[書籍紹介]
桐野夏生による生殖医療の話。
北海道の人口数千人の田舎町出身で、
介護職を辞めて上京、
憧れの東京で病院事務の仕事に就いたが、
派遣の非正規雇用ゆえに
手取り14万円の薄給で、
家賃5万8千円を払うと、
残りの8万2千円で生活する、
29歳のリキは、
生活を切りつめた希望のない生活を送っていた。
「いい副収入になる」と同僚のテルに卵子提供を勧められ、
アメリカの生殖医療専門クリニックの日本支部に赴くと、
国内では認められていない「代理母(だいりぼ)出産」を持ち掛けられる。
不妊治療のあげく、
出産不可能の結論を突きつけられたある夫婦が、
夫の精子で人工授精の上、出産してくれる女性を探しているというのだ。
自分の子宮を提供することに抵抗感をおぼえるものの、
高額な謝礼(1千万円)につられて受け入れ、
妊娠にまで到達するが、
中絶しようかとリキは揺れ動く・・・
昔、子どもは「さずかりもの」とされていたが、
科学の発達で生命誕生の仕組みが解明されてしまうと、
人工受精だの、代理出産だのという
それまでは想定しなかった事態が起こってきた。
子どもが出来ない夫婦の希望を叶える「人助け」というのは建前で、
結局は金の問題。
金持ちの願望を貧困にあえぐものが金で売買するという構図だ。
この物語も、金持ちと貧者の間でのビジネスとしての契約だが、
しかし、生身の人間のすることだから、
感情の揺れ動きはなんともしがたい。
そのあたりをていねいに描いている。
子どもを代理出産してほしいというセレブは、
有名ダンサーの家系で、
夫の基(もとい)は、
自分の遺伝子を継承した子どもをダンサーとして育てたいと思っている。
夫の母の願望はもっと生臭い。
というのは、自分の遺産を息子が相続した後、
息子が死ねば、その遺産は嫁の悠子が相続し、
悠子が亡くなれば、その兄弟が相続する。
悠子の弟はニートで、
そんな血のつながりのない、しかも低劣な人々に
自分の遺産を持っていかれるのは耐えがたいというのだ。
だから、息子の代理母の計画にかかる2千万は自分が出す、という。
金持ちの感覚はそういうものかと、興味深かった。
結局、リキは代理母となることを承諾するが、
その仕組みが驚きの内容。
日本では人工授精は夫婦間にしか認められていないので、
まず、基が悠子と離婚、
リキと結婚した上で、
妻として人工授精をしてもらう。
そして、出産した暁には、
リキと離婚し、基は悠子と復縁して、
戸籍上も正式な子供として育てるというのだ。
代理母は、東南アジアの人を使ってする方法もあるが、
その方法は取らない。
提供された卵子と精子を掛け合わせて
胎内に戻す膣外受精の方法も取らない。
となると、
上記の方法が合法的だという。
実は、クリニックのコーディネーターが
リキをこの夫婦に勧めた理由があった。
というのは、リキの顔が悠子と似ているというのだ。
なるほど、生まれた子供が悠子にも似ている可能性が高い。
そんな理由もあるかと感心した次第。
リキは他の男性との性交は禁じられる契約だが、
リキは帰省した時、元の上司とホテルに行ってしまう。
もう一人、男性売春の男とも交わってしまう。
一応避妊具はつけたが、漏れている可能性もあるという。
出産後にDNA鑑定の必要など、
というサスペンスも用意されている。
この揺れ動くリキや悠子の心の動きを描くと共に、
妻の友人で春画作家のりりこなどが介入してくる。
りりこは春画を描くのに男性経験がなく、
セックスも拒絶するという、不思議な人物。
生命の誕生にまつわる話で、
倫理的なものもからむ難しい題材を選んだ、
いかにも桐野夏生らしい小説だが、
やはり読んでいて爽快な気持ちになれないのは、
登場人物がことごとく自分勝手の塊であることだ。
自分のDNAの継承、家の職業(ダンサー)の継続、
遺産の相続、そして金・・・
だが、今日的な題材であることは確か。
卵子にもランク付けがあり、
学歴の高い人や美人の卵子は高い、というのは笑った。
そのことを聞いたリキが、
スーパーで売っている安い玉子と
高いブランド玉子を想起するところなど、面白い。
自分の卵子がCランクか、それ以下かと思うと不快だった。
自分の卵子は、ミヨシマートの1パック198円の卵なのか。
ブランド卵は1個50円なのに、
30円もしない卵か。
エッグドナーに選ばれた場合、
日本国内では採卵できないため、
海外に行って処置をしてもらう。
2週間も勤め先を休むのは勇気がいるが、
報酬は50万円だという。
海外旅行先は、はじめタイかと思ったが、ハワイだという。
海外旅行をさせてもらって50万円。
貧困者にとっては、おいしい話だ。
と、生殖医療について知識は増えたが、
不快感はつのる。
第57回吉川英治文学賞受賞作、
第64回毎日芸術賞受賞作。