白河夜舟

水盤に沈む光る音の銀砂

白木蓮の散った時には

2009-03-22 | 日常、思うこと
白木蓮の、茶に腐り爛れて庭石に落ちているのを
彼岸過ぎてなお冷たい雨の湖盤が浸していく。
上空の電線が激しく揺れている。
鉛で蓋されたかのような地上は途上の墨絵のよう、
濃淡定まらぬままに象形の明暗を流転している。





朽ち行く白木蓮の葬り方は、かつて樹上に、処女幻影を
追わせるように咲いた姿を知るのなら、
業火に焼くもよかろうと、可燃の袋に詰めてしまった。
処女にはすこし、鉄の匂いがあったっけ、と、
そのままそっと、土に戻そうとして、やめたのだった。





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引越し荷物が、朝、回収されて、倉庫に行った。
がらんどうになった部屋の床に寝て、風を眺めると
殻を失った蝸牛のような心細さで、肌が寒い。
棚からはみ出してあちこちに散乱していた書籍や
音盤には、自分の一部を預け入れていたのだから。





精神冷えてしまっても身体温めておくべく発起して、
部屋の掃除にかかることにした。
永年の悪習たるずぼらによる埃だらけの部屋に
日々勤勉の痛切を感じ、構えのみ反省しておいた。
箪笥に積もった埃をはたき落とし、
鴨居の縁、障子の桟、敷居の溝を念入りに拭き、
家具を移動し掃除機をかけ、
仕上げに再び雑巾で拭く、という作業を繰り返すこと
たかだか12畳に、3時間である。





鴨居の淵を拭いていたとき、ふと視線を下に落とすと
写真らしき紙が一枚、机の下に覗いているのに気づいた。
手に取って表に返して見ると、それはうっすら覚えていた、
高校時代に彫刻刀で表面を刻み込んだ自分の写真だった。
姿の一切は削り取られて、ひとの形の残影もない。
どうしてこういうことをしたものか、
10数年も昔の、我が身の苦しみの履歴であって、
誰に見せるべきものでもないから、木蓮袋に混ぜておいた。





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雨粒を、直に頬までぶっつけてくるような電線呻りは
日暮れてもやかましく、
看板の四隅に小さく渦を巻いて、べこ、ぼこ、と看板は
凹凸の細かなピストン運動を繰り返して春らしく変質的、
あるいは偏執的な反復をしている。
桜咲けば顔がピストンするだろう種族の嬌声が聞こえる。





がらんどうの部屋では眠れない。
気配とは周辺環境から発される微弱な音の源の方向に
意識が向かう状態のことを言うそうだが、
これまでは気配の進入を書籍や音盤が防いでいたのが、
がらんどうでは全くの無防備であり、まるはだか、
洞窟のように、閉じられた共鳴を一身に浴びることになる。





そんなどうにも狂いやすい夜に、酒量はすこし多くなる。





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指はなお実像を追い続ける。
その隙間をすり抜ける減衰にきっと、耽溺の基調が
耽溺の基調として響いていることだろうと思い、
それを捕まえられる水かきを持つひとや、
共に網を張ることのできる友を持つひとを羨む。
間歇泉のように奔騰する旋律を指から注ごうとして
鍵盤からすり抜けていく、あるいはぶっちゃける、
そんな一際の切実に震えながら、
聴くひとのない演奏から、音楽が去ろうとするのに
それでも必死に一条の蜘蛛糸にすがりつく。
地の底の死霊のようで、未練がましく汚らわしくも
その実相を軽々しくおちょくられれば、
おそらくは牙を剥くのであろうと思う。





指こわばっており、これじゃあやさしく出来やしねえ、
撫で愛でることも、と思ったときに、
それではもし、自分が指の一切を失ったら、と仮定し
握り拳をつくり、これで鍵盤を弾く、否、叩く、と
試してみたところが、
音選びのしかた、間のとりかた、残響のとりかたを
うまくやればそれなりに音空間を作れるということが
わかっただけでも、穣りというべきであろう。





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夜更けて、いよいよ黒漆のような雨の湖盤には、
処女のままの白木蓮の花弁が落ちていた。
沈まぬままに、花のかたちを宵闇に融かしこんでいく
その様子に、はからずも、したたかな貌の影を感じて
身震いがした。





吊るしたままひと冬を過ぎた風鈴が、
やや錆びた高い音で鳴り、
瞬刻、花は何がしかの色を帯びたように見えた。





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愛する者が死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません、

などと、中原中也を暗誦しながら、
白木蓮が散った時には、
何をしなきゃあならないかしら、と。





東京転居まで、あと9日。





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