カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

●大正15年のラグビーボール

2016年01月11日 | ☆その他いろいろ 

 今回は、ちょっとマジメな話です。
 ラグビーの話っていうか、金銭価値の話ということになります。
 タイトルにもあるとおり、大正15年の話です。西暦では1926年。12月26日から昭和元年となる年です。
 この年、東北帝国大学医学部に3人の若者が入学してきます。彼らは、旧制浦和高校のラグビー部出身で、大学でもラグビーをやりたいと思っていました。 しかし、当時の東北帝国大学にラグビー部はありませんでした・・・っていうか、その頃の仙台にはラグビーチームが1つもなく、仙台でラグビーの試合が行われたということもなかったのですね。
 若者たちは、それでもラグビーをやりたいと思ったのですが、そもそもラグビーボールがありません。
 若者たちは、そのとき授業を担当していた教授がスポーツに対して理解が深いという話を聞き、相談してみることにしました。
 「いくら要る?」
 「15円です。」
 ・・・と、そんな会話がされたそうです。
 教授は、その15円を出してくれました。若者たちは、その15円でラグビーボールを2個買ったそうです。
 そこから仙台でのラグビー物語が始まるということになりますけど、そうした話をすることがこの記事のテーマではないので、このへんにしておきます。
 この話を聞いたとき、カエサルが思ったのは、「当時の15円って、今の何円?」ということなんですよ。
 そのことを考えているうちに、これは、なかなかややこしい問題だということがわかってきました。


 まず、ラグビーボールっていくらぐらいするのかを調べてみました。
 写真の「セプターWM-2」は某公式戦で撮ったものなのだけど、これだと、7,000円~8,000円というところみたいです。このことから単純に計算してみると、「当時の15円=今の1万5千円」ということになります。
 でも、当時のラグビーボールは貴重品であったと考えられますから、「当時の15円=今の3万円~6万円」と考えていいかもしれません。
 ちなみに、大正15年当時のカレー・ラーメン・そば・コーヒーは10銭だったんだそうです。ハガキが1銭50厘、銭湯が7銭、週刊誌が12銭・・・といったようなことなので、こうしたことから考えても、今の数千倍、「当時の15円=今の3万円~6万円」と考えてよさそうです。
 時代によって物価が違うというのは、どうしてそうなるのかとかはわかりませんけど、まあ、あたりまえのことだと思います。
 でも、この「当時の15円」という金額を当時の学生3人では工面できなかったということが気になりました。


 「今の学生」たちの経済状況についてくわしいわけではないのですが、カエサルが学生だった30年以上前の状況から推し量っても、「3人で3万円~6万円」というのはけっして工面できない額ではないと思います。
 3人で10万、3人で20万・・・ということになれぱ厳しくはなってきますが、そのために、特に親しいというわけでもない教授のところに相談に行けるかとなると別問題だと思います。
 何かやりたいことがあり、そのために金が要るのだが、自分たちでは工面できない。そこで誰かに相談に行く・・・ような金額となると、いくらになるのでしょう。50万円以上になるんじゃないかという気がするのです。
 そうした金額を、「今の教授」がポンと出せるかと言うと、かなり無理があると思います。
 「今の学生」が3人では工面できないような額で、かつ、「今の教授」がポンと出せる額というのは、ちょっとあり得ないという気がします。したがって、冒頭にあげたような話は「今」ではありえないということになってしまいます。



 単純に考えると、「今の学生」は、「当時の学生」に比べて、裕福になったということだと思います。
 「今の教授」も裕福になっているはずですけど、その差はかなり小さくなっているのではないかと思います。
 もちろん、学生や教授に限った話ではありません。世の中全体で、貧富の差が小さくなってきているのだと思います。
 ちなみに、国家公務員の初任給は大正15年(75円)から平成27年(18万円)で2400倍になっていますが、日雇い労働者の賃金(日給)は大正15年(2円)から平成22年(1万1千円)で5500倍になっています。
 こうしたことに伴って、世の中のしくみというか、人間関係みたいなものも変わってきていることになります。



 話のついでなので、「女中」の話をしちゃいます。
 カエサルは青空文庫ばかりを読んでいるわけなのだけど、明治~昭和前半には、それほど裕福とは思えない家にも「女中」がいるのですよ。
 今で言うなら「住み込みの家政婦さん」ということになると思いますが、当時の「女中」は、基本的に無給です。衣食住の面倒は見てもらえることになりますが、休みとかはありません。
 昭和前半まで、日本国民の生活レベルは、上流・中流・下流という3段階に区分することができたと思います。中流レベルの人は、下流レベルの人を「女中」として雇うことができた・・・というか、そうすることがあたりまえだったのではないかと思います。
 しかし、戦後、高度経済成長を経て、「国民総中流」と言われる時代になり、「女中」はいなくなったということになります。もちろん、「女中」だけがいなくなったわけではありません。「教授のところへ金の無心に行く学生」もいなくなったと言ってよいのではないでしょうか。



 近年、貧富の格差は拡大する方向にあるのだそうです。そう言われてみれば、そうなのかなとも思います。そういう方向が良いのか悪いのかということになると、いろんな思いはありますけど、何とも言えません。
 この記事では、「これからの社会はどうあるべきか」などということを語るつもりは毛頭ありません。
 ただ、日本が「総中流」になる前の時代、経済格差のあることがあたりまえだった時代っていうのを上手くイメージすることができずにいたので、ちょっとだけ考えてみたということになります。
 お金の話っていうのは、難しいですね。


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