ひいらぎ通信

日常のささやかな幸せを拾い集ようと、ブログ、始めてみました。

忙しいけれど、元気です。

2007年09月13日 | 健康
はっは、忙しい忙しいって、もうほとんど口癖ですが、
ここ3週間は、ちょっとしんどかったです。
パソコンを開くのもやっとで、
ブログもあちこち覗かせてはもらっていたんですが、
コメントはできずじまい。
当然記事を書く気力もありませんでした。
書きたいことは、たくさんあるのに。
はああ、文章を書くのって、意外と気力体力を必要とするのね、
って、再確認したりして。
でも、どうにか一段落。

ところで、大きな病気は無い代わり、「ちょっと不調」をたくさん抱えている私。
8月はこれまでにも判明しているヤツの定期健診が重なり、
4回も検査のために採血されてしまいました。
それぞれ別の病院なので、仕方がないかとも思いましたが、
採血されるたびに、
「ああ、この血を○○病院の方にも回せないかなあ。調査項目、重なってるのも多いんだし」
とか思っちゃいました。
だって、血管細いんだもん。採血、大変なんだもん。
とある病院では、どうも子供用と思われる、細い採血管のものまで持ち出されてしまいましたよ。

で、以前から気になっていたむくみや体の痛みの相談をした結果、
新たな慢性病が発覚(暫定)してしまいました。
何故暫定かと言うと、血液検査などの結果、
「怪しいけれども断定できないので、投薬しながら経過を見ましょう」
という、微妙な状態だからです。
それこそ、「細く長く」お付き合いすることになりそうです。
新たに主治医(?)になったお医者様。
おじいちゃん先生です。いろいろあやしいです。

でも、薬局での話では、慎重に投薬されるタイプの先生だと言うし、
看護婦さんが血液検査の結果をカルテに貼り忘れていたのを見て、
「こんなことを診療時間に入れてはいかん」
と叱られているのを見ても、患者さんのことを思ってくれるタイプのお医者さんのようです。
病気同様、細く長くお付き合いいただくことになるかと思います。

とにかく、明日以降は通常通りになれそうなので、
書きたいことを書き散らして行こうと思います。

一体誰が誰を責める権利を持っているのか。

2007年09月03日 | Weblog
以前から、マスコミの報道のあり方には、疑問を持っていました。
知り合いにも、
「新聞記事なんて、話半分で読まなきゃ駄目よ。
以前取材されたことがあるけど、『最初に結論ありき』で、
都合のいいことしか載せないし、
おまけに、言ったことと正反対の記事書かれちゃったわ」
という人もいます。
特に、医療に関する記事。
一方的に医療関係者を悪者にするスタンスが多すぎはしないか。

最近のもので言うと、救急搬送中に交通事故にあったという例の事件。

奈良から救急搬送の妊婦が流産 10病院受け入れ断る
この見出し、センセーショナルにあおるものになっていません?
「受け入れ拒否」となっている記事も見ましたが、
「受け入れ不可能」だったのでは?と思っていました。
そしたら、次に、こんな記事が。
<奈良・妊婦搬送中流産>最初要請の病院、受け入れに余力
奈良県立医大に空きベッド 搬送女性流産問題
こんな風に書くと、「受け入れ可能だったのに受け入れなかった」と受け取られかねませんよね?事実、そう思っている方も見受けられました。
私、入院していたことがありましたが、看護婦さんもお医者さんも、
皆さん、とっても忙しそうでした。
それでなくても、医師不足が言われる昨今、
本当に受け入れるわけには行かない(不可能な)病院も多かったのではないかと推測していました。
なのに、こんな社説まで出る始末。

【主張】妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち
それにしても、痛みをこらえる患者をたらい回しにする行為は許されない。理由は「手術中」「ベッドがない」といろいろあるだろうが、患者を救うのが医師や病院の義務である。それを忘れてはならない。
って、ひどい言われようです。
手術中に、新しく患者を受け入れられるわけ無いじゃん?
無責任に受け入れて、どんな治療が出来るというのか。


搬送妊婦受け入れ拒否、奈良県立医大病院がHPで経緯説明
という記事が出ました。でも、この記事だけでは、説明不足です。
実際の奈良県立医大病院のHPを見てください。
今般の妊婦救急搬送事案について
次々に運び込まれる患者さん。
この状態で受け入れろって言うんですか?
ベッドが空いていても、受け入れられるわけがありません。
お医者さんだって、私たちと同じ2本の手しかない人間です。
薬師如来のように、万人をすくう手なんて持っているはずがありません。
当直とありますが、実際は夜勤と変わりません。
前日の朝から24時間勤務した後で、続けて通常勤務をするんですよ?
こんなこと続けてたら、死んじゃいますよ。
お医者さんになる人、いなくなっちゃいますよ。
そう思って、サイトをうろうろしていたら。

