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漫画『ジャングル大帝』

2023年04月26日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

今回は、いつもとは、変わった本を。
講談社「手塚治虫漫画全集」の
「ジャングル大帝」3巻計534ページ

数ある手塚治虫作品の中から3つを選ぶとすれば、
「ジャングル大帝」
「鉄腕アトム」
「火の鳥」
ということになるでしょうか。(私見)

「ジャングル大帝」は、
当時大阪在住で、単行本の描き下ろしを中心として来た手塚治虫が、
中央で本格的なデビューを飾った作品。


学童社の月刊漫画誌「漫画少年」に
1950年(昭和25年)11月号から1954年(昭和29年)4月号にかけて
全43回を連載。
連載開始時は4ページ、
第2回からは扉ページのついた10ページに拡大になり、
連載中は最大で16ページになるなど「漫画少年」の看板作品に。
これ以後の手塚は、
単行本描き下ろしから、
月刊漫画誌に仕事を切り替え、
大学卒業後は漫画家に専念。
1951年に『少年』誌に「鉄腕アトム」の連載を始める前の初期作品だが、
その後、単行本化され、何種類ものヴァージョンが出版された。

「鉄腕アトム」でテレビアニメに進出した後、
ついに1965年、カラーアニメとして、テレビで放映。


アメリカでは「Kimba the White Lion」として人気を博した。
主人公の名前は「キンバ」と変えられていた。

アフリカのジャングルを舞台に、
ホワイトライオンのレオを中心とした一家3代と
謎のパワーを秘めるムーンライトストーンを巡って
争奪戦を演じる人間たちの群像を描く大河ドラマ。
少年向きとはいいながら、
その構想の大きさ、緻密なストーリー展開に瞠目する。

今回再度読んでみると、
手塚治虫らしさがあふれている。
たとえば、人間の計略にあって父のパンジャが命を落とした後、
ロンドンの動物園に移送される母が船の中で息子レオを産む。
母親はレオにアフリカに帰るよう勧め、
海に飛び込んだレオが
旅する蝶の群れを追って故郷を目指すという展開の妙。


アデンに漂着したレオがケンイチとヒゲオヤジの家に住み、
ムーンライトストーンを獲得する冒険団の一員としてアフリカに帰還した時、
人間の世界、都会を見てきたレオが
アフリカの自然を見て、激しく失望する場面。
そして、毛皮の置物にされた父と出会い、
ジャングルに戻った時、
動物たちに「王子さま」と迎えられ、
王国の再建を覚悟する。


動物たちを集めて、
その声でオーケストラを演奏する。


こんなこと、ディズニーだって思いつかなかった。
ついに人間の言葉を話せるようになったレオに、
ケンイチが驚いて、何度も自分の名前を呼ばせるところ。


手塚治虫でなくて、誰がこんなことを考えただろう。
そして、妻ライアとの間に子供(ルネとルッキオ)をもうけ、
それを天国の父母に報告するところ。


川を下ったルネが人間に遭遇するところ。
手塚治虫らしいロマンとヒューマニズムが横溢するシーンの数々。

背景には、大陸移動説にまつわるムーンライトストーンがあり、
その石を巡っての争奪戦。
小学生だった私は、このマンガを通じて、
大陸移動説というものがあることを初めて知ったのだった。

そして、最後にレオはヒゲオヤジを救うために命を落とし、


ニューヨークからアフリカに帰って来たルネに
ヒゲオヤジは、その毛皮を託す。

最後は↓の絵の後、

ルネに子供が生まれ、
パンジャ、レオ、ルネと孫たちに続く命の連鎖
王国の隆盛を告げて終わる。

何というスケールの大きさ。
何という豊かなロマン。

実は、学齢前の私は「漫画少年」の連載中に
この作品に触れている。
その後の単行本化で、
光文社から出たハードカバーの本(1967)を親に買ってもらった。
今も持っていたら、どれほどの価値が出るだろう。
その時の本では完結しなかったラスト
この「手塚治虫漫画全集」 (1977) で初めて読むことができた。

アニメ化された時は、ワクワクしながら観た。

主題歌は、今でも覚えている。
その後、何度も映画化されている。


手塚治虫の財産なのだ。

あとがきで書いているのだが、
「ジャングル大帝」のオリジナル原画は、大半が紛失した。
虫プロの社員がアニメ化の際に作画の参考資料として持ち帰った際、
本人が自宅で亡くなってしまい、
原画の行方も分からなくなってしまったのだ。
それで、全集にする時、始めの方は、改めて描き直したのだという。
これまで8回本になっており、
そのたびにストーリーが変わっているが、
この第3巻は、ほとんど元のままだという。

1994年、ディズニーの「ライオン・キング」が公開されると、
「ジャングル大帝」と類似している、
ディズニーが模倣したのではないかと日米で話題になった。
ディズニー側は、アメリカで放送された「Kimba the White Lion」を
スタッフは見ていないとして、模倣を否定した。
だが、スタッフの世代からして見ていないというのは苦しい言い訳で、
何らかの影響はあったに違いない。
そもそも、「ライオン・キング」の主人公の名前がシンバというのだから、
Kimba the White Lion」と、無関係という説明には説得力がない。
手塚治虫を敬う漫画家たちは、
ディズニー側に質問状を送った。

しかし、著作権を管理している手塚プロダクション並びに遺族は
仮に盗作だったとしてもディズニー側と事を構えないことを決めた。
理由は
「ディズニーファンだった故人が
もしもこの一件を知ったならば、
怒るどころか
『仮にディズニーに盗作されたとしても、むしろそれは光栄なことだ』
と喜んでいたはずだ」
というもの。
かつて虫プロに在籍していたスタッフの一人は、
文化は互いに影響しあうものであるとして
手塚プロの対応を見識であると評価している。
漫画家たちへのディズニー側の返信は、
模倣は否定しつつも、手塚治虫の業績を認め、
手塚へ敬意を表する旨が記されていたという。

なお、手塚は「バンビ」が日本で公開された翌年の1952年に
「バンビ」の漫画化を手掛けている。
その当時の日本におけるディズニー社の映画の総代理人で
大映社長であった永田雅一の許諾を得た上での
完全に合法な出版物だった。

なお、1997年、松竹が製作した「ジャングル大帝(劇場版)」は、
海外での公開上映も意図していたが、
最初のカナダ公開の際に
「ライオンキング」に類似した情景の箇所を複数含んでいることなどを理由として
ディズニープロから訴訟を起こされ、海外での公開上映を中止にした。

手塚はディズニーを尊敬しており、
「白雪姫」は映画館で50回、
「バンビ」は100回くらい見たという。

漫画を動かしたいという願望は手塚には強く、
その後、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝家」の放映などで、
アニメのパイオニアしての役割を果たした。
手塚治虫がいなかったら、
今の日本アニメの今の隆盛はなかっただろう。

手塚は、アニメ制作に向かう若者の物語として、
「フィルムは生きている」を描いている。

↓は、誕生日に娘がプレゼントしてくれた、「ジャングル大帝」のタンブラー