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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(16)日本国憲法改定の機会を自ら潰した吉田首相

2016-04-06 | 改憲反対
日本国憲法改定の機会を自ら潰した吉田首相  FEC(極東委員会)内のオーストラリアとニュージランドは、象徴天皇として残った日本国憲法案には反対であった。そこでFECは10月17日、日本国憲法案の再検討の機会を与える旨の書簡をマッカーサーに送った。彼は直接これを日本側に伝えることをしないで、日本国憲法が公布された翌年の1月3日、吉田首相に憲法施行後1~2年の間に憲法の自由な改正を認める旨の書簡を送 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(15)議会審議でのいくつかの重要な修正と条項付加

2016-04-05 | 改憲反対
議会審議でのいくつかの重要な修正と条項付加  国会における憲法改正審議は、幣原内閣に代わり、多数党となった自由党・吉田茂内閣の下で開始された。政府案は6月25日に衆議院に上程され、約3ヶ月半の議会審議を経たのち、後述するように様々な重要な修正を加えられたうえで10月7日、帝国議会を通過し、10月29日、枢密院本会議で改正憲法が可決され、吉田政府は明治節(明治天皇誕生日)を選んで1946年11月3 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(14) 極東委員会の重要な役割

2016-04-05 | 改憲反対
改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(14) 極東委員会の重要な役割  FEC(極東委員会)は日本占領政策に関する最高決定機関ではあったが、執行権を欠き、委員長はアメリカ、本部はワシントン、しかも11カ国の寄合所帯である、という諸事情の下では時宜に応じた迅速で的確な決定がおこなわれ難い、という弱点をもっていた。それにも拘わらず、日本国憲法制定に関しては重要な役割を果たした。 ①FECの衆院選 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(13) 日本政府によるGHQ原案の姑息な修正

2016-04-04 | 改憲反対
日本政府によるGHQ原案の姑息な修正  幣原内閣は、GHQ原案をそのまま受け入れたのではない。天皇制政府に都合のいいように、いくつかの重要な点で姑息な修正を行った。 ①原案の前文をすべて削除と回復前文は日本の過去の侵略戦争を反省の意味を込めて、平和主義・国民主権論・平和的生存権など日本国憲法の根幹を宣言した部分である。とくに前文は日本流王権神授説である「万世一系」の天皇制論を廃し、ロック流の社 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(12) GHQ案反対からGHQとの共闘へ―幣原内閣の方針転換

2016-04-04 | 改憲反対
GHQ案反対からGHQとの共闘へ―幣原内閣の方針転換  GHQ案は2月13日、幣原内閣に手交された。しかし、幣原首相はこれを閣議にかけることを躊躇し、閣議は2月19日になって漸く開かれた。幣原首相はGHQ原案反対論であり、一方、芦田均厚生相は、もしこれが公表されたならば世論はこれを支持し現内閣は責任をとらざるを得ないと主張するなど、議論が紛糾し結論を得なかった(上掲、古関)。しかし、2月21日の . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(11) 日本占領計画に組み込まれた象徴天皇制

2016-04-04 | 改憲反対
日本占領計画に組み込まれた象徴天皇制  憲法草案を短期間のうちに、仕上げることが出来たもう一つの理由は、アメリカ政府が日米開戦の直後から、既に日本占領計画を練っていた事実にある。たとえば、米国心理戦共同委員会は1942年5月頃、天皇を平和のシンボルとして利用するという計画や傀儡天皇制国家構想を持っていた(加藤哲郎『象徴天皇制の起源』平凡社新書)。これと同様の構想は、中国・延安に亡命していた日本共 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(10) 法律のエキスパートによる草案作成

2016-04-04 | 改憲反対
 安倍首相も繰り返ししているデマゴギーの一つは、改憲草案が「左翼」がかった法律の素人である25人の軍人によって促成栽培的に作成されたものである、ということである。だが、日本国憲法前文を検討するだけでも明らかなとおり、そこでは王権神授説を否定するJ.ロックの信託説に基づく主権論が展開されており、この一節を取り上げただけでも、改憲草案がヨーロッパ憲法や政治学説に通暁した専門家たちの所産であることが直ち . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(9) 極東国際軍事裁判と天皇制問題②

