カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

◎「テレパシー」についての考察

2017年03月02日 | ☆与太話     

 与太話です。小説の構想というか、書きかけの小説というか、そんなもんです。ここのところ、そういう記事を何回か書いているので、そういうカテゴリーもつくってしまいました。
 今回は、「テレパシー」について考察してみます。


 テレパシーというのは、言語・表情などによらず、他人の心が直接伝達されることなんだそうです。「精神感応」とも言われます。
 カエサルは、これ、ちょっとヘンなんじゃないかと思っているんですよ。心なんてものは、自分自身にだってわからなかったりするわけで、そんなものが伝わってきたからと言って、他人の心なんてものがわかるはずがないと思うのです。
 テレパシーのようなものがあるとすれば、まず、視覚や聴覚などが伝達されると思うのです。ある人が見ているものを見ることができ、ある人が聞いているものを聞くことができるということです。
 そうしたことの一環として、ある人が考えていることや感じていることも伝達されるとは思いますが、その前に、まず、視覚や聴覚だと思います。

 実は、カエサルにはそういう能力があるのです・・・ということにして話を進めていくことにします。念のために、フォントの色を変えておくことにします。


 カエサルは、ある人の中に入り込むことができます。
 「ダイブする」という言い方をしています。

 ダイブするためには、相手と直接会っている必要があります。目と目が合っていたり、体のどこかが接触していたりするとダイブしやすくなります。
 ダイブすると、その人が見ているものや聞いているものを感じ取ることができるようになるわけですが、カエサル自身が見ているものや聞いているものもあるわけで、かなり混乱します。誰かにダイブしている状態でまともに行動することは難しいので、できるだけ寝てしまうことにしています。眠ってしまうということではなく、ベッドに入って横になってしまうということです。誰かと会って、ダイブして、その直後に寝てしまうというのは至難の業なんですけど、そのへんは、いろいろと工夫しています。
 寝てしまえば、カエサル自身の感覚は無視しやすくなるので、ダイブした相手が見ているものや聞いているものをそのまま受け取りやすくなります。ただし、その見え方などはかなり違います。たとえば、同じ赤色のものでも、それがどのように見えているのかは、人によってかなり違うのです。この人は赤をこんな風に感じているんだ・・・などということがわかるまでにちょっと時間がかかります。
 暑い、寒いとか、甘い、辛いなどというようなことも感じることができます。でも、ダイブしている相手とカエサル自身としでは趣味・趣向が違うので、暑かったり寒かったりすることが快なのか不快なのか、甘かったり辛かったりすることが美味なのかどうかについては何とも言えないところがあります。
 殴られたりすると痛いですけど、このへんについても、かなり微妙な問題が生じてきます。肉体的な痛さと、精神的な痛さがあるのです。それらは同時に伝わってくるんですけど、後者はかなり曖昧です。殴られたり蹴られたり、あるいは、刀で切られたり銃で撃たれたりすれば、痛いことは痛いんですけど、カエサル自身の肉体には何の損傷もないわけです。そういうことがわかっていると、精神的な痛さというものはあまり感じないのです。喜怒哀楽のような感情も伝わってくるわけですけど、よくわからないと言っていいです。
 「心」が伝わってくるかと言うと、伝わってきているのかもしれません。感じることはできるのですが、理解することはできないというところでしょうか。たとえて言うならば、外国語でペラペラと話しかけられるようなものです。そもそも、自分自身の「心」だってよくわからないわけで、他人の「心」なんてわかるはずがないと思っています。


 ・・・と、まあ、そんなところが、カエサルの考える「テレパシー」ということになります。
 何度も同じことを書くことになりますけど、自分自身の「心」だってわからないわけです。ある人のことを好きなのか、嫌いなのか。ある思想のことを信じているのか、いないのか。カエサルには、自分の心なんてわかりません。ましてや人の心なんてわからないと思うんですよ。小説や漫画などには、テレパスとか、心理学の天才とか、人の心を読めちゃう人が出てくるわけですけど、人の心を読む前に自分の心を読んでみろと言いたくなることがあります。
 カエサルによるテレパシーの設定では、心は読めないにしても、その人が見ているものや聞いているものを感じ取ることができるということになっています。これは、科学技術が進歩したら可能になるんじゃないかと思っているのです。脳波みたいなものを検出して、そこから視覚情報や聴覚情報を取り出すわけです。それを記録しておいて、再生することもできます。他人の視覚や聴覚を自分の中で再生することもできるし、リアルタイムで感じることもできるわけです。
 そのような設定で、小説みたいなものを書けないかなと思っているわけです。そういうことができたとしたら、いろんなこと、たとえばスパイみたいなことができると思うし、面白い話がつくれるんじゃないかと思うんですけど、なかなかうまくいきません。
 なにしろ与太話ですから、お話をつくっているうちに、基本設定が変わってしまうのです。まあ、せっかくなので、もう少しお話を続けてみます。


 ダイブをするときは相手と直接会っている必要があるわけですけど、一度ダイブしてしまえば一緒にいる必要はないし、近くにいる必要もありません。ダイブしている相手との距離は関係ないないみたいです。ダイブしている相手が海外に行ったということはないのだけど、札幌や沖縄には行ったことがあります。
 実は、ただダイブするだけじゃなくて、ダイブしている相手を乗り換えることができるんですよ。カエサルは、これを「サーフィン」と呼んでいます。とりあえず誰かにダイブしておいて、その人が会っている人にダイブし直して、その人が会っている人にダイブし直して・・・ということを繰り返していくと、けっこういろんな人にダイブすることができます。
 ダイブしている相手の体を自在に操るなんてことはできません。話しかけるということもできません。練習していて、ちょっとできたかなと思うことはあるんですけど、なかなかうまくいきません。その分、カエサルがダイブしているということは、本人にはまったく気づかれないということになります。
 ダイブをやめることは、一瞬でできます。札幌や沖縄から一瞬で戻って来ることができます。戻って来たとき、たいていはベッドの上で横になっているわけですけど、起き上がって、トイレに行ったり、食事をしたりします。ダイブしている間は、そうしたことも簡単にはできません。長時間にわたってダイブし続けるということができないわけじゃないですけど、それなりの工夫が必要であり、かなり苦労します。


 ・・・と、まあ、そんなところでしょうか。
 どんな超能力にも限界というものがあるし、メリットとデメリットみたいなものがあるわけだけど、そうした設定をキッチリとしておきたいのです。でも、ちょっとお話を考え始めると、そうした設定がグラグラ揺らいじゃうんですね。なかなかうまくいきません。

 例によって、画像は本文の内容とまったく関係がありません。

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