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映画『アンソニー・ホプキンスのリア王』

2025年01月25日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

シェイクスピアの四大悲劇の一つ
「リア王」のBBCでのテレビ映像化。
「アンソニー・ホプキンスのリア王」というのは、
日本で付けた題名で、
英題は「ウィリアム・シェイクスピアのリア王」
しかし、アンソニー・ホプキンスが演ずるのがウリなことは確かだ。

ただ、舞台は中世ではなく、
21世紀の架空のロンドンとなっている。
従って、交通手段は車だし、
建物、衣裳も完全に現代。
しかも、世界は超軍備化が進んでいる。
戦車も登場する。

年老いたリア王は、退位するにあたり、
国を3人の娘に分割するとして、
娘たちがどれほど王を愛しているかを問う。
姉の二人が偽りの忠誠と甘言を弄して
王を喜ばせたのに対し、
王の一番のお気に入りだった末娘は、
王を愛するあまり言葉にせず、
それが王の怒りを買い、
末娘の分も二人の姉に与え、末娘は勘当される。
末娘をかばったケント伯も追放される。
しかし、王が二人の娘の領地を交互に訪れると、
警固の軍人たちを削減され、
冷たい扱いを受ける。
失望した王は荒野の嵐の中でさまよい、
次第に狂気にとりつかれていく。
これに大臣であるグロスター伯の二人の息子、
庶子のエドマンドの奸計で嫡子のエドガーが追われる話や
忠臣ケント伯の忠義が描かれる。

という大時代の話を現代に持ち込む。
このような時代の移し替えは、
私が最も嫌うものだが、
意外や新鮮な印象を受けた。
それも、時代状況は変われども、
俳優たちの演技がしっかりしているからだろう。
イギリス演劇界の底力だ。

リア王は、もちろんアンソニー・ホプキンス
長女ゴネリルにエマ・トンプソン
次女リーガンにエミリー・ワトソン


末娘コーデリアにフローレンス・ピュー
という豪華な顔ぶれ。
監督は、リチャード・エアー
長い作品を1時間55分にまとめ、
どこが省略されたかはにわかには分からない。
2018年の作品。
UNEXTで鑑賞。

末娘の頑なさ、王の頑迷固陋さが
悲劇の原因だということが強く印象付けられたのは、
時代背景を現代に持って来たことのマイナス効果だと、
初めて知った。
やはり時代の価値観が反映されてしまうのだ。

現代化したことで道化の扱いはどうかと興味深かったが、
始めの方で出て来ないので、
道化は思い切って割愛か、
と思ったら、老人の道化として出て来た。
あまりピンと来ない。
思い切って道化をカットするのも一案ではなかったか。
また、エドモンドは魅力に欠け、
二人の姉の心を奪うようには見えなかったから、
これはミスキャストではないか。

ちなみに、「リア王」が書かれたのは、
1605年から1606年にかけてで、
1606年12月26日に宮廷で上演されたという記録がある。
(初演はシェイクスピアの属するグローブ座、という説もある。) 
出版登録がなされたのは1607年11月26日。

しかし、悲劇仕立てが嫌われたのか、
1681年、ネイアム・テイトによって喜劇に仕立てられ、
話の筋も大幅にハッピーエンドに書き直された。
例えば、リア王は最後に復位し、道化も下品という理由で登場しない。
この改変された版は以降19世紀前半まで上演され、
1838年にウィリアム・チャールズ・マクレディ主演・演出による
オリジナルの「リア王」が上演されるまで続いたという。
シェイクスピアの受難

実は、私のシェイクスピア体験は、「リア王」だった。
故郷の伊豆の高校の文化祭で
「リア王」を観た。
ただ、まともな上演ではなく、
演劇部顧問の先生が手を入れた簡易型の脚本だったと思う。
錯乱するリア王を照明で表現したのが
子供心に残った。

本格的なリア王を観たのは、
東野英治郎の俳優座版(1972)を経て、
蜷川幸雄演出、市川染五郎(現松本白鸚)による日生劇場の公演(1975)で、
鑑賞後1週間は頭の中にその舞台が残るほど
強烈な演劇体験だった。
訳は小田島雄志版。
美術は朝倉摂、
照明は吉井澄雄。

舞台はかなりの傾斜の岩山のような感じ、
奥をドームが覆う。
登場人物は皆毛皮をまとった、荒々しい雰囲気。
そして、セリフを謳うのではなく、
わめき、がなる。
リア王の荒野の場面では、
叫び声をあげて真正面に倒れると、
その瞬間、背後のドームがまっ二つに裂ける。
リア王の狂気と共に世界が崩壊する予感を与えるすさまじい衝撃。
エネルギーと猥雑さにあふれた「リア王」で、
舞台からはすさまじいエネルギーが客席を差し貫く。
それまで観たどの「リア王」より斬新で視覚的だった。
それまでのものが、
セリフを聞かせようとする
常識の範疇だったのに対し、
舞台の上で肉体がぶつかりあうような、
観客の気持ちをかきむしって
ひきずりまわすような
すごい舞台。
これ以上のエネルギーを持って襲って来るものは観たことがなく、
こうして、私の演劇体験の一位に長く留まり続けた。



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