栂尾に茶を植えた明恵上人は、座禅修行の際、そのやすらぎと健康のために、抹茶を頂いたという。
また曹洞宗の開祖である道元によると、修行の1つとして、茶の儀式が存在したという。今も京都の建仁寺では、四頭の式(よつがしらのしき)という禅の中での茶礼を伝える儀式があり、鎌倉の円覚寺や建長寺でもそういった儀式を催すことがあると聞いたことがある。
そして、叡尊は、説教の際に必ず施茶といって、民衆に茶を与えたそうだ。やがて寺の門前や祇園祭りの際に立売茶(一服一銭)や茶店が現れるようになり、茶は庶民の飲み物としても広がっていったといわれる。
茶道と禅の関係は深い。
茶道具-掛物-の章で、茶道の世界では墨蹟が一番大切にされる(特に大徳時の高僧のもの)とお話したが、これは村田珠光が大徳寺に参禅し、一休禅師からその証として宋の高僧(圓悟禅師)の墨蹟をもらい茶掛に使ったことに始まる。以後、茶人の参禅が習慣となり、脈々と続いている。村田珠光は、将軍足利義政より「茶とは何か」と問われた時、「茶とは遊に非ず芸に非ず、一味清浄、法喜禅悦の境地にあり」と答えたそうだ。
茶の普及は、禅宗の僧侶との関わりなしでは語れないといえるでしょう。
座禅を組んだことがありますか?私は何度か。美術館の企画で禅僧に座禅の組み方を教わったことがあり、その時は、肩を悟し棒で打たれる経験もしました。実際座禅を組んでいると何もすることがないので雑念が生じたり、眠くなったりするもので、そうなると身体が揺れるのです。打たれる際は頭と肩を下げ、叩かれるのを待ちますが、これが結構じーんと痛い。でも気持ちが引き締まり、すっきりします。慌しい毎日の中で“無”の境地になるということは皆無に等しいので、貴重な体験でした。
また曹洞宗の開祖である道元によると、修行の1つとして、茶の儀式が存在したという。今も京都の建仁寺では、四頭の式(よつがしらのしき)という禅の中での茶礼を伝える儀式があり、鎌倉の円覚寺や建長寺でもそういった儀式を催すことがあると聞いたことがある。
そして、叡尊は、説教の際に必ず施茶といって、民衆に茶を与えたそうだ。やがて寺の門前や祇園祭りの際に立売茶(一服一銭)や茶店が現れるようになり、茶は庶民の飲み物としても広がっていったといわれる。
茶道と禅の関係は深い。
茶道具-掛物-の章で、茶道の世界では墨蹟が一番大切にされる(特に大徳時の高僧のもの)とお話したが、これは村田珠光が大徳寺に参禅し、一休禅師からその証として宋の高僧(圓悟禅師)の墨蹟をもらい茶掛に使ったことに始まる。以後、茶人の参禅が習慣となり、脈々と続いている。村田珠光は、将軍足利義政より「茶とは何か」と問われた時、「茶とは遊に非ず芸に非ず、一味清浄、法喜禅悦の境地にあり」と答えたそうだ。
茶の普及は、禅宗の僧侶との関わりなしでは語れないといえるでしょう。
座禅を組んだことがありますか?私は何度か。美術館の企画で禅僧に座禅の組み方を教わったことがあり、その時は、肩を悟し棒で打たれる経験もしました。実際座禅を組んでいると何もすることがないので雑念が生じたり、眠くなったりするもので、そうなると身体が揺れるのです。打たれる際は頭と肩を下げ、叩かれるのを待ちますが、これが結構じーんと痛い。でも気持ちが引き締まり、すっきりします。慌しい毎日の中で“無”の境地になるということは皆無に等しいので、貴重な体験でした。
逢祖殺祖。
逢禅殺禅。
逢茶殺茶。
逢佛生佛。
逢祖生祖。
逢禅生禅。
逢茶生茶。