六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

阪神・淡路大震災から30周年

2025年01月18日 11時44分03秒 | つぶやき
数えてみれば、
あの大震災から30年が経つんだと思うと、
感慨深いものがありますよね。

私は当時、京都に住んでいて、
それこそ古い木造の家屋に起居していました。
1995年1月17日の朝5時40数分、
それこそ、
ゆらゆらと大きく揺れました。

おっ、と思うと同時に、
これ以上揺れると、この建物なら危ないなと、
そう感じましたね。

だから、
寝ていましたが、今度きたら飛び起きて、
外に出ないといけないという気持ちを持とう、
なんて思ったものです。

あれから30年、
今では神戸市も元のような雰囲気を取り戻していますが、
あの当時、
数年経ってはいましたが、
なにか殺伐とした雰囲気が漂っていました。

彼らはそのことについて、ほとんど口を開かないですが、
その苦労は並大抵のものではなかっただろうと、
今になって伺い知る体たらくであります。

その点、
まことに申し訳ない気持ちです。
本当にすみませんでした。

その阪神淡路大震災の起きる年、
1月5日その時、開祖は伊勢神宮にお参りされて、
内宮正殿前で深々と礼拝した瞬間、
パッと、御神示がひらめいた。

「思うまま、発表せよ」
御神示がくだったのである。

開祖はさらに深く頭を下げられた。
開祖は帰宅されて、すぐ筆を取られた。
それが雑誌「ダルマチャクラ」68号。

そのはじめに、
「わたしは、1999年7の月への歩みが、
今年からその姿をあらわし始めると予感する」

まさに、その年(1995年)から、
今年2025年で30年目。
それは、
占星術でいうと、
『サターンリターン』(土星回帰)に当たるのである。

土星回帰、なんと含みのある言葉であろうか。
さまざまな解釈は有ろうが、
土星はカルマの象徴である。

そのカルマの象徴である土星が、
30年を経て回帰するという。
その意味は、カルマの総括と言える。
30年を一周して、
行われたことの意味を振り返ってみるのである。

だから、30年は物事の終了という意味があると思うのだ。
例えば、
人の30歳前後には、
なんらかの振り返り行為があると思う。
一仕事を終えるとか、転職するとか、
人生の節目を迎える、
そんな人生経験を、誰もがするのではなかろうか。

それが『サターン・リターン』(土星回帰)である。
その土星回帰が、
阪神大震災の出来事でもおこわなれるのだ。

阪神大震災を振り返ってみる、
そして、どういうことだったのか分かるとか、
いろんな思いに耽ることもあると思うのだ。

それが「土星回帰」なのだ。
そして、開祖の言われた「1999年7の月が来る」は、
今年になって、30年を迎えて、
ひとつの結論を迎える。

と同時に、
世界はひとつのピークを迎えるのではないか?

それが今年の2025年だ。
それをひとつ、しっかりと心に刻んで生きていこうではないか。

そう私は思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

破滅のカルマは断ち切った!

2025年01月17日 13時17分50秒 | つぶやき

開祖のご著書を再度確認しました。
そして、思い出したのです。

『1999年7の月よ、さらば!』
こういうタイトルで書かれたその本は、
開祖が仏陀降臨の復活を祝う法要を記した本だったのですね。

これで『1999年7の月が来る』の話は、
終わっていたということがよくわかりました。
そして、
何年前だったか、
沖縄柴燈護摩法要を阿含宗は行ったわけだが、
その法要の後に、
開祖はおっしゃった。
「これで人類の破滅のカルマは断ち切った」と。

だから、
あとは人類破滅のカルマの小出し現象があるのみである。
今起きているのは、
破滅のカルマの洗い出し現象なのだと。

これでわかりましたね、
めでたしめでたし、とはいかないけれども。
(FINE)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【ノストラダムスの大予言】西暦には大きなズレがあった!?人類滅亡、本当は2025年7月の真相【都市伝説】

2025年01月15日 09時59分08秒 | つぶやき
【ノストラダムスの大予言】
              西暦には大きなズレがあった!
      ?人類滅亡、本当は2025年7月の真相【都市伝説】
ある友人からある動画が送られてきました。
また、眉唾ものの動画か?、
なんて思ったのですが、

よく考えた結果、
これは相当に鋭い選択の末に送られてきたものだと、
いう結果になりました。

というのも、
2025年は文明の限界点という意味で、
ロスの山火事、それもアメリカ民主党の工作疑惑、
それらを感じるとき、
これは単なる陰謀論ではすまないのではないか?

