“僕の中の少年”というCDが好きだと以前書いた。
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/5f60498dbd889a029cd0efc43eb694a1
この記事の中で書いた"ビー玉"という詩。大学の先輩がプリントしてくれ、捨てずにもっていたはずと探していた。残念に思っていたが、部屋の片づけをしていたら偶然にもプリントが出てきた。少々長いがそのままにご紹介したい。
我々はビー玉である
少年は作られたばかりのガラス玉
透明で無垢、光輝で鋭利
しかし、一日一日、大人になるにつれて
小さな傷を負って行く
数え切れないほどの多くの傷を
やがてガスピーのように傷つき、淡い光しか発せなくなる
大人になることは、濁りと丸み、汚れと狡さ
決してそんなことがいいとはいわないけれど
何十年も傷一つできなかったビー玉に大きな傷を入れて割ってしまうより
小さな傷を無数に負って淡い光を発することのほうがいいのではないか
少しでも傷のない生まれたばかりのビー玉であり続けることが
素晴らしいことに間違いないけれど
澄み切った少年であり続けるのは
天才的才能の持ち主か世捨て人にしかできないことだ
一日一日、いろいろなものにぶち当たって生きていく我々に
小さな傷は必ずできる
かすり傷一つ負わないやつは
よほど偏屈者か図々しいやつか
ダイヤモンドのように優れたやつ
所詮、我々はビー玉である
ありふれたビー玉のくせして
傷つかないようにしたり、人生にもまれないようにしたり
純粋なままで生きたいなどと抜かすやつは
とんでもない詐欺師か、とんでもなくイケ図々しいやつだ
ダイヤモンドでないくせに
自分が無傷であることを願うのは
それ自体悪いことではないけれど
しかし、自分を無傷の状態に保つために
いかに多くの人を傷つけていることか
それをわきまえない振舞いだ
柄もなく無垢なガラス玉でありたいと願うやつが
一度でも傷を負う立場に立つと
とり返しのできない深手を負ってしまう
一度も傷を負わないやつは、一度も他人と交わったことのないやつ
「私は汚いことが大嫌いだ」とか
「不純なことは絶対許さない」とかいっているやつに限って
意外にロクなもんではないんじゃないか
ただ、所詮、ビー玉の我々だけれども
少年時代に見た世界の、ガスに曇っていない輝きを
いつまでも忘れたくない
汚れた大人の世界をにごった光の中で見ているていたらくだけれども
かつてはオレも、外からの光をあるがままに感受し
周りのものを輪郭そのままに見つめていた時代があったことを忘れまい
悲しみが悲しみであり、喜びが喜びであったことを忘れまい
光を純粋に受けとめて輝いていた時代があり
それが不純になってきた道程を忘れなければそれでいい
忘れるはずがない
傷ひとつないガラスで見た世界を
我々はビー玉なのだから
by 「 KID RETURN 」
久しぶりに読み返して、私の中の少年が微笑んだ。これからも傷を増やしながらもかつて見た透明な世界を忘れずに歩いていきたい。
このプリントを配った先輩は今ごろどうしているのだろう。まっすぐな人だった。
皆さんの感想もお聞かせ頂ければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/5f60498dbd889a029cd0efc43eb694a1
この記事の中で書いた"ビー玉"という詩。大学の先輩がプリントしてくれ、捨てずにもっていたはずと探していた。残念に思っていたが、部屋の片づけをしていたら偶然にもプリントが出てきた。少々長いがそのままにご紹介したい。
我々はビー玉である
少年は作られたばかりのガラス玉
透明で無垢、光輝で鋭利
しかし、一日一日、大人になるにつれて
小さな傷を負って行く
数え切れないほどの多くの傷を
やがてガスピーのように傷つき、淡い光しか発せなくなる
大人になることは、濁りと丸み、汚れと狡さ
決してそんなことがいいとはいわないけれど
何十年も傷一つできなかったビー玉に大きな傷を入れて割ってしまうより
小さな傷を無数に負って淡い光を発することのほうがいいのではないか
少しでも傷のない生まれたばかりのビー玉であり続けることが
素晴らしいことに間違いないけれど
澄み切った少年であり続けるのは
天才的才能の持ち主か世捨て人にしかできないことだ