2016-04-04 | 改憲反対
(B)天皇制存続と第9条 天皇制を存続させた場合、直ちに問題となるのは、戦前の侵略戦争の元凶が天皇であると考え、天皇制廃止を要求する国々の世論やマッカーサーの本国内での天皇制廃止世論(*)等の根強い存在である。これらの世論を納得させるためには、日本が再び軍主義国家にならないことを保障する憲法上の規定が必要であった。そこで浮上してきたのが、日本の軍備全廃と交戦権の禁止という案であった。 (*)処刑3 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(8) 極東国際軍事裁判と天皇制問題①

2016-04-01 | 改憲反対
極東国際軍事裁判と天皇制問題 (A)天皇訴追をめぐる攻防 憲法改正問題として並行して生じていた大問題は、極東国際軍事裁判(東京裁判)で天皇を訴追すべきか否かの問題であった。FEC参加国はそれぞれ、東京裁判に裁判官を派遣していた。上にも述べたように、特にオーストラリア、ニュージランドは天皇制廃止論で、天皇訴追すべきとの強硬な主張を行っていた。そこで、アメリカ本国政府はマッカーサーに対して、天皇の処 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(7) マッカーサーの「改憲三原則」と天皇制

2016-04-01 | 改憲反対
マッカーサーの「改憲三原則」と天皇制  マッカーサーは、このような差し迫った状況の下では、もはや日本政府に改憲草案作成を委ねる余裕はなかった。したがって、彼はFECの第1回会合までに、FECも承認し得る草案を、表向きはGHQではなく日本国政府の草案として作成すること、同時に日本国民も納得しうる原案の作成を急いだのだ。そこで、マッカーサーは、日本政府による改憲原案作成方針を転換し急遽2月3日、以下 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(6)マッカーサーの最初の改憲方針②

2016-04-01 | 改憲反対
(B)民間の改憲諸案 民間でも、知識人、政党、マスコミの間で憲法改正の機運が生じた。日本共産党「新憲法の骨子」(1945.11.11)、高野岩三郎・鈴木安蔵らの憲法研究会「憲法草案要綱」(1945.12.26)、高野岩三郎「改正憲法私案要綱」(1945.12.10、公表は翌年2月)等が公表された。これら諸案はいずれも国民主権を基本としているが、共産党案には天皇についての言及はなく、憲法研究会案は天 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(5) マッカーサーの最初の改憲方針①

2016-03-31 | 改憲反対
マッカーサーの最初の改憲方針 このような一連の平和・民主化政策は明らかに明治憲法と根本的には相いれない内容であり、明治憲法改正は不可避であった。 (A)マッカーサーの最初の構想―日本政府による改憲案の作成日本政府の「ポツダム宣言」受諾に関するアメリカ側の回答及びアメリカ本国の「初期対日方針」にも示されているごとく、日本の政府形態は日本人民の自由意思に基づくことを原則としていた。したがって、マッカ . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(4) 「ポツダム宣言」受諾と米国の初期対日占領方針②

2016-03-31 | 改憲反対
(B)民主化政策 マッカーサーは陸軍参謀長時代、退役軍人の恩給前払い運動を共産主義者の扇動によるものとして厳しく弾圧したごとく(1932年)、根っからの反共主義者で民主主義のひとかけらもない人物ではあった。ただし、彼は日本占領当初は、上の本国の方針に従って次のような指令を矢継ぎ早に発した。人権指令(1945.10.4)<思想・信教・集会・言論の自由を禁止する一切の法令廃止、10月10日までに政治犯 . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(3) 「ポツダム宣言」受諾と米国の初期対日占領方針①

2016-03-31 | 改憲反対
 「ポツダム宣言」受諾と米国の初期対日占領方針 (A)ポツダム宣言・対日占領方針の基本性格 アジア太平洋戦争は、日本ファシズムによる満州事変以来の中国侵略戦争、米・英・仏・豪・NZとの帝国主義戦争、アジア諸国民に対する植民地侵略戦争、ソ連との対社会主義戦争、以上の4要素から成る複合的な性格を持っていた。同時に、日本ファシズムの敗北を、第二次世界戦争全体の関連の中に位置づければ、それは反ファシズム . . . 本文を読む

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(2) 

2016-03-31 | 改憲反対
日本国憲法制定経過の概略  敗戦した日本政府は、ポツダム宣言受諾により、その諸条件の実現のためには、大日本帝国憲法(明治憲法)の改正が不可欠となった。マッカーサーGHQ(General Headquarter、連合軍最高司令部)総司令官は当初、憲法改正を日本政府自身に任せようとしたが、出来上がった日本政府案はまるで明治憲法の焼き直しに過ぎなかった。これでは連合国側の了承を得られる可能性は全くなく . . . 本文を読む