そう受け取ったのです。
そのきっかけは、
今回の『ノストラダムスの予言』でした。

開祖の著書である『1999年7の月がやってくる』
という赤本。
これは有名ですが、
それを再度ちょろっとめくってみました。

そうすると、
阿含宗の機関紙である『ダルマチャクラ68号』に、
【巻頭予言】として、
「運命の日は来るか」
と題して、
「わたしは1999年7の月の歩みが、今年からいよいよそのすがたを現わしはじめると予感している。」

そういう書き出しで始められている。
その「運命の1999年7の月」という表現に、
私は、管長猊下はご存じだったのだ、
今年が文明の限界点である、
究極の「1999年7の月」だったのだ!
そう直感した。

友人への返事で、
「私も、以前に1999年7の月の分析を 行ったことがあるんです。」
「それは1999年というのは単なる西暦の年の数字ではなく、数秘術の観点から私は分析しています。」

「それはかつてのキリスト教世界では、2000年を時代の一区切りとして考えていた。
だから、1999年は文明の究極の時と解釈することが可能である。」

「そして、7は成就とか熟するとかを意味する。」
「だから、1999年は一つの文明の究極において、カルマが熟してカルマが成就がするときに、空から恐怖の大王が降りてくる、
と解釈することができる。」

そして、「それはアンゴルモアの大王を蘇らせるために」
こう解するべきであると思いました。

そして、そう説明したのです。
結果、
一つの文明におけるカルマが熟して、人類の悪しきカルマが報いとして現れる。
そう解釈することができるのです。

それがまさに今だと、そういう動画の内容だと言える。
そう私は友人に送りました。

そうすると、
彼は、つまり、アンゴルモア大王の復活の予言ですね、と
返してきた。

はあー?と思ったのですが、
開祖の『1999年7の月が来る』を読んで、
そうだったんだと、
開祖の言葉は、これだったんだと、
改めて、
開祖の直感された予言のご著書だったんだと。

「1999年7の月」は、まさに2025年の今年かもしれない。
それも友人の送ってくれた動画を観てからなのだ。
その動画の説明を、送ってくれたお返しに書いたのだ。

それを少し述べてみたい。

もう一度言うと、
1999年7の月というのは、2025年そのものではない。
それはひとつの文明の終焉という比喩的表現であり、
数字なのである。

それが数秘術によるところの私の解釈である。
それを前提として、
このところの極限的な世界の混乱ぶりはどうだ?

いつ世界的な破滅状態が襲ってきても、少しも可笑しくはない。
第一に、コロナワクチンによるところの世界的大混乱。
そのほか、いろんなスキャンダルが世界を混乱に陥れている。

それらを前提として、
私たちは、これが世界破滅の始まりではないか?と、
誰もが思っていると思うのだが?

そこに、ノストラダムスの「1999年7の月が来る」である。
やはり、ノストラダムスの予言は本当だったのではないか?
そう思うのではないかな。

だが、
この「1999年7の月が来る」の予言は、
人類の破滅を言ったものではない。

あくまでも、アンゴルモアの大王の蘇りまたは復活させなきゃいけない!
というメッセージじゃないかと、
私は解釈している。

重要なのは、
アンゴルモアの大王とは、
何なんだ?ということではないだろうか。

ここに一番のテーマがあると思う。
アンゴルモアの大王は、恐怖の大王に対比された存在であるから、
どういう存在なのか?
それを明らかにする事が、この『1999年7の月が来る』のテーマになるんだと思う。

今年早々に起きた、
アメリカ・カリフォルニア州の山火事(?)の惨事を思うにつけ、
私は西洋キリスト教文明の終焉について、
思いを馳せるのである。

決して、人類の破滅そのものを予言したものではないと思うのだが、
キリスト教文明の犯して来た、重きカルマを思うにつけ、
人類の未来は暗いとしか思えない。

取り敢えず終わります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Los Angeles Fire LIVE Update | Widespread Power Outages In Los Angeles | Tent Cities Come Up | N18G

