空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『ブルーピリオド』

2024年08月17日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

「マンガ大賞2020」を受賞した
山口つばさによる人気漫画↓

を実写映画化(既にアニメ化、舞台化)。
一人の男子高校生が美術の世界に挑む姿を描いた青春ドラマ。

高校生の矢口八虎(やとら)は、
大した勉強もしていないのに成績優秀で、
タバコも酒も飲む優等生不良。
ただ、流される毎日に物足りなさを感じていた。

美術の授業で「私の好きな風景」という課題を出され、
一番好きな「明け方の青い渋谷」を描いてみる。
自分にしか見えない世界を、
絵に描いてみたことで、
それまでの自分から解き放たれ、
本当の自分をさらけ出せたような気がした八虎は、
美術に興味を抱くようになり、
またたく間にのめりこんでいく。


そして、進路を決める時期が来て、
将来を心配する母を説得して、
国内最難関の美術大学への受験を決意するが・・・

「国内最難関の美術大学」とは、東京藝術大学のこと。


日本で唯一の国立芸術大学。
藝大には音楽学部と美術学部の2つがある。
美術学部は工芸科、彫刻科、デザイン科、
建築科、先端芸術表現学科、
芸術学科、絵画科の7つの学科があり、
絵画科は更に油絵専攻と日本画専攻の2つに分かれる。
絵画科の実質倍率はおよそ100倍で、
日本一受験倍率が高い学科、
ある意味東大より難しいと言われている。

八虎が目指したのは、その油絵専攻。
まず、一次試験は課題が当日発表で「自画像」。
それを朝9時から午後3時までの間に仕上げる。
(途中に1時間の昼食休憩)
イーゼルに置かれた出品作を藝大教授が一点ずつ評価し、
落選者の作品はイーゼルから外される。
一次通過者は二次に進み、
与えられた課題(八虎の時は裸婦像)を3日かけて仕上げる。
藝大絵画科の試験はどうやるのかと興味津々だったが、
なるほどと納得した。

八虎と共に藝大をめざす仲間たち。
同級生のユカちゃん、
「心が女性」の女装の鮎川龍二(あゆかわりゅうじ)、


ライバルとなる高橋世田介、
美術部の先輩・森まるなど。
それに美術部顧問の佐伯昌子、
美術予備校講師の大葉真由。

「好きなことをする努力家は最強なんです」
佐伯昌子が八虎に放つこの言葉が作品を貫く。
八虎は「好きなこと」を見つけた。
だが、そういう人は沢山いる。
後は、努力、いやそれ以上に才能がものを言う。
それは小説家でもお笑い芸人でも同じ。

本作は、絵画に見入られた青年の努力と成長を描いて、熱い
久しぶりに映画で、その熱さを味わった。
若い俳優たちは、
クランクインの前からそれぞれが絵の練習をスタートし、
手元のシーンは吹替なしで撮影に挑んだという。
絵を描く現場の熱気や醍醐味が
スクリーンから伝わってくる。

萩原健太郎が監督を務め、
脚本をテレビアニメ版を手がけた吉田玲子が担当。

                 
「ブルーピリオド」とは、
「青の時代」=画家パブロ・ピカソの青春期の陰鬱な作風の通称。


転じて、孤独で不安な青春時代を表す言葉。
良い題名を付けたものだ。


白山神社

2024年08月16日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日のこと。
日比谷で映画を一本観た後、
都営三田線で、ここへ。

東京10社、9社目の白山神社を訪れるためです。

白山にあるから白山神社ではなく、
白山神社があるから、地名が白山になりました。

駅からすぐ、

住宅街の中にあります。

こちらは西の入口。

階段を登り、参道を通って、本殿へ。

天暦2年(948年)、
加賀国の白山比メ(口偏に羊)神社から勧請を受けて、
武蔵国豊島郡本郷元町(現在の本郷一丁目)に創建。
元和年間(1615年-1624 年)に
将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現小石川植物園内)に移った後、
明暦元年(1655年)、現在地に遷座。
五代将軍綱吉公と生母桂昌院の信仰を受け、
小石川の鎮守となった。
という、由緒ある神社。

近年6月には3千株のあじさいが群れ咲き、

あじさい神社として都心の新名所でもあります。

孫文ゆかりの土地らしい。

春には、桜も。

末社の松尾神社。

ここにも。

日本の神社は、系統(系列)があって、
稲荷神社、八幡神社、熊野神社、三島神社、
日吉/山王神社、鹿島/春日神社、白山神社などあります
それぞれ、元宮(本宮)があって、
そこから分身を頂いて分社を建てて代わりにお参りしたもの。
交通機関がない時代に、遠くへ参拝に行くのは困難でしたから、
近所に、分社を建てたわけです。