昨年の、大淀病院の事件。
分娩(ぶんべん)中だった妊婦さんが脳内出血のため意識不明となり、19病院から転院を断られた後、搬送先の病院で死亡したとの報道の後、
大淀病院は、産科を休診。奈良南部の病院は、産科がゼロになってしまったそうです。
奈良南部の病院、産科ゼロ 妊婦死亡、町立大淀も休診へ




元々、産科と小児科は、過酷な職場と聞いています。
出産は、命がけの仕事であることは、今も昔も同じです。
でも、医療関係者の努力のおかげで、
昔は助からなかった命がたくさん救われるようになって来ました。
医療が高度になった分、患者さんが亡くなった時に、
高度の医学知識が無ければ、あるいはあっても、
原因を特定するは難しくなっているかもしれません。
容態が急変することも多く、
さっきまで元気だった家族が急に亡くなれば、
残された遺族は、納得できないという気持ちにもなるでしょう。
大事な家族をなくされた方の心中は、想像することすらできません。
いざその立場に立たされたら、私だってどういう態度をとるのか、分かりません。
でも、でもね。
それをただセンセーショナルに報道するのは、どうかと思うんですよ。
不正を許せといっているわけでも、過誤を見逃せといっているわけでもありません。
でも、奈良南部に産科がなくなってしまったこと、
このことに関するマスコミの責任は、ゼロなんでしょうか。
今回の報道のあり方を見ると、またお医者さんが減っていって、
過酷な現場に拍車をかけることになりはしないかと、
本気で心配しています。

夏 広島から

2007年09月02日 | Weblog
なかなか記事に出来なかったのは、
色んな思いが渦巻いて、うまく言葉に出来なかったからでもあります。
「自分に何が出来るのか、考えてみて」というさださんのメッセージに、
どうしたら答えることが出来るだろう、と迷ってもいました。
で、
「いっぺんに記事にすることは無い。少しずつ書き綴ってもいいはずだ」
と開き直ることにしました。


8月9日。その日も、広島には青い空が広がっていました。


コンサート前に立ち寄った、原爆ドーム。

あまりの暑さに、水浴びや砂浴びをするスズメを目撃。
ふふふ。熊本は、もっと暑いよ。
ためしに来てみる?


顔は遠くて見れなくて、ずっとスクリーンを見つめっぱなし。
と言うのが残念でしたが、
出演の皆さんも、
「お客さんが遠いよ~」
とおっしゃってました。
広島球場でのコンサートと言うのは、色んな事情があるんでしょう。

ちなみに、広島球場50周年のイベントの一つにもなっていたようで、
オープニングで、さださんが広島のユニフォームを着て出てきたのはうけました。

元々コンサート仕様ではないところで会場を作ってくださった
スタッフの方、ありがとうございました。
会場整理をしておられた方々にも、細かな配慮を感じました。
本来自由席の場所にはシールで座席が分かるようにしてもらってました。
お疲れ様でした。







まずは、20年間コンサートを続けてくださったさださんと、
そのコンサートを支えてくださった全ての皆さんに
「ありがとう」を伝えたいと思います。

ありがとうございました。


今回、記事を書くのに、とっても悩みました。
平和について語るのは難しい。
何でこんなに難しいんだろう。
その原因の一つは、加害者である人が同時に被害者でもあり、
どんな書き方をしたところで、誰かを傷つけてしまいそうな気がするからです。
8月になると、戦争に関する特集番組がたくさん放送されます。
そういったものを見るたびに、
誰もが被害者であると思います。
「加害者」とされる人たちでさえ。
そう思うと、私などが軽々しく「平和」を語っていいのだろうか、
そう躊躇してしまいます。

先日フランス語の講座で「南京事件」についての言及があり。
同じく講座に通う若い方から、
「え?本当にそんな事があったんですか?」
と聞かれ、フランス語の先生からは、
「日本人は、自分たちのした事を知らないんですね」
と言われてしまいました。

知らないんです。
だから、少しずつ勉強していこうと思います。
少なくとも、考え続けることで、自分のアンテナを広げることは出来るはずだと、
信じることにします。