すでにいろんなことを書いてきたので、あらたに何かを書こうなどというわけではありません。そこはかとなく、3月11日を振り返ってみたいと思います。
ちなみに、この写真は3月11日のものではなくて、その2日後くらいに撮ったものです。午後2時48分、1週間くらいは続いていたんじゃないかな。
公的記録では震度6弱ということになりますけど、カエサルがいたのは4階だったのでかなり揺れました。誰もが言うことだけど、長かったです。宮城県沖地震との大きな違いだと思います。
でも、建物の崩壊とかによる被害は、宮城県沖のときよりも小さかったのではないかな。あのとき以来の教訓が生きたんだと思います。
でも、崩れるものは崩れました。
カエサルは、どちらかと言うと、反対派でした。まさか、この発電機を使うときが来るとは思いませんでしたね。
いずれにしても、カエサルにとって一番衝撃的だったのはこのときですね。映画などではなく、遠い異国の話でもなく、ここから十数kmほど先の映像です。
いずれにしても、やるべきことはやらねばなりません。
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