[旧作を観る]
公開時、観た映画だが、
なぜ今回観ることになったかというと、
メルカリに演劇プログラムのセットを出品したら、
常連さんが購入してくれ、
おまけとして、「ジプシー」のアメリカ版プログラムを付けたところ、
その人が「ジプシー」のファンで、大変喜んでいただけた。
で、ベット・ミドラー版の「ジプシー」のサントラを聴いているうち、
映画を観たくなり、
ツタヤDISCASにあったので、
取り寄せ、DVDを観た次第。
ブロードウェイ・ミュージカルの映画化。
原作は、アメリカン・バーレスクの大スターだった
ジプシー・ローズ・リーの回想記。
ジプシー・ローズ・リー(1911~1970)は、
アメリカの伝説的なストリッパー。
女優として映画やテレビにも出演し、
マイク・トッド、オットー・プレミンジャーらと浮名を流している。
また、作家でもあり、1957年に回想録「Gypsy: A Musical Fable」を出版、
それ以外に推理小説も執筆している。
母ローズは1954年に結腸癌で死亡、
これで訴訟される危険を冒さずに自由に書くことができるとして、
1957年、回想録を執筆。
1970年、肺癌でロサンゼルスで死去した。
この回想記に基づき、
「ウエスト・サイド物語」のアーサー・ローレンツが
1960年にミュージカル化。
主演の母親役はエセル・マーマン。
トニー賞では作品賞・主演女優賞・助演男優賞・助演女優賞・演出賞・装置賞・衣裳賞
などにノミネートされたが、受章には至らなかった。
その後、1975年にはアンジェラ・ランズベリー、
1990年にはタイン・デイリー、
2008年にはパティ・ルポン主演で
古典的名作として繰り返し上演され、
そのいずれの時もトニー賞のミュージカル部門主演女優賞を獲得している。
つまり、この母親役は、女優としては、やりたい役、おいしい役なのだ。
日本では草笛光子とMIE、鳳蘭と宮沢りえの共演で
2度上演されている。
その後、ベット・ミドラー主演でテレビドラマ化もされた。
舞台初演の翌年、1962年に映画化。
序曲は本物のオーケストラボックス。
俳優のトップはロザリンド・ラッセル。
当時の大スターで、
このミュージカルの実質的主役は、母親役だからトップにクレジット。
二番目はナタリー・ウッド。
「ウエストサイド物語」(1961)の次の作品。
三番手は、名優のカール・マルデン。
タイトル。
作曲はジュール・スタイン。
作詞は「ウエストサイド物語」のスティーヴン・ソンドハイム。
後に作曲もするようになり、
ブロードウェイの大御所になる人。
オリジナルの振付として、ジェローム・ロビンスの名が。
脚本はアーサー・ローレンツ。
ジプシー・ローズ・リーの名前も。
そして、監督はマービン・ルロイ。
ボードビル華やかなりし、1920年代の初期。
ステージママのローズ(ロザリンド・ラッセル)は
娘のジューンををスターにするのに懸命だった。
姉のルイーズ(ナタリー・ウッド)は、
その妹の影になって目立たない存在だった。
俳優のハービー(カール・マルデン)をマネージャーにし、
全国をジプシーのように旅する毎日。
娘のジューンとルイーズは
学校にも通わせてもらえない。
一時はジューンを人気者にすることに成功したが、
トーキーの普及でボードビル(演芸場)が次々と閉鎖し、
出演機会は次第に減っていった。
加えて、二人の娘の成長があった。
「ベイビー・ジューンと仲間たち」という演目は、
娘の年齢に合わなくなり、
古くさく、観客の需要に耐えられなくなっていたのだ。
演目がワンパターンで、
焼き直しの連続、というのも笑わせる。
いつまでも子ども扱いする母親に反抗して、
ジューンは一座の男性と駆け落ちしてしまう。
他の団員も退団するという。
今こそハービーと結婚して、
ショービジネスから足を洗ってくれることを望むルイーズだったが、
ローズは、今度はルイーズをスターにするという夢を持つのだった。
ここまでが前半。
舞台では、ここで休憩が入る。
アンジェラ・ランズベリーがトニー賞の授賞式のパフォーマンスで
この場面を演じていたが、
かなり盛り上がり、
主演女優賞も納得の仕上がり。
なお、途中で別れた妹(ジューン・ハヴォック)も、その後、女優になった。
