因縁解脱するための条件として、
私たちは「心癖」を取るということを、
開祖から教えていただいておりますね。
その心癖とは、
一体どういうものなのか?
けっこう長い間、
私は考えてきました。
中には、
人間関係を潤滑にするための心の状態を作ることだと思っている人がいるからです。
そんな打算的な心の「行」ってある?
私はそう思っていました。
だから、
そうなのかなあと、
心の中で納得のいかない気持ちでいたのです。
でも、開祖の説法を長い間聞いていて、
やっぱりこうなんだという、
腑に落ちる思いを抱いたのですね。
確かに、
人間関係をよくするための心の状態を維持することも、
もちろん大事でしょうね。
ですが、
そんなことは本質的なことではないように思えるんです。
本来の考えとしては、
煩悩を解脱することなんですねえ。
そうだよ、そんなこと当然だよ!
そうあなたは言われるか。
確かにそうですね、
そんなこと当然なんです。
しかし、
もう一度言わせてほしい、
心解脱の行とは、煩悩解脱のことなんだと。
煩悩は、まず六大根本煩悩と言って、
「貪」、「瞋」、「癡」、「慢」、「疑」、「悪見」、
こういう煩悩があります。
そして、
さらに二十随煩悩というものが挙げられます。
その煩悩が心の中に出ないようにすること。
また、
自ずと漏れ出なくなるのを行とするのです。
ですから、
それらの煩悩が完全に出なくなると、
完全解脱、
つまり、「完全成仏」ということになるのです。
ですが、人間の心には、
三層のレベルに分かれて、
心は複層的に存在すると言われていますね。
つまり、
①表面意識、②潜在意識、③深層意識。
この三種類の心において、
煩悩が出なくなることを志し実践するのが、
「心解脱」の行なんですね。
では、
煩悩はどこから出てくるのでしょうか?
煩悩の出所ですね。
それは因縁というものです。
前世から持ち越されてくる「業」=カルマです。
そして、
家系から受け継ぐところのカルマです。
このカルマがあるから、
私たちの心の中で煩悩が生ずるのです。
煩悩とは、
私たちが運命を転換して行く上で、
大変なマイナスの作用を生じます。
因縁解脱の行を邪魔するのです。
そして、
自分自身の幸せになるのを邪魔するのです。
そう、邪魔されるんです。
それは何が邪魔するのかというと、
前生において迷惑をかけた存在や、
怨念や恨みを買った者達からです。
カルマは時間を超越しています。
さらに言うならば、
この世は、前世も来世もいっしょくたになっているんです。
混在していると言うのが適切でしょう。
例えば、
女性をだましたその結果、
相手の女性からの恨みの念であったり、
裏切りによって地獄に堕ちた相手の怨念、
あいつのせいで俺(私)はこんな苦しい目に遭ったんだという、
その念ですよね。
それらは業=カルマとなって、
次の世においても、無くなることなく償いをさせようと
追ってくるのです。
恨み晴らそうとするわけです。
例えば、
借金取りが、どこまでも追っかけてくるのと同じように、
それは恨みが晴れるまであきらめない。
時を越えて憑いてくる。
その怨念を消すにはどうすればよいのか?
それが成仏法という方法ですね。
マイナスの心を浄化して、
不徳を消して、運を良くする方法です。
私たちの不幸の元は、このマイナスの心ですから、
この自分に関わるマイナスの心を消すことが大事です。
それが無くなっていくと、運が良くなるのです。
そして、
さらに良い行為を行って、プラスの心を受けることによって、
さらに高い運気をもたらすことが可能になっていく。
これが成仏=因縁解脱の原理です。
因縁解脱法は、最高の人格形成法なんですね。
最高というよりも、
究極の人格霊格創造法ですね。
それが、阿含経の中の増一阿含経の「三供養品」にあります。
ひとつ読んでみましょう。
如是我聞、一時佛在舎衛国祇樹給孤独園、璽時世尊告阿難、
有三福道、不可窮尽、漸至涅槃界、云何為三、所謂於如来所、
而種功徳、此福不可窮尽、於正法、而種功徳、此福不可窮尽、
於聖衆、而功徳、此福不可窮尽、是謂阿難、是三福道不可窮尽、
自須陀薀至阿那含、断五下分結、三福道即至涅槃界、是故阿難、
当求方便獲此不可窮尽͡之福、如是阿難、当作是学、爾時阿難聞
佛所説、歓喜奉行。
《解説》
かくのごとく我聞きぬ、一時、仏、舎衛国給孤独園におられた。
そのとき、世尊は阿難に告げられた。
三種類の極め尽くすことのない福を生み出す方法がある。
漸次、涅槃界にいたる。
いかんが三となすや。いわゆる如来の御元において功徳を植える。
この福極め尽くすことがない。
正法において功徳を植える。
この福は極め尽きることがない。
聖衆においてこ゚の功徳を植える。
この福は極め尽きることがない。
このゆえに阿難よ、
この三福道は極め尽きることがない。
自ずと須陀温(シュダオン)から阿那含(アナゴン)に至る。
このゆえに阿難よ、まさに工夫をして、
この極め尽きることのない福を求めよ。
このように阿難よ、まさにこの学んだことを為せ。
そのとき阿難は仏の説くところを聞いて、歓喜奉行した。
このように、仏陀釈尊は説かれたのですね。
そして、
私も今、まさにその通りであると実感しました。
実践して、それが本当であると分かったのです。
そうして、
今のこの世界を救うのは、
この仏陀の説かれた成仏法なんだと。
唯一、この仏陀・釈尊の説かれた成仏法しか、
人類は救われることがないのだと確信するのです。
なぜか?
すべての争いの原因は業=カルマにあるからです。
カルマを説かない限り、
人類の争いは消えないからです。
それゆえに人々よ、
こぞって仏陀の説かれた成仏法を修行せよ!
そして、
すべての者がみな救われんことを。