「山の神」についての
山伏さんからのお話。
夢中に胸に留めている範囲で
聞きとれる範囲で、
あえて庄内弁まじりで記させていただきます↓
「山」っていうのはのー、
日本人にとっての山さの思想とはなんだもんだがの?
っていうこと
命が生まれて、
命が終わって修まるっていうのが
関わっているという。
すべて「命」との関わり
日本人にとって神様にとって、
あるいは仏様にとって、あるいは
密教にとって
山というのは「女のひとのからだ」だという。
「胎内」
山さ入って、山から出てくるとは「生まれる」ということ。
そこで新しい命が生まれると、
命をつないでいかなくてならないわけだ
食べていかなければならないわけだ。
そうすると、食べ物っていうものは
全部「山」さあるわけだ。
「食」っていうのは、
いろんな山菜とか、きのこ、木の芽
日本人はもともと山を移動していた民族
だから食べ物はみんな山さあった。
山の民は日本人の原点であった。
焼畑として、米を作って定住化していった。
山にあり、川にあり、海にあり
人間には六根がある。
(ウィキペディアで六根清浄検索してみた)
その六根があるから、
人間は良いことも間違ったこともやる。
人間というのは間違ったこともやるのが
当然だということで
それを救う道も作っておいてきたわけだ。
間違ったこともあってそれで人間なわけ。
間違ったことをやった場合は
山に登るの。
それは「懺悔」ってことになるの。
山に苦労して汗まみれなって登るっていうのは
自分が間違ってしまったことが
懺悔して消えていく。
山に入ってきれいに懺悔して帰っていく。
日本人は山から生まれて
山から命の源泉をいただいて
そして、山から救われて・・でしょ
自ら犯した罪は山に懺悔して
山から救われて
そして最後我々が亡くなれば
山に修まるでしょ。
とくに月山というのは
亡くなった方が修まる。
日本人は亡くなるとまず低い山に修まる。
この辺で言うと水守山、清水の
葉山とか
ここでいうと羽黒山なんかが葉山
そこに33年間修まる。
そして、月山にいく。
亡くなっても、生前生きていたときの罪は消えない
だから、
亡くなった人を33回忌までご法事する
ご法事することによって
その罪をどんどんきれいにしていく
最後33回法事すると、きれいになるから
今度は高い山に行って
祖霊(先祖の御霊)になる。
そうすっと今度は、
祖霊は
月山から家の田元に下りてきて
今度、農業の神様になってくれる
田の一つ一つの源口に
先祖がいてくれて
守ってくれる。
山というのは
生まれてきて、
食べさせてくれて
救ってくれて、
最後に神様にしてくれて
自分のうちの田に下りてきて
守ってくれる。
修験道、山岳信仰の話となると
ややこしくなるからと
簡単にざっくりだぞ~と
お話してくださったのに
のめりこんで聞き入っていた。
日本人にとって「山」とは
日本人の精神性と深く結びついているんだなぁ~
山々に感謝です