白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

菰野にて

2007-02-24 | 日常、思うこと
三重・御在所岳の樹氷を目当てに、2月初旬に湯の山温泉に
宿を取った。
志賀直哉が逗留し、「菰野」という短編を書き上げたという
文人宿である。




この2週間、連日、経済産業省から取り寄せたデータの分析に
追われて、日跨ぎ近い残業が毎夜続いたせいで
家族と食卓を囲むこともできず、コンビニで安酒を買って
外灯の寂しい光のなかに眠りかけている家並みの合間を
俯き加減で重たく帰るのが日常になっていた。
毎夜の夜風は湿気て、時折微温的ですらあった。
樹氷を期待するのは止めざるをえなかった。
疲労して凝固する身体は、目的を湯治に切り替えるように
求めてきた。




金曜3時に全ての書類を揃え、課長に提出すると、そのまま
車に乗り込んで、菰野へ向かった。



菰野から湯の山にいたる道筋を志賀直哉はこう書いている。

『終点の湯の山駅から渓流について山路を自動車で行った。
 間もなく不意に思いきった驟雨が来た。ずぶ濡れの幌自動車は
 山峡の狭い夜路を右に左に梶を曲げながら急いだ。
 自動車ヘッドライトが水を撒いているやうに見えた。』




驟雨は来なかった。山峡の路は多少の拡幅をされているけれども
志賀直哉が訪れた頃と同じく左右にうねって見通しが悪い。
鄙びた、というよりも、すでに寂れてから久しい温泉街は
御在所の尾根から引き伸ばされた谷の合間に、斜面に
這い蹲るようにして立ち並んでいた。
既に廃墟となった鉄筋コンクリートの建物が幾つか目に付く。
かつては温泉宿であったのだろう。




宿に着く。
団体客をかつて多く迎えたであろう庭のあちこちに
稲荷や神明社、鳥居が見える。
手入れの行き届かず、朽ちつつある東屋を横目に、
石畳を歩く。
玄関を入ると、主人が迎えに着た。
チェックインを済ませ、ロココ調の、いささか内装と
不釣合いのロビーの椅子に深く腰掛けて、一服。




部屋に入る。
曇天のため、伊勢平野から伊勢湾に至る展望もきかず。
女中に聞くと、暖冬のため樹氷もなく、客入りも乏しく
寂しい2月であると言う。
夕刻まで眠る。




夜、懐石。
湯の山の温泉には、かつて鹿が傷を癒すために訪れたとの
伝説がある。
鹿肉が食膳にあるのを見て僕は思わず苦笑した。




午後9時を過ぎて、風呂へ入る。
御在所の尾根を吹き下りる強風が、宵闇の木々を激しく揺らす。
湯の山は風の谷である。
影すら時折吹き飛ばされそうになる。
露天の風呂に入っていると、体の一部でも水面から持ち上げて
外気に晒そうものなら凍ってしまいそうなほどだ。
見上げると、三日月冴え冴えと虚空に輝き、墨染の雲が光の地上に
来る道を、掃くようにして風に乗り走り去る。




美しい夜に眠る。午前4時、御在所颪が轟然と谷に響く。
目覚めてそのまま朝を待つ。
薄明のなかにもう一度風呂に入る。
やがて日が昇ると、碧空凛として伊勢平野は鮮やかに目覚めるように
眼前に広がった。
食事をとり、間もなく宿を出る。
寂れた街を降り、樹氷を諦めて帰途。





家に着き、暖かな緑茶を入れて庭を眺め見ると、
椿の花から花へと飛び移って蜜を吸って遊んでいる
メジロの姿があった。
椿の足元にたったひと粒だけ忘れられたセンリョウの
赤い実が、葉の影からそれを笑っているかのように見えた。




椿の花は散らない。
枝についたまま、朽ちていく。
散らぬものは見苦しく、散れば美となる「常識」による
審美などとは無縁の中に、椿はあって、花は咲く。

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