大神社系列の順位を挙げれば、
1位 稲荷神社祭神 4万社
   総本宮:伏見稲荷大社
2位 八幡神社祭神 2万5千社
   総本宮:宇佐神宮
3位 神明神社祭神 1万社
   総本宮:伊勢神宮
4位 天満宮祭神 8千社
   総本宮:太宰府天満宮

白山神社は第12位
石川県の白山比め(口偏に羊)神社(しらやまひめじんじゃ)が総本宮。
ここが本店で、全国の白山神社は、支店。
日本中に白山神社は、2000社あります。
由来は、多岐にわたって複雑ですが、根本は朝鮮系です。
白山(はくさん・しらやま)=新羅人(しらぎひと)の山。

                                       


『原爆裁判』

2024年08月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

作家の山我浩の労作。

表題の「原爆裁判」とは、
1955年4月、
広島の原爆被害者3人が、
国を相手に損害賠償と
アメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟のことである。
この裁判を担当した判事の一人が三淵嘉子さん。


今放送中の朝ドラ「虎に翼」の主人公のモデル、
日本初の女性判事になった人物である。

本書は8つの章から成り立つ。
第一章 死の商人と呼ばれた男
第二章 原爆が投下された日
第三章 放射線との戦い
第四章 アメリカはお友達?だが・・・

この前半では、
アメリカにウランを売った鉱山会社の幹部、エドガー・サンジェの去就、
日本への原爆投下をやめさせようとしたアメリカの人々の闘い、
投下後、残留放射能についての調査を隠蔽し、
放射能はない、と貫いた、アメリカ政府の欺瞞、
等々について描かれている。

原爆を日本に落とす場合、3つの選択肢があったという。

①日本近海の無人島又は本土以外の島に落としてその威力を見せつける
②軍事目標(軍港、基地など)に落とす
③人口が密集する大都市に投下する

事前に警告するか、警告なしに行うかも
重要な選択肢であり、
警告なしに大都市の市民を無差別に爆撃した広島、長崎は
最悪の選択だった。
そのことを大統領も米国政府も理解していた。
日本は敗戦を自覚しており、
「原爆によって日本を降伏せしめた」
という理論は成り立たない。
それでも、強行したのは、
「真珠湾攻撃への復讐」というトルーマン大統領の認識であり、
その底には、人種差別意識があった。
そして、投下後の調査団の残留放射能の報告を
握りつぶしたのは、アメリカの戦争犯罪を糊塗することだったという。
今なら原爆投下による放射能汚染は
子どもでも知っている常識だが、
まだ研究資材が足りなかったのをいいことにして、
アメリカは事実をにぎりつぶしたのである。

こうした原爆投下に関する歴史的経緯を述べた後で、

第五章 女性弁護士三淵嘉子の誕生
第六章 家庭裁判所の母

で、ようやく三淵嘉子さんが登場し、

第七章 原爆裁判
第八章 三淵嘉子の終わりなき戦い

で、原爆裁判に至る。
表題の「原爆裁判」からすると、
やや羊頭狗肉という感じだ。

印象深いのは、三淵さんが新しい民法草案に触れる場面。
明治民法は「家」中心で、
家族は皆戸主の命令・監督に従わなければならなかった。
妻・婚姻した女性は「無能力者」と規定されており、
重要な法律的行為を行う場合には
常に夫の同意が必要とされていた。
ところが新民法草案では、
戸主や家制度に関わる条文が削除され、
婚姻の自由、夫婦別産制、均分相続制度などが新たに盛り込まれていた。

「女性が家の鎖から解き放たれ、
自由な人間として、
すっくと立ち上がったような思いがして、
息をのんだものです」
と三淵さんは言っている。

1955年(昭和30年)、
広島と長崎の被爆者が
起こした「原爆裁判」。
1960年から1963年まで
9回の口頭弁論が開かれている。
三淵さんは右陪席(次席裁判官)として、
裁判に携わり、
裁判長と左陪席は何度か交代しているが、
三淵さんだけは、第1回の口頭弁論から結審まで
一貫して原爆裁判を担当し続けた。
当然判決文も三淵さんの意見がかなり反映したと思われている。

準備期間を含めて8年に及ぶ裁判は、
1963年12月7日判決。
被爆者の損害賠償請求権は否定したものの、
原爆投下は、
広島、長崎両市に対する無差別爆撃として、
国際法違反であると認定した。
これは、世界で初めてのことだった。
新聞各紙は高く評価したが、
国際的にはどうだったかについては、
本書では触れていない。
おそらく、アメリカ政府は
日本の国内法で裁かれても何の痛痒も感じなかったのだろう。

