空飛ぶ自由人・2

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映画『首』

2023年11月27日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

北野映画は肌が合わないので、敬遠していたが、
今回観る気になったのは、
あるインタビューで、北野監督が、
戦国武将たちのことを
「こんな奴ら、ろくなもんじゃねえ」
と言っていて、共感したからだ。

戦国ものの小説は、よく読んだが、
ある時から読まなくなった。
というのは、描かれる世界が、
謀略と裏切り、背信、自己中心の
殺伐としたものばかりだからだ。
考えてみれば、
「和」の国日本で、
戦国時代は異常な時代
群雄割拠の武将たちが、
血で血を洗う内戦を繰り広げた。
人の命の大切さなど、微塵もなく、
国盗りの野望と、
自らの家を守るために権謀術数の限りを尽くした時代。
内戦するほど愚かな国はない。
国土は荒廃し、民衆は疲弊し、
国力を消耗する。
まあ、当時、「日本」を国として認識している人などおらず、
自分の周辺の支配権を争っていただけで、
誰も国民のことや国土のことなど考えていない。
人々は戦に駆り出され、
失わなくていい命を奪われる。

戦国武将のことは、小説家の創作意欲をかきたてるのか、
講釈師や小説家や映画が美化して描いたから、
武将たちが英雄のように扱われているが、
その実は、我利我利亡者の私利私欲のかたまりだ。
日本人の精神に「武士道」があると言われるが、
あれは、徳川時代の安定した時代に、
美意識が高揚して作られたもので、
戦国武将は、武士道もへったくれもなく、
もっと生臭い。

信長だって、江戸時代は評価されていなかった。
明治になって、小説家が信長像を作り上げただけ。
比叡山焼き討ちで女子供を殺戮したり、
破れた武将の一族郎党皆殺しなど、
残虐非道の行いをしている。
『信長公記』には、敵の女房衆122人が惨殺されたときのことを
こう記している。
「百二十二人の女房一度に悲しみ叫ぶ声、
天にも響くばかりにて、
見る人目もくれ心も消えて、感涙押さえ難し。
これを見る人は、
二十日三十日の間はその面影身に添いて
忘れやらざる由にて候なり」
京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人が、
大八車に縛り付けられて京都市中を引き回された後、
六条河原で斬首された。
立入宗継はその様子を、
「かやうのおそろしきご成敗は、
仏之御代より此方のはじめ也」
と書いている。
敵のしゃれこうべを器にして
酒を飲んだなんて、異常者の行為。

で、本作、
信長の本能寺の変を巡っての
北野らしい解釈で、
原作本も北野が書いた。
小説を脚色し、監督を務め、
北野流ワールドを展開する。
史実らしいものは出て来るが、
実際は史実無視だ。
(たとえば、荒木村重は籠に押し込められ放擲されるが、
実際は村重は生き延び、毛利氏のもとで、尾道に隠遁した。
本能寺の変で信長が死ぬと、
村重は尾道から堺に移り、
道薫(どうくん)と名乗って、茶人として復活し、
52歳で天寿を全うしている。)

とにかく、題名通り、斬首の場面が続出する。
一昔前は、刀を振り降ろす場面までで、
後は観客の想像力に委ねたが、
本作では、首が飛んで血が噴出し、
胴体が倒れる様をしっかり描く。
もちろんCGだが、ごくリアル。
CGの発達で、このような描写が出来ることを
嬉しがってるとしか思えない。
「世界で最も首が斬られた映画」として
ギネスを狙っているのではないか。

更に、大島渚の影響か、
武将同志の男色まで織り込むから、
気色が悪く、
常人が観たら、悪夢のような映像が展開する。

つまり、悪趣味

これを観た欧米人は、
日本人は何と野蛮で残酷な人種と思うだろう
もちろん、イギリスでも同じことがあったし、
フランスはギロチンを発明し、
その処刑の様を大衆の見せ物にした。
彼らに、日本の風習を非難するいわれはないが、
ただ、歴史を知らない人は、
単純に日本人野蛮説に賛同するだろう。
そもそも、外国人が日本の歴史に精通しているとは思えない。
我々がイングランドの内戦の貴族の名前を知らないのと同じだ。
信長? Who?
秀吉? Who?
光秀? Who?
本能寺の変? What?

ただ、戦闘シーンは迫力がある。
黒澤明の「影武者」より上だ。
戦場の死体累々たる様の描写もいい。
北野らしいユーモアもある。

秀吉と秀長、黒田勘兵衛のくだりは笑わせる。
残酷描写よりも、
こういう愚かな人間像を茶化しまくる手法もあったのではないか。
落語の始祖だと言われる曽呂利新左衛門、
秀吉に憧れる農民の雑兵・茂助など、
面白い人物は出て来るのだから。

本能寺の変で、
信長の命を奪ったのがあの人物だったとは、
初めて聞いた珍説。
その者が本能寺にいたことは史実で、
変の後、姿をくらましたのも事実。
その意外性だけは、瞠目した。

やはり、私には、北野映画は駄目だった。
創作者としての心根の卑しさがいやだ。
金と人をかけて、こんな映画を作るとは。
金持ちの道楽は、もうやめたらどうか。
こんな映画がカンヌで上映されたのが恥ずかしい

5段階評価の「2」

 



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