三脚を使ってどうしたのかと言うと、ISOを100にして、絞りを16にして、スローシャッターで撮っただけです。だから何なんだと言われると、まあ、そういうことを始めたというだけの話です。でも、来年の「5月に読んだ本」あたりでは、画質がググンと上がった写真が出ているかもしれませんよ。と、まあ、そんなことを考えたりすると、楽しいではありませんか。
曹操が・・・とか、そういう話は後回しにしたいと思います。
10月の後半から11月の前半にかけては何かと忙しくて、本を読むような時間がとれなかったのですよ。10日には発刊されていたはずのハリポタも、15日くらいになってから買いに行ったんじゃないか・・・という気がするわけです。・・・とすると、11月の2冊目がハリポタというのはおかしいと思います。でも、そんなことを検証してみても何の役にも立たないので、この順番で読んだということにしちゃいます。
10月も、4分冊の予定だった第4巻が3分冊だったりして、あれれ?なんて思ったんですけどね。まあ、第4巻が出た・・・ということには変わりありません。
でも、11月の場合、第5巻が半分しか出ていないわけで、同じ巻の続きの話を読むのに1ヶ月も待たされちゃうというのは、ちょっと許せないという気がします。
だから、文句をつけるとすれば、出版社の姿勢しかありません。
どうしてこの本を読んだのかと言うと、まあ、気分転換をしたかったんですね。ハリポタは第5巻の途中なわけですけど、続きが出るのは1ヶ月後です。宮城谷三国志は第四巻(もしくは、第五巻)まで読んだところで、手元には第八巻まであるのだけど、そのまま宮城谷三国志に戻るよりも、ちょっと気分転換がしたかったんですね。
・・・などという話を始めると悪口にしかならないんで、このへんで止めておきたいんですけどね。この本には、いろいろと考えさせられちゃいました。ハリポタよりも、三国志よりも考えさせられちゃいました。小説って、書くのが難しい・・・ということですよね。そんなことを考えさせられた1冊でした。
たとえば、赤壁の戦い。三国志演義とかでは、諸葛亮がオマジナイをして風の向きを変えた・・・なんてことになってるわけですけど、宮城谷三国志では、そんなこと、全然ないんですよ・・・みたいなことがアッサリと書いてあります。
劉備や諸葛亮をスーパースターにした「演義」も面白いんだけど、実はそうじゃないんだよ・・・みたいな話も面白いわけです。カエサルは、「演義」に準拠した小説や漫画、人形劇、ゲームなんかをそれなりに経験していますからね。「演義的な世界」が頭の中にできあがっているわけです。そうした世界が覆されちゃうというのは、面白いですね。とんでもなく面白いです。
宮城谷三国志の第一巻や第二巻は、「演義」では扱われていないわけです。聞いたこともないような人たちが登場して、それなりのドラマを展開します。当然、何もひっくり返らないわけです。でも、第五巻~第七巻となると、それまでの世界がゴロンゴロンとひっくり返って、楽しい楽しいですね。とんでもなく楽しいです。
劉備が蜀をとるという結末についてはわかりきっているんですけどね。でも、どのようにしてとるのかについては、ワクワクします。楽しみ楽しみですね。
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