また、判決文には、被爆者救済について、
「政治の貧困を嘆かずにはおられない」
と書かれており、
これが、後の「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」
「被爆者援護法」につながった。

国も原告も控訴しなかったため、
判決は確定。

末尾に判決文が全文掲載されている。
相当な長文で、作成者の苦労が忍ばれる。

そこには、
「原子爆弾の投下は、
当時日本国と交戦国の関係にあった
米国によってなされた戦闘行為であり、
それは当時の実定国際法(条約及び慣習法)に反する
違法な戦闘行為である」
と明確に書かれている。

また、アメリカに対する請求権は、
対日平和条約で放棄しているから
請求できない旨も明記している。

この原爆裁判に関して、
三淵さんが語ったものは何も残されていない。
沈黙を貫いたのは、自分が見解を述べることで、
わずかでも影響を残す可能性を恐れたのかもしれないが、
元々裁判官が合議の秘密を語ることは固く禁じられていたのだ。

最後に私見を。
私は前から昭和20年3月10日の東京大空襲も
広島・長崎に対する原爆投下も国際法違反であると考えてきた。
戦争は戦闘員同士で行うもので、
非戦闘員である一般市民を攻撃することは、
国際法違反であることは、
国際法で明確に定められている。
それを軍事施設ではない
一般市民の広範な住宅に対して無差別爆撃をしたのだ。
これを国際法違反と言わずして、何と言おうか。
しかし、戦後、それが国際的に問題視されたことはない。
それが戦勝国と敗戦国の力関係である。
戦勝国は全ての違反が許されているのだ。
ナチスドイツもロンドンを空襲した。
連合国もドレスデンを始め、
トイツの都市を無差別爆撃した。
日本だって、地理的利点があれば、そうしただろう。
つまり、戦争は何でもありであり、
勝った方が裁く権利を所有する。
それがニュールンベルグ裁判であり、
東京裁判であった。
戦争に負けるとは、そういうことなのだ。

しかし、日本は、
アメリカの罪を口汚くののしったりはしなかった。
むしろ、アメリカの良いところを吸収し、
国の糧とし、改造した。
そして、日本は経済的に復興し、
一時、世界第2位の経済大国として復活した。
戦争に負けたが、その後の競争で勝ったのである。
(いつまでも戦前の統治を恨みがましく言い募る韓国とは
 そこが違う。)

そういう意味で、
原爆の被爆国となったが、
その後の闘いで世界を見返したし、
今は、アメリカからは同盟国として頼りにされている。
それが日本人の賢さ
日本という国の底力というものなのだ。

 


映画『ボレロ』

2024年08月13日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

モーリス・ラヴェル「ボレロ」作曲を巡る秘話
と聞かされて、興味を覚えないクラシックファンはおるまい。
私もその一人で、公開初日の第1回を観に行った。

1928年、アメリカ演奏旅行を成功に収めたラヴェルは、
深刻なスランプに苦しんでいた。
(事実、帰国後のラヴェルはわずか4曲しか作曲をしていない。)
その前年、ダンサーのイダ・ルビンシュタインから
バレエの音楽を依頼されていたのに、
一つの音符も書けずにいた。
失った閃きを追い求めるかのように、
過ぎ去った人生のページをめくる。


ピアノコンテストに応募しながら、
何度も落選し続けた昔。
戦争に出て味わった痛み、
叶わない恋、
最愛の母との別れ・・・
それらの過去の記憶に責めさいなまれながら、
全てを注ぎ込んで傑作「ボレロ」を作り上げるが・・・

というわけで、時系列がくるくる変わり、めまぐるしい。
スランプの原因は
後で発覚する病気なのかもしれない。
とにかくラヴェルを憂鬱が包み、
作曲の手が鈍る。
しかし、行きついたのは、短調なリズムが続く中、
たった二つの旋律が、
楽器を変えながら17回繰り返されるという
斬新な新曲だった。

映画の中で、工場の機械音の繰り返しに着想した、
と出て来るが、これは定説なのだろうか。
たとえば、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」の
第4楽章が、鉄道オタクであったドヴォルザークが
蒸気機関車の音から着想したというような。

リズムから始まり、
二つのメロディーを生む過程は
なかなかていねいに描かれて興味深い。
それを家政婦に褒められて喜ぶ様子など。
バレエ曲として依頼されたが、
そのリハーサルで舞台のダンスに違和感を感ずる。
実際、あんな舞台だったのだろうか?
私の眼から見てもヘンテコだと思うが。

