カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

2ヶ月前

2011年05月11日 | ☆東日本大震災  

 あれから2ヶ月・・・になります。
 すでにいろんなことを書いてきたので、あらたに何かを書こうなどというわけではありません。そこはかとなく、3月11日を振り返ってみたいと思います。
 ちなみに、この写真は3月11日のものではなくて、その2日後くらいに撮ったものです。午後2時48分、1週間くらいは続いていたんじゃないかな。


 まずは、地震。とにかく、地震。
 公的記録では震度6弱ということになりますけど、カエサルがいたのは4階だったのでかなり揺れました。誰もが言うことだけど、長かったです。宮城県沖地震との大きな違いだと思います。
 でも、建物の崩壊とかによる被害は、宮城県沖のときよりも小さかったのではないかな。あのとき以来の教訓が生きたんだと思います。
 でも、崩れるものは崩れました。


 阪神、西インド、スマトラ、四川省、中越、岩手・・・と、順番とか名前とか違うかもしれません。とにかく、いろいろとありました。宮城県沖は、そのうち、必ず来ると言われていました。それなりの準備はしていました。


 カエサルの職場には、防災推進派とも言うべき人たちがいるのです。
 カエサルは、どちらかと言うと、反対派でした。まさか、この発電機を使うときが来るとは思いませんでしたね。


 いろんな準備が進められていく中で、テレビが設置されました。


 すでに原発事故のことは知っていたのかな、まだだったのかな。
 いずれにしても、カエサルにとって一番衝撃的だったのはこのときですね。映画などではなく、遠い異国の話でもなく、ここから十数kmほど先の映像です。


 かなり大きな被害が出ている・・・ということはわかりました。でも、どれくらい大きいのかはわかりませんでした。
 いずれにしても、やるべきことはやらねばなりません。


 すっかり夜になりました。


 この夜がいずれ明けるということは、誰もがわかっていました。


 でも、どんな朝が来るのかは、誰にもわかりませんでした。


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