空飛ぶ自由人・2

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映画『妖星ゴラス』

2025年02月02日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

「妖星ゴラス」がWOWOWで放送されたので、観た。


1962年(昭和37年)3月21日公開だから、
もう63年も前の映画
当時東宝は、
特撮映画を沢山世に出しており、
「ゴジラ」(1954)、「ラドン」(1956)、「モスラ」(1961) などの怪獣映画や
「美女と液体人間」(1958)、「ガス人間第一号」(1960)、「電送人間」(1960)
などの変身ものの他、
「地球防衛軍」(1957)、「宇宙大戦争」(1959)などの宇宙ものもあり、
少年たちの夢を育んだ。
私もその一人で、
よく観に行った。

中でも、「妖星ゴラス」は、
その着想のユニークさで記憶に残った。

当時、シネマスコープが売りもので、
東宝スコープ、大映スコープなど、
映画会社の名前を付け競った。
この映画、多元磁気立体音響だった。

当時はこういう書体が流行っていた。

製作は田中友幸

特技監督は円谷英二


私の父は円谷さんと軍隊で一緒だったと言っていた。

こういう映画の監督はこの人。

東宝の特撮映画は、この3人のトリオで作ったと言っても過言ではない。

出演者は池部良をはじめ、錚々たるメンバー。


東宝の力の入れ方が分かる。

CGなどない時代だから、
全て手作り
子供心にも「ミニチュアだなあ」と分かった。


ロケットなど飛翔物は直線移動しかしない。
それを克服するには、
「スター・ウォーズ」の登場まで待たなければならない。

宇宙船の中も、こんな感じで、


デジタルなんか概念さえない時代だから、
アナログばかり。

「着想のユニークさ」と書いたが、それは、次のようなもの。
直径は地球の4分の3だが、
質量は地球の6千倍もある黒色矮星・ゴラスが発見され、


地球に衝突する危険が指摘される。


ゴラスを爆破するか地球が逃げるか、
の選択肢が迫られるが、
ゴラスは周辺の惑星や彗星を吸収して、
質量が地球の6200倍に増加しており、
もはや爆破は不可能という結論が出され、
地球を救うのは軌道を変えるしかない。


そこで、ロケット推進装置を南極に設置し、
地球を40万キロ移動させて
軌道を変える「地球移動計画」が提案される。

南極に結集した世界中の技術によって


巨大ジェットパイプが建造されるが、

南極に眠っていた巨大生物・マグマが突如目覚め、


施設の一部に損傷を与えたため、
計画は遅れる。
地球の各地ではゴラスの引力によって天変地異が発生し、


東京などの都市群は水没してしまうが、


誰もが絶望する寸前で移動は成功し、
ゴラスとの衝突は回避される。

というわけで、
星と地球との衝突を回避するため、
地球の公転軌道を変えようというのが、
大変ユニーク。
ただ、これは映画のオリジナルではなく、
丘美丈二郎の原作がある。
後に、次代のSF作家によって踏襲されている。
たとえば、「三体」(2008)で世界的にヒットした
中国のSF作家・劉慈欣(リュウ・ジキン)が書いた
「流浪地球」などががそれだが、


劉慈欣が「妖星ゴラス」を観たかは不明。
多分観ていない。

南極に設置されたジェットエンジンや
天変地異の描写で東宝特撮陣が力を発揮。


もっとも、月がゴラスに吸収されるなら、
地球も同様なはずだが、
そこには目をつぶる。

セイウチに似た南極怪獣マグマは、
南極の地底で眠っていたところ、
建設された原子力ジェットパイプ基地の熱で温暖になったことで目覚めたという設定。
マグマの登場は企画当初は予定がなく、
クランクアップ前になって東宝上層部からの
「せっかくの円谷特撮だから怪獣を出してほしい」
との要求による。
監督の本多は抵抗したらしい。
脚本を担当した木村も最後まで反対した。
海外公開版ではマグマの登場シーンはカットされている。

実は、私は当時、本作を東宝本社
(今のシアタークリエのある所) にある試写室で観た。
1962年3月17日と記録にあるから、
公開直前。
衝突を回避するため、
地球自体を移動させる、
というアイデアに瞠目しつつ、
怪獣マグマが登場するに至っては、
東宝の怪獣映画のルーチンに
白けた記憶がある。

その後、特殊技術は長足の進化を遂げ、
今はCGで何でも可能。
当時の製作スタッフが今の映画を観たら、
目をむくだろう。

というわけで、
特撮技術の60年の歳月の変化を見るに、
貴重な映画だった。

 



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