白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

幻想即興曲

2006-12-23 | 音について、思うこと
ボルボの車中に、1960年3月29日パリでの実況録音による
カウント・ベイシーを流しながら、
一路、四日市社会保険病院へと走る。
年の瀬の国道一号線は、ショッピングセンターや各種レジャーへ
繰り出さんとする人々の車で激しい渋滞となっていた。
30分ほど走り、ちょうどBlues In Hoss Fratのあたりで到着、
移動型輸液装置を取り付けたバストロ吹きに数ヶ月ぶりに再会。
敷地内とはいえ、トタンで囲われただけの寒風吹きすさぶ屋外の
喫煙ブースにて、温かい飲み物を飲みながら煙草を燻らせつつ、
雑談。





その後屋内の談話室にて、近況等、他愛もない話を交わす。
手術を控えているとはいえ、ずいぶんふくよかになった姿に
安心する。
5月に豊中病院で会ったときの、枯れ枝のような四肢を
引きずるようにして歩いていた痛々しい姿が焼きついていたから、
素直に、うれしくもあった。





この数年の、彼の内側の葛藤がいかばかりであったのか、
僕は思い巡らせて共振することしか出来ないけれども、
彼がそのことを口にしない限りは、僕も聞く事はしない。
それが礼節というものだろう。
帰り際、Who Meを大音量で車中から再生して快癒を祈る。
彼がこの一月を過ごしている病院では、夕刻、館内放送で
オールドベイシーやエリントンが流れるという。
阪急梅田駅の館内放送でドルフィーのファイア・ワルツが
大音量で流れていた2000年の冬を思い出した。




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僕の弾く「幻想即興曲」が聴きたい、というひとがいて
そのリクエストに答えることにした。
練習を重ねているのだが、なかなかうまくいかない。
手首の硬さ、開かない手のひら、短い小指、
ぼくの手の特性のいずれもが、ショパンを弾くのには
向いていない。
けれど、どうしても応えてあげたいという思いから、
自分の演奏力に苛立ち時に鍵盤を殴りつけながらも
練習を重ねている。




そもそもぼくが誰かに請われて、そのリクエストに
応えるべく曲を練習したというのは、
高校時代に一度あったきりのことだ。
それは、当時の彼女と付き合い始めるほんの少し前に、
エルトン・ジョンの「ユア・ソング」を弾き語りで
聞かせて欲しい、とせがまれてのことだった。
ぶっきらぼうに僕の机の上にぽん、とCDを置いて、
たった一言、「聴かせて」とだけ言われたことを
覚えている。




CDを何度も聴いて、覚えて、指に映し、
次いで、歌にした。
数日後の音楽の授業のあと、無言で彼女の肩を叩き、
手を引いてピアノの前に彼女を連れてきて、
おもむろに弾き始めた。
演奏が終わったあと、彼女は「ありがとう」と言って
軽く僕にキスをした。
あれからもう、10年が経った。




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僕の手の中には、さまざまの温度が宿っている。
肉親の亡骸の冷たさも、涙する女性の背中の温かさも、
演奏を終えて感謝に上気する共演者の熱さも、
この手の中にいまも潜んでいる。




僕に「幻想」をせがんだひとが涙しているとき、
差し出した手を彼女はぎゅっと、力強く握り返した。
その温度を手がかりにして、僕は「幻想」を弾いている。
はかなさではない、一種の凛とした強さを宿すような
叙情性の表現と、激しい波動の対比とを貫通する
一条のまっすぐに差し込む光を思いながら。





ショパンの手の動きの追体験をしながら、
いわば、ショパンの手となりながら。
ショパンの身体そのものになって、呼吸し、音を掘り下げ、
また音に包まれながら、
空虚なる音の羅列に、僕自身を充填していく。




そうして弾き出された音が、
彼女のなかの病を、少しでも軽くできるように、そして、
彼女の生に、響き渡ってほしいという、祈りのようなこころで、
この曲に向かっている。




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弾きつかれて、何気なく弾き始めた即興の最中、
ぼくは自らに響く音の力に揺さぶられて泣き出してしまった。
自分の音に対する陶酔でもなく、様々な想念に引き裂かれた
わけでもなく、
音に求められているようにして、ただ指を落としていたとき、
音がこころとなっただけのことかもしれない。





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