一日一日、いろいろなものにぶち当たって生きていく我々に
小さな傷は必ずできる
かすり傷一つ負わないやつは
よほど偏屈者か図々しいやつか
ダイヤモンドのように優れたやつ
所詮、我々はビー玉である
ありふれたビー玉のくせして
傷つかないようにしたり、人生にもまれないようにしたり
純粋なままで生きたいなどと抜かすやつは
とんでもない詐欺師か、とんでもなくイケ図々しいやつだ
ダイヤモンドでないくせに
自分が無傷であることを願うのは
それ自体悪いことではないけれど
しかし、自分を無傷の状態に保つために
いかに多くの人を傷つけていることか
それをわきまえない振舞いだ
柄もなく無垢なガラス玉でありたいと願うやつが
一度でも傷を負う立場に立つと
とり返しのできない深手を負ってしまう
一度も傷を負わないやつは、一度も他人と交わったことのないやつ
「私は汚いことが大嫌いだ」とか
「不純なことは絶対許さない」とかいっているやつに限って
意外にロクなもんではないんじゃないか
ただ、所詮、ビー玉の我々だけれども
少年時代に見た世界の、ガスに曇っていない輝きを
いつまでも忘れたくない
汚れた大人の世界をにごった光の中で見ているていたらくだけれども
かつてはオレも、外からの光をあるがままに感受し
周りのものを輪郭そのままに見つめていた時代があったことを忘れまい
悲しみが悲しみであり、喜びが喜びであったことを忘れまい
光を純粋に受けとめて輝いていた時代があり
それが不純になってきた道程を忘れなければそれでいい
忘れるはずがない
傷ひとつないガラスで見た世界を
我々はビー玉なのだから
by 「 KID RETURN 」
久しぶりに読み返して、私の中の少年が微笑んだ。これからも傷を増やしながらもかつて見た透明な世界を忘れずに歩いていきたい。
このプリントを配った先輩は今ごろどうしているのだろう。まっすぐな人だった。
皆さんの感想もお聞かせ頂ければ幸いです。
そうですね、自我が強いということは相手を傷つけることも多くなるのかも。
ゴマたんさんは、いい色合いのビー玉だと思うな。
日記読んでるといろいろな色が透けて見えて、虹色になったりもして、とっても綺麗ですよ。(^ω^)
>だれもみな年齢を重ねていても変わらぬところがあるもので、そこを再度いろんな形で確認していきたい、また、おもいしらされることが多々あります。
そうですね。変わらぬところがいとしいと思います。
今思えば傷とも思わないことも当時は一生懸命で勝手に傷ついていたり、反対に誰かを傷つけたり、そうやって大人になっていくんでしょうね。
>わたしのビー玉はぶつかり、砕け散るばかり。
そうですか。でも砕けてビー玉よりも色々な光を受けられるような素敵な形になっていっているのかもしれませんね。
なんでも最初は透明で濁り無いけど、徐々に傷がついたり濁ったり、でもそれが経験を積むということなのかもね。
毎日が変化の連続。
>この詩をプリントして配られた先輩の熱意
本当に。社会人になる一歩手前でちょうど色々なことを感じる年だったのかな。
あなたの先輩でもありますよ、多分面識はないけど。
あまりにストイックな人、自我が強い人は、かえって周りを傷つけることもある、、、そのとおりかもしれません。
私もいつか、小傷はいっぱいついてるけど、いい色合いだね、いい光り方するね、って言ってもらえるようなビー玉になりたいです(^ω^)
だれもみな年齢を重ねていても変わらぬところがあるもので、そこを再度いろんな形で確認していきたい、また、おもいしらされることが多々あります。
おそらく、たまごさんは物事の思いをを直截にあいてに伝えることで、だいぶんかすり傷があったのではないでしょうか?
毒は薄められなければならない、薄められた真実の毒は、なまのままの真実にさらに光沢をあたえる。
むかしむかし読んだロシアの哲学者、サントブウブ、という人が「わが毒」という著者でいっているのを、わたしも胸にこたえるのが、20台も後半になってでしたから、わたしのビー玉はぶつかり、砕け散るばかり。ビー玉じたいも、やわにできていたんだなー、詩をよんでいて、感じました。
言い得て妙ですね。
たしかに最初は透明でも、
時間とともにだんだん傷がついたり濁ったりしてきてるなあ。
この詩をプリントして配られた先輩の
熱意というのか、なんというのか、
そこにも興味がわきました。