新たに若い娘たちの髪をブロンドに染めて出直した一座だったが、
ルイーズはジューンのようにうまく役がこなせない。
オファーは少なく、ホテル代をうかせるためにテント生活をする有り様。
最後に行った劇場は、
連絡の手違いでストリップ小屋(バーレスク)だった。
「警察の目を誤魔化すために出演させた」との話。
それでも1週間の契約をこなす。
↓は、ストリッパーがルイーズに手ほどきする場面。
コミカルな場面で、舞台では大受け。
後にジェローム・ロビンスの振付のアンソロジー、
「ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ」の中にも入っているから、
評判だったに違いない。
どん底の行き着くところまで来たと、
さすがにローズは気落ちして、
ハービーとの結婚をする気になったが、
出演不可能になった踊り子の代役を要請されると、
金に目がくらんでルイーズを舞台に出すことにしてしまう。
娘にストリップをさせるなどと、
さすがに怒ったハービーは、結婚を破棄して去ってしまう。
ここからが、このミュージカルの最大の見せ場。
衣裳を付け、鏡の前に立ったルイーズは、
自分が美しいことに初めて気づく。
無理やり舞台に立たされたルイーズだったが、
ここで意外な才能を発揮して、
ストリッパーとして大受けに受けてしまう。
そして「ジプシー・ローズ・リー」という芸名に変えたルイーズは、
瞬く間にスターに上り詰め、
次々と各都市の劇場に進出、
(デトロイト、フィラデルフィアと都市を上がるにつれて、
劇場が良くなり、衣裳が豪華になり、
音楽も洗練される。
そして、ルイーズの所作も自信に満ちたものに変わる。
なによりナタリー・ウッドのスタイルの良さが輝く。
なお、ご心配の方もいるかと思うが、
ナタリー・ウッドはヌードにはならない。
水着程度の衣裳をつけた、おとなしいものである。)
最後はニューヨークの舞台にまで立ってしまう。
終幕は、その劇場の楽屋。
豪華な楽屋を与えられ、
メイドまでついたルイーズは、
ようやく母親の庇護から逃れたと思っていたのに、
まだ母親は干渉しようとする。
激しく口論する二人。
その後、ローズは、終演後の舞台に立ち、
真情を歌いあげる。
それを見守るルイーズ。
ようやく母子の和解はなったのだ。
1963年のアカデミー賞で、
撮影賞、編曲賞、衣装デザイン賞にノミネート。
ゴールデングローブ賞では、
ロザリンド・ラッセルが最優秀主演女優賞を受章。
ミュージカル作品賞、最優秀主演男優賞(カール・マルデン)、
最優秀主演女優賞(ナタリー・ウッド)、
最優秀監督賞(マービン・ルロイ)にノミネート。
背景に時代の変化に対応出来ない旅回りの一座という、
「滅びゆく者」の悲哀があり、
母親の果たせなかった夢を子どもに託する理不尽さがある。
そして、母娘の葛藤。
古くは感じるが、いつの時代にも通じる普遍的なテーマを内包する。
私はこのミュージカルが好きで、
公開時、2度観ている。
1963年4月6日、渋谷宝塚でと、
同年6月13日、武蔵小山バラ座で。
そして、74年には渡米先ワシントンDCの
ケネディー・センターで、
アンジェラ・ランズベリーの舞台。
また、日本では、
1982年、三越ロイヤルシアリーでMIEのもの、
1991年、新宿厚生年金ホールで宮沢りえの舞台も。
やはり最高はアンジェラ・ランズベリーの舞台で、
初めてルイーズがバーレスクの舞台に立つ時、
幕の内側と外側が一瞬の間に入れ変わる演出が素晴らしかった。
そして、ルイーズが
「マイ・ネーム・イズ・ジプシー・ローズ・・・リー!」
と言いながら、新しい自分に目覚めていく心境の変化も
よく演じられていた。
ラストは映画では、二人が肩を組んで退場するが、
DC版では、ルイーズを先に行かせて、
ローズが少しだけ残って、
自分の敗北を悟るような寂しげなアンジェラの所作が印象的だった。
ところで、風営法と同法施行令で、
ストリップ劇場については、
「性的好奇心をそそるため衣服を脱いだ人の姿態を見せる興行」
(法第2条第6項第3号)というのだそうだ。
笑える。
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