総じて、フランス映画だな、と感ずる。
過去と現在の交錯は、
気分が優先して分かりにくい。
アメリカ映画なら、
こういうところはすっきり描くだろう。

「ボレロ」後の病苦は、
ネクタイも結べず、サインするのもままならず、
コーヒーカップを取り落としたり、
人と会っているのを別人と認識したり、
今で言う認知症のような症状だが、
病気のせいというより、
心の問題ではないか。
(実際、ラヴェルの弟は脳腫瘍や脳内出血を疑って、
 高名な脳外科医の執刀で開頭手術を受けるが、
 腫瘍も出血も発見されなかった。
 ただ、脳の若干の萎縮が見られたので、
 生理食塩水を注入するなどしたため、
 手術後、11日で死亡している。)

というわけで、ラヴェルの生涯をからませて
創作の秘密に迫る、
といいながら、
あまり見事とは言えない出来上がりだった。

最後のラヴェル自身の指揮による幻影の
あのダンサーは何だろう。
意味不明。
むしろ、演奏の最中に
それまでのラヴェルの生涯の数ページを織り込む方が
すっきりしたと思うが。

ラヴェルの生涯について、
少し予習してから見たほうがわかりやすかもしれない。

冒頭、タイトルバックでの
「ボレロ」の様々な演奏が面白かった。
編中、「亡き王女のためのパヴァーヌ」を始め、
ラヴェルの曲が多用されている。

映画には出て来ないが、
最後に取り組んだオペラ「ジャンヌ・ダルク」は、
叶わぬ夢となった。
「このオペラを完成させることはできないだろう。
 僕の頭の中ではもう完成しているし音も聴こえているが、
 今の僕はそれを書くことができないから」
と述懐したという。

監督はアンヌ・フォンテーヌ
ラヴェルを演じるのはラファエル・ペルソナ


外見はぴったりだが、
何を悩んでいるのかはっきりしない。

5段階評価の「3.5」

TOHOシネマズシャンテで上映中。

以前、音楽イベントで、
国際フォーラムのホールAで
「ボレロ」を聴いたことがあるが、
最終盤の大音量で
反響がものすごく、
会場の空間が音楽のぶつかり合いになり、渦を巻いた。
音響的には良く設計されている会場のはずだが、
その想定を越えた音楽と思い、興味深かった。

私の世代には、「愛と哀しみのボレロ」(1981) の
モーリス・ベジャール振り付けによる
ジョルジュ・ドンの踊りが印象に残っている。

今も世界のどこかで15分毎に演奏、または踊られているのだとか。

 


パリ五輪メダルランク3位と閉会式

2024年08月12日 14時10分00秒 | 様々な話題

パリ・オリンピックも昨日で終わり。

結果は、メダルランキングで、日本は第3位

まるで、一時期のGDP1位から3位を見るよう。

居並ぶヨーロッパ勢より上です。

3位になったのは過去に2度あり、1964年東京大会↓と

2020(2021)東京大会。

しかし、それは開催国の優位さがあったからで、
今回のは海外大会での堂々第3位
今まで取れてない種目で金メダルを取ったのが貢献。

で、昨晩深夜の閉会式
斬新さは感心したものの、趣味が悪かった開会式と比べ、まとも。

この構築物は世界地図のようです。

客席の光が古代競技を表現します。

バッハさん、縮んだ? 御年70歳。

このサモトラケのニケ、

実物↓と違くね?

このリングが

吊り上げられて、

五輪になる。

会場と世界の視聴者をわかせたのが、トム・クルーズの登場。

屋根の上。

そこから

飛び降ります。

こんなことを生でやるとは。

日ごろ、スタントを自分でやることを証明。

アスリートたちの歓迎を受け、

ロス市長からオリンピック旗を受け取り、

どこかへ。

自前のバイクに乗って、

会場から去ると、

パリ市中を爆走し(ここからは、先に撮影)

空港に着くと、

飛行機の倉庫室へ。

そのまま、ロスへ向かいます。

「トム・クルーズが競技場の屋根から飛び降り、
五輪旗を受け取ると、
飛行機に飛び乗り、五輪旗をロスに運ぶ( らしい) 」
という噂は知っていましたが、本当にやるとは
会場で飛行機に飛び乗る、と思い違いしていましたので、
そんなの無理だろう、と思っていました。

ロスに着くと、スカイダンビング。

着陸すると、荷物から五輪旗を取り出し、次の走者に渡すと、

見送った場所が。

ハリウッドのサイン。
「OO」を加工して、五輪のマークに。

ただ、この後のミュージシャンの歌がちょっと長かった。
音楽的趣味が合わないから長く感じたのかもしれませんが。

聖火は、こうして、息を吹いて消します。こんなの初めて。

2週間後のパラリンピックにもちゃんとつなげています。


最後は、「マイ・ウェイ」

「マイ・ウェイ」が元々フランスの曲とは知りませんでした。

早かったですね。もう終了とは。