2025年01月15日 09時50分17秒 | つぶやき
Los Angeles Fire LIVE Update | Widespread Power Outages In Los Angeles | Tent Cities Come Up | N18G

これは深刻な問題ですね。
なんだか、もう究極の文明の問題、
文明の限界点を感じます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年の大晦日

2024年12月31日 00時38分47秒 | つぶやき
いよいよ、
どんなに泣いても今日一日だけ。
2024年は今日の残り、一日だけとなりました。

そして、
明日からは2025年の始まり。
新しい新年の開始となります。

2024年最後の一日を、どう過ごすか?
なんて、
大げさなものではないかも知れない。

けれども、
そんな気持ちで、過ごそうじゃないかと思います。
今日は2024年最後の日なんだ。

いろいろありましたけれども、
最後の一日となりました。
やっと、これで終わるのか、
と思うのか。

それとも、
もう終わってしまうのか、と思うのか。
悲喜こもごもの一日となりそうです。

思い出すと、
今年がどんな一年となるのか、
我が胸には予測みたいなものが、あったのかも知れません。

すでに、
ある意固地な気持ちが芽生えていたのです。
なんというか、少し暗い気持ち。

振り返ると、
五黄土星の破壊の作用を受けて、
だんだんと発展的な気分が消滅して、
限られた未来が先細りするような、
暗い?不安な気分に陥りそうに、
なっていきがちになりそうでした。

解脱していっているのに、
これでは困ると思いながら、
日々の生活を送っていました。

早く終わらないかな?
そう思いながら、
浮かんでくる歌詞のメロディーに、
気持ちを持っていっておりましたね。

今年は五曲、オリジナルを創りました。
けっこう長い間、完成まで時間を要しました。
ほぼ一カ月、ああでもないこうでもないと、
頭の中で、メロディーをこねくり回して、
肉付けして、作品を完成に持って行きました。

これで完成だと感じるまでに至り、
初めて安堵の思いをしましたが、
終われば、
新しい歌に愛情が湧いてくるのでした。

こんなことしてちゃいけないよ、
なんて思いながら、
もう止まらない我が心に、
少しお手上げの状態でしたけどね。

結局、
五曲創りましたね、ギターのリズムに、曲調の決定、歌詞の乗せ方、曲のテンポ、言葉の発音の注意など。
いろいろと考えを及ぼしながら、
創作活動をつづけました。

こんなことして、人生のためにはならないよ、
なんて思いながら、一つの人生の場面や思いを、
作品に刻み込んでいったのでした。

こういう歌を人に聴かせて発表して、
どういう意味があるんだろうか、
なんて思いながら、
私はライブの日に合わせて、練習も重ねていったのでした。

結局、
歌を辞めなきゃと思うと、
気分は落ち込んで、明日の人生に目標も描けなくなって、
なんだかやる気を失うのでした。

やっぱり、
クリエイトするのが好きなんだと再認識するのでした。

けっこう長い間、一人で悶々したと思う。
この渋滞から早く抜け出したいと、 
その想いを作品にして、
けじめをつけようと考えて、
次のステージへの気持ちを固めようと図るのですが、
時期がそれを許さない、
そんな状態でした。

暑い夏がつづき、
早く涼しくなってくれないか、
なんて思いながら、
がんばった夏を、今も覚えている。

爽やかな秋も、今となっては、
直ぐに過ぎ去りつつあったように感じる。
こうして、
日本全体を危機に陥れた、コロナワクチン接種の禍に、 
日本政界の大混乱と、新しい時代への切望を希求して、
やっと2024年最後の日を迎えることが出来たんだ。

そんなことがあった一年を、そう安々と終えるわけにいけるか。
そういう思いも持ちながら、
私は2024年最後の日を、今日過ごそうとしているのです。

皆さんも、
どんなことがあったか、それを思い出しながら、
今日一日を過ごしてみませんか?

それでは、
良い一日を。
そして、
2025年への展望を描いていってもらいたいです。
私たちの本当の未来を胸に抱いて!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする