昨日は涅槃会でした。PCの調子が悪くアップが1日遅くなりました。コメントくださっている皆様にも追ってお返事致しますのでご了承下さいね。
紀元前383年2月15日はお釈迦様の命日です。没年にはほかに483年、544年など諸説あるようです。ヒマラヌヤヴァティー河の岸辺にある沙羅双樹の林で、頭を北に、右脇を下にした形で亡くなりました。80歳。各地で見られる涅槃像はその形をしていますし、日本で亡くなった方を北枕に寝かせるのはここからきています。日常生活でも北枕にして寝てはいけないと言われるのはこのせいですね。
亡くなる際、釈迦が残した言葉は「あらゆるものは、うつろいやすいものである。怠ることなく精進せよ」。
原語で涅槃はヴァーニルヴァーナといい、ヴァーは「風が吹く、香をはなつ」という意味、ニルヴァーは「吹消される、静められる」の意味で、ニルヴァーナは過去形「吹消された」となるそうです。迷いの火が吹消された状態、あらゆる煩悩の火が吹消され静められた状態を涅槃ということになるでしょう。心の障害、心の汚れ、むさぼり、いかり、愚痴などを消滅することにより、究極的な安心の境地「涅槃」へと近付く。
一般には亡くなる=涅槃の境地と思いますが、釈迦の教えはこの世で悟りを開き、涅槃の安らぎを得させようというもの。死ではなく、心が本来の自由を獲得した境地が涅槃ということになるでしょう。生きながらにして煩悩を消し去り、真に自由な心になる、なかなか難しいことではあります。
浜松のお寺で、涅槃図の織物を見ました。そこには、左上の雲の上から、包みを投げようとしている女性が織り込まれていました。これは息子であるお釈迦様の為にお母様マヤ夫人が薬を投げようとしている姿、ここから投薬という言葉が生まれましたとご住職より説明がありました。
仏教は釈迦の死後も弟子たちにより広められ、インドから中国、東南アジア、日本と徐々に伝わり、大きな影響力を持ちました。茶道も禅という形ではありますが、影響を受けています。その根本である釈迦の教えを折りに触れ知ることは茶道の精神を知ることにも繋がるように思いますし、知るほどに2つが繋がっていることを実感します。
「あらゆるものは移ろいやすいものである。怠ることなく精進せよ。」
移ろうことも受け入れるおおらかさをもつこと、今を精一杯大切に生きたいと、私はこの言葉から思いました。端的ながら心に染み入るいい言葉ですね。
写真は、昨年訪れた東大寺大仏殿の蓮華座です。遠目ではわかりませんが、蓮華の花びらひとつひとつに美しい絵が描かれています。
<ご参考>
臘八 ろうはち
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/c53f3331fbc62892e5b1e7c8bd438dee
花祭り
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/f28d59eb8f6daa64376b671bd1cfe460
紀元前383年2月15日はお釈迦様の命日です。没年にはほかに483年、544年など諸説あるようです。ヒマラヌヤヴァティー河の岸辺にある沙羅双樹の林で、頭を北に、右脇を下にした形で亡くなりました。80歳。各地で見られる涅槃像はその形をしていますし、日本で亡くなった方を北枕に寝かせるのはここからきています。日常生活でも北枕にして寝てはいけないと言われるのはこのせいですね。
亡くなる際、釈迦が残した言葉は「あらゆるものは、うつろいやすいものである。怠ることなく精進せよ」。
原語で涅槃はヴァーニルヴァーナといい、ヴァーは「風が吹く、香をはなつ」という意味、ニルヴァーは「吹消される、静められる」の意味で、ニルヴァーナは過去形「吹消された」となるそうです。迷いの火が吹消された状態、あらゆる煩悩の火が吹消され静められた状態を涅槃ということになるでしょう。心の障害、心の汚れ、むさぼり、いかり、愚痴などを消滅することにより、究極的な安心の境地「涅槃」へと近付く。
一般には亡くなる=涅槃の境地と思いますが、釈迦の教えはこの世で悟りを開き、涅槃の安らぎを得させようというもの。死ではなく、心が本来の自由を獲得した境地が涅槃ということになるでしょう。生きながらにして煩悩を消し去り、真に自由な心になる、なかなか難しいことではあります。
浜松のお寺で、涅槃図の織物を見ました。そこには、左上の雲の上から、包みを投げようとしている女性が織り込まれていました。これは息子であるお釈迦様の為にお母様マヤ夫人が薬を投げようとしている姿、ここから投薬という言葉が生まれましたとご住職より説明がありました。
仏教は釈迦の死後も弟子たちにより広められ、インドから中国、東南アジア、日本と徐々に伝わり、大きな影響力を持ちました。茶道も禅という形ではありますが、影響を受けています。その根本である釈迦の教えを折りに触れ知ることは茶道の精神を知ることにも繋がるように思いますし、知るほどに2つが繋がっていることを実感します。
「あらゆるものは移ろいやすいものである。怠ることなく精進せよ。」
移ろうことも受け入れるおおらかさをもつこと、今を精一杯大切に生きたいと、私はこの言葉から思いました。端的ながら心に染み入るいい言葉ですね。
写真は、昨年訪れた東大寺大仏殿の蓮華座です。遠目ではわかりませんが、蓮華の花びらひとつひとつに美しい絵が描かれています。
<ご参考>
臘八 ろうはち
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/c53f3331fbc62892e5b1e7c8bd438dee
花祭り
http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/f28d59eb8f6daa64376b671bd1cfe460
お勉強させていだたきます♪
うちも、涅槃団子よくもらいますよ。
涅槃団子は糸で編みこんでお守りにしてます。。
足跡残しておきます~。
「あらゆるものは、移ろう」
本当ですね。実感します。
あちこちにありますね。 日本人の心にも自然に溶け込んでいる
お釈迦様の心。 うつろうからこそ美しいという日本の美学とも
一致しているからでしょうか。
北枕とか全く気にせず寝ていますww
仏教ってすごいですよ。深すぎてまだまだ涅槃の境地には程遠いですが。
>うちも、涅槃団子よくもらいますよ。
>涅槃団子は糸で編みこんでお守りにしてます。。
涅槃団子って何ですか?初めて聞きました。しかも糸で編みこむって、洋服にですか?どんな形しているんだろうー。どういう謂れのものなんだろうー。教えて下さい。
>通り過ぎようと思いましたが、足跡残しておきます~。
ありがとうございます。
北海道にお住まいなのですね。ブログお気に入りに追加しましたので徐々に読ませて頂きます。
>「あらゆるものは、移ろう」
本当に。日々様々なことが移ろっていきますね。
>日本人の心にも自然に溶け込んでいるお釈迦様の心。
そうですね。あらゆるところにお釈迦様の教えがみられますね。
>うつろうからこそ美しいという日本の美学とも一致しているからでしょうか。
まさにそうなんでしょうね。季節移ろい、衣食住も移ろい、人の生き様もまた移ろい。それと仏教の教えは見事に融合して、日本人はあらゆるモノに美しさや儚さを見出したのでしょうね。
涅槃=安心、そういえば、寝た姿って一番安らいでいる姿ですもんねえ。
>北枕とか全く気にせず寝ていますww
涅槃の境地になれるなら、北枕も悪くないですね。今度意識してやってみたりして。