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映画『エルヴィス』

2022年07月04日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

エルヴィス・プレスリーの半生を
あのバズ・ラーマンが描く
となれば、期待するなという方が無理、というもの。

期待どおり、
後にマネージャーとなるトム・パーカーが
エルヴィスを見いだすまでのシーンは、
見事そのもの。
なかなか顔を出さず、やっと顔を写した
そのステージでは、エルヴィスのパフォーマンスの
何がアメリカの若い女性たちを惹きつけたかを、
如実に表現してみせる。

そのルーツが黒人音楽にあったことも
エルヴィスの生い立ちを見せて、
しっかり印象付ける。
「ハウンド・ドッグ」が
黒人音楽のカバーだったことは、初めて知った。

その後の社会現象。
アメリカの保守的社会での拒絶は興味深い。
なにしろ、警官立ち会いのもとのライブで、
あの腰の動きをしただけで中止命令が出るというのだ。
今からは考えられないが、
エルヴィスが突破口を開いたと思えば、感慨深い。
しかも、その根底には、
黒人差別という、
アメリカの抱える宿痾(しゅくあ)がひそんでいる。

初期のエルヴィスのスタイルは、
黒人の音楽であるブルースやリズムアンドブルースと
白人の音楽であるカントリー・アンド・ウェスタンを
融合した音楽であるといわれている。
それは人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なことであった。
黒人の音楽を真似したとみなされたエルヴィスは差別の対象だった。
保守層には「ロックンロールが青少年の非行の原因だ」と中傷され、
PTAはテレビ放送の禁止要求を行うなど、様々な批判、中傷の的になった。

しかし、才能は偏見と差別を越える。
エルヴィスは実力でスーパースターにのし上がっていくが、
ここから映画の対立軸は、
悪徳マネージャーのトム・パーカーとの確執が中心になる。
特に海外ツァーを望むエルヴィスに対して、
警備を理由に拒絶するが、
それは後に、
パーカーが移民で、
アメリカの永住権を所持しておらず、
一度海外に出たら、帰国できなくなるためだったということが判明する。
事実、エルヴィスがアメリカ以外でした公演は、
カナダのみ。
アメリカとカナダの移動では、
当時パスポートが不要だったからだ。

クリスマスの特別番組では、
パーカーの意向に逆らって、
新たなスタッフと組んだパフォーマンスで成功する。

パーカーを切ろうとした時に、
ラスベガス公演を持ちかけられて、和解する。
しかし、その背景には、
パーカーのカジノでの借財の帳消しがあったことなども明かされる。

このパーカーという人物、
徹頭徹尾、金の亡者で、
エルヴィスを食い物にした人として描かれる。
演ずるトム・ハンクスは別人の面相。
その本質は、本編中でも少し出て来る
「スター誕生」でのバーバラ・ストライサンドとの共演問題を上げれば、
はっきりする。
シリアスな俳優として認められる機会がきたと考えたエルヴィスは、
新しい挑戦として大いに喜んでいた。
しかし、パーカーが金銭面の契約条項で邪魔をした。
ストライサンドの制作会社は、
エルヴィスに50万ドルと利益の10%という条件を提示した。
これに対してパーカーは、100万ドルと利益の50%、
さらに必要経費として10万ドルを要求、
サウンドトラックについて、さらに詳しく詰めることが必要だと主張した。
これに対してストライサンド側は、エルヴィスとの共演を断念、
主役をクリス・クリストファーソンに替えることを決めた。
エルヴィスはこの役を失ったことに激怒していたという。
このことから分かるように、
マネージャーとして、タレントの表現の幅を広げ、
格が上がることよりも、
金銭的要求を優先させたのだ。
エルヴィスは、当初サン・レコードに所属していたが、
レーベルのオーナーであったサム・フィリップスは、
エルヴィスの成功のためには、
もっと大きなレコード会社の支援が必要だと感じており、
RCAに権利を譲渡したのとは、大きな違いである。
マネジメント料は、
一般的には10%から15%だが、
パーカーは、エルヴィスの晩年には、
最大50%をもぎ取っていた。
しかも、その巨額な収入を
ギャンブルで使い果たしたというのだから、
エルヴィスも浮かばれまい。

また、パーカーは映画化会社と無理な契約をし、
クズみたいな映画に沢山出演させた。
1969年まで年に3本のペースで
27本もの映画の製作が行われたが、
いずれも、ファンだけを対象にした質の低い作品だった。
中では、


「G.I.ブルース」「ブルー・ハワイ」「ラスヴェガス万才」は
評価が高いが、
「ラスヴェガス万才」で共演したアン・マーグレットに食われたことから、
相手役は、格下の女優に限定され、
ますます質が低下した。
本編中には出てこないが、
場所と相手女優が変わるだけで
内容は大同小異の内容に、
エルヴィスは不満をつのらせていたという。
エルヴィスの映画で評価が高いのは、
「エルヴィス・オン・ステージ」「エルヴィス・オン・ツァー」の
舞台記録映画である。
ドキュメンタリーを除き、
32本の映画出演作がある。
中には挿入歌のない「燃える平原児」という映画もあるが、
ヒットしなかったらしい。

(なお、私は、「G.I.ブルース」「ブルー・ハワイ」
「ラスヴェガス万才」をリアルタイムで観ている。
特にハンサムでもないこの青年のどこがいいのかと思ったが、
歌のシーンになると、輝いたことが記憶に残っている。)

ラスベガスの公演で、エルヴィスは復活する。
それは、やはり、観客前で演ずることを至上とする
ライブ・パフォーマーだったことを示す。
その後もパーカーとの確執は続くが、
ついに最後までマネージャーの任を解くことはなかった。
自分を世に出した恩人、
と思っていたのかもしれないが、
パーカーなしにでも、
エルヴィスなら、世に出ただろう。

晩年はその活動をショーやコンサート中心に移したが、
そのさ中、
1977年8月16日に
テネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで亡くなった。
死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と発表された。
42歳没

「世界で最も売れたソロアーティスト」としてギネス認定がされた。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第3位。(1位は、アレサ・フランクリン)
このエルヴィスをオースティン・バトラーが、入魂の演技で演ずる。


バズ・ラーマンの演出は、
画面分割など華麗だが、
エルヴィスが結局何と闘い、何を望んだのかという、
基本軸が明確でないので、
悪徳マネージャーに翻弄されて
才能を磨耗された有能で不運な歌手としか描かれていない不満は残る。

5段階評価の「4」

拡大上映中。
                                        

ナンバー1 ヒットは全18曲、ビートルズ、マライア・キャリーに次ぐ歴代3位。
以下の曲名を見れば、
エルヴィスがどんなに偉大な歌手であったことが分かるだろう。

ハートブレイク・ホテル、アイ・ウォント・ユー、アイ・ニード・ユー、アイ・ラヴ・ユー、
ハウンド・ドッグ、冷たくしないで、ラヴ・ミー・テンダー、
トゥー・マッチ、恋にしびれて、テディ・ベア、監獄ロック、
ドントまずいぜ、冷たい女、恋の大穴、本命はお前だ、
イッツ・ナウ・オア・ネバー、今夜はひとりかい?、サレンダー、
グッド・ラック・チャーム、サスピシャス・マインド

私はロック調のものよりも、
スローなバラードの方が好きだ。

 



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