命じることでもある。
それがいったいどういう結果をもたらすのか。
愚かなものが貧弱な言葉で、何らの言葉に対する意識も
無しにしてそれを行うことは、決して許されないことだ。
僕は指示を全く無視して、入稿した。
しかし全くもって腹立たしい。馬鹿に説教されるほど、
腹の立つことはない。
この馬鹿は30分も僕に吹っ掛けてきた。
仮にも課長だが、おのれごときに何がわかる。
おのれの語彙で、おのれの語りかたで文章をつづれば、
おそらくは、読むに堪えるものにはならないのだと、
頭蓋骨をこじ開けて中身をぐっちゃぐちゃにしてから
耳元で囁いてやろうかと思ったのだが、やめた。
それがわからない頭の出来なのだから、始末が悪い。
きみは文章の書き方をわかっていない、という言葉に
とうとう思わず失笑してしまった。
一応、これでも本も読み、文章も読んできたのだが、
どうやら、そやつにとっては僕は文才が無いらしい。
まあ、「両義性」の意味がわからないのでは仕方がない。
「いってきた」と、「おこなってきた」との読み分けを
文脈で出来ないのだから、仕方がない。
哀れである。己を知るべきであるのだが、無理だろう。
恥を知らないから、発せられる言葉なのであろうから、
馬鹿は無視しておくに尽きる。相手にするに足りない。
おそらくは、「文は思考の機械なり」という言葉の
ほんの一部も、理解できないのであろう。
哀れだ。
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ちなみに、この馬鹿は僕の前職の会社から出向している。
あの会社を辞めておいてよかったと思う瞬間でもあった。
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