[書籍紹介]
バックパッカーのバイブル「深夜特急」を書いた沢木耕太郎が
その誕生秘話を記す<最終便>。
<最終便>というのは、
「深夜特急」が3部作で、
<第一便><第二便><第三便>とされていたことから。
筆者は26歳の1973年、
インドのデリーからイギリスのロンドンまでのおよそ2万キロを、
(鉄道を使わず)乗合バスだけを使って一人旅をするという試みをする。
その若い頃の旅行体験をつづったのが「深夜特急」。
第一便は、香港からシンガポールまで、
第二便は、インドからテヘランまで、
第三便は、トルコからロンドンまで。
文庫版を含め、250万部という、記録的なヒットをした。
<第一便><第二便>は1986年の発刊。
(新聞連載はそれより前の1984年から)
旅行からは13年経っている。
それなのに、なぜ詳細な記述が出来たかというと、
旅行の際、克明な出納帳と記録を取っていたから。
その記録を見ながら記憶を呼び覚ましたのだ。
「深夜特急」をプロデュースした新潮社の石井昴が
「あの旅は作家が二十代の頃の体験で、
実際に書いたのは10年後。
旅の本質は年月を経て結晶するんだ」
と言ったという。
発酵するのにそれだけの時間が必要だったのだ。
<第三便>は1992年の刊行。
<第二便>から6年経っている。
それから更に16年たった2008年に刊行されたのが、
この<最終便>だ。
「深夜特急」では書かれなかったエピソードや、
旅に出るまでの経緯のみならず、
デビュー直後の秘話などが書き連ねられている。
沢木耕太郎という作家は、このようにして生まれてきたんだな、というのが分かる。
本の題名が、
映画「ミッドナイト・エクスプレス」(アラン・パーカー監督)による、
という話も興味深い。
アメリカ人の若者がトルコを旅し、
ハシシの密輸の罪で捕まり、
4年後に脱獄する話。
「ミッドナイト・エクスプレスに乗る」
というのは脱獄の隠語。
筆者は、この映画を観て、
ひとつ間違えば著者も同じ目にあったかもしれないと痛感する。
筆者の旅行は、病気は一度だけで、
盗難にも事件にも巻き込まれない幸運なものだった。
この本は若者の冒険心を刺激し、
沢山の類似体験希望者を生んだが、
極めて危険なものだ。
しかも、筆者が旅行をした26歳になる若者たちを刺激したというのだから。
年齢について、次のような記述がある。
あの当時の私には、
未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。
もちろん経験は大きな財産だが、
未経験もとても重要な財産なのだ。
本来、未経験は負の要素だが、
旅においては大きな財産になり得る。
なぜなら、未経験ということ、
経験していないということは、
新しいことに遭遇して、感動できるということであるからだ。
もしそうだとするなら、
旅をするには幼ければ幼いほどいいということにならないか、
という疑問が湧いてくるかもしれない。
しかし、そうはならない。
極めて逆説的な言い方になるが、
未経験者が新たな経験をしてそれを感動することができるためには、
あるていどの経験が必要なのだ。
経験と未経験とがどのようにバランスされていればいいのか。
それは「旅の適齢期」ということに関わってくるのかもしれない。
そして、こうも書く。
やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。
たとえば、私にとって「深夜特急」の旅は、
二十代のなかばという年齢が必要だった。
もし同じコースをいまの私が旅すれば、
たとえ他のすべてが同じ条件であったとしても
まったく違う旅になるだろう。
残念ながら、いまの私は、
どこに行っても、どのような旅をしても、
感動することや興奮することが少なくなっている。
すでに多くの土地を旅しているからということもあるのだろうが、
年齢が、つまり経験が、
感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない。
私も旅行の時は、
「感動のインフレ化」というものに注意した。
猿岩石が、1996年、バラエティ番組で、
香港からロンドンまでの無銭旅行をしたが、
それについては辛辣な批判をし、
虚偽を指摘している。