六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

心癖のこと

2022年03月31日 10時58分01秒 | 未来
因縁解脱するための条件として、
私たちは「心癖」を取るということを、
開祖から教えていただいておりますね。

その心癖とは、
一体どういうものなのか?
けっこう長い間、
私は考えてきました。

中には、
人間関係を潤滑にするための心の状態を作ることだと思っている人がいるからです。
そんな打算的な心の「行」ってある?
私はそう思っていました。

だから、
そうなのかなあと、
心の中で納得のいかない気持ちでいたのです。

でも、開祖の説法を長い間聞いていて、
やっぱりこうなんだという、
腑に落ちる思いを抱いたのですね。

確かに、
人間関係をよくするための心の状態を維持することも、
もちろん大事でしょうね。

ですが、
そんなことは本質的なことではないように思えるんです。
本来の考えとしては、
煩悩を解脱することなんですねえ。

そうだよ、そんなこと当然だよ!
そうあなたは言われるか。
確かにそうですね、
そんなこと当然なんです。

しかし、
もう一度言わせてほしい、
心解脱の行とは、煩悩解脱のことなんだと。

煩悩は、まず六大根本煩悩と言って、
「貪」、「瞋」、「癡」、「慢」、「疑」、「悪見」、
こういう煩悩があります。

そして、
さらに二十随煩悩というものが挙げられます。
その煩悩が心の中に出ないようにすること。
また、
自ずと漏れ出なくなるのを行とするのです。

ですから、
それらの煩悩が完全に出なくなると、
完全解脱、
つまり、「完全成仏」ということになるのです。

ですが、人間の心には、
三層のレベルに分かれて、
心は複層的に存在すると言われていますね。

つまり、
①表面意識、②潜在意識、③深層意識。
この三種類の心において、
煩悩が出なくなることを志し実践するのが、
「心解脱」の行なんですね。

では、
煩悩はどこから出てくるのでしょうか?
煩悩の出所ですね。
それは因縁というものです。
前世から持ち越されてくる「業」=カルマです。
そして、
家系から受け継ぐところのカルマです。

このカルマがあるから、
私たちの心の中で煩悩が生ずるのです。
煩悩とは、
私たちが運命を転換して行く上で、
大変なマイナスの作用を生じます。
因縁解脱の行を邪魔するのです。
そして、
自分自身の幸せになるのを邪魔するのです。

そう、邪魔されるんです。
それは何が邪魔するのかというと、
前生において迷惑をかけた存在や、
怨念や恨みを買った者達からです。

カルマは時間を超越しています。
さらに言うならば、
この世は、前世も来世もいっしょくたになっているんです。
混在していると言うのが適切でしょう。

例えば、
女性をだましたその結果、
相手の女性からの恨みの念であったり、
裏切りによって地獄に堕ちた相手の怨念、
あいつのせいで俺(私)はこんな苦しい目に遭ったんだという、
その念ですよね。

それらは業=カルマとなって、
次の世においても、無くなることなく償いをさせようと
追ってくるのです。
恨み晴らそうとするわけです。

例えば、
借金取りが、どこまでも追っかけてくるのと同じように、
それは恨みが晴れるまであきらめない。
時を越えて憑いてくる。

その怨念を消すにはどうすればよいのか?
それが成仏法という方法ですね。
マイナスの心を浄化して、
不徳を消して、運を良くする方法です。

私たちの不幸の元は、このマイナスの心ですから、
この自分に関わるマイナスの心を消すことが大事です。
それが無くなっていくと、運が良くなるのです。
そして、
さらに良い行為を行って、プラスの心を受けることによって、
さらに高い運気をもたらすことが可能になっていく。

これが成仏=因縁解脱の原理です。

因縁解脱法は、最高の人格形成法なんですね。
最高というよりも、
究極の人格霊格創造法ですね。

それが、阿含経の中の増一阿含経の「三供養品」にあります。

ひとつ読んでみましょう。
如是我聞、一時佛在舎衛国祇樹給孤独園、璽時世尊告阿難、
有三福道、不可窮尽、漸至涅槃界、云何為三、所謂於如来所、
而種功徳、此福不可窮尽、於正法、而種功徳、此福不可窮尽、
於聖衆、而功徳、此福不可窮尽、是謂阿難、是三福道不可窮尽、
自須陀薀至阿那含、断五下分結、三福道即至涅槃界、是故阿難、
当求方便獲此不可窮尽͡之福、如是阿難、当作是学、爾時阿難聞
佛所説、歓喜奉行。

《解説》
かくのごとく我聞きぬ、一時、仏、舎衛国給孤独園におられた。
そのとき、世尊は阿難に告げられた。
三種類の極め尽くすことのない福を生み出す方法がある。
漸次、涅槃界にいたる。
いかんが三となすや。いわゆる如来の御元において功徳を植える。
この福極め尽くすことがない。
正法において功徳を植える。
この福は極め尽きることがない。
聖衆においてこ゚の功徳を植える。
この福は極め尽きることがない。
このゆえに阿難よ、
この三福道は極め尽きることがない。
自ずと須陀温(シュダオン)から阿那含(アナゴン)に至る。
このゆえに阿難よ、まさに工夫をして、
この極め尽きることのない福を求めよ。
このように阿難よ、まさにこの学んだことを為せ。
そのとき阿難は仏の説くところを聞いて、歓喜奉行した。

このように、仏陀釈尊は説かれたのですね。
そして、
私も今、まさにその通りであると実感しました。
実践して、それが本当であると分かったのです。

そうして、
今のこの世界を救うのは、
この仏陀の説かれた成仏法なんだと。
唯一、この仏陀・釈尊の説かれた成仏法しか、
人類は救われることがないのだと確信するのです。

なぜか?
すべての争いの原因は業=カルマにあるからです。
カルマを説かない限り、
人類の争いは消えないからです。

それゆえに人々よ、
こぞって仏陀の説かれた成仏法を修行せよ!
そして、
すべての者がみな救われんことを。
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桜三分咲き

2022年03月30日 05時56分49秒 | 未来
東京の方では、
桜の開花(満開?)したとニュースで流れていました。

え~っ?と驚いたんです。
だってこっちは、
外を歩いていて、桜なんて咲いてないよ?
と思って、
翌日、都ホテル横を通ったんですね。

そうしたら、
なんと咲いてるじゃないですか。

それで、
これで何分咲きなんだろう?って思っていたら、
そばで人が、
「これだったら三分咲きだな」
なんて言ってるのが聞こえた。

ああ、これが三分咲きかあー、
なんて感心したわけですけどね。

それで、
写真に収めてブログに載せたというわけです。

そこで、もう一つ。
youtubeを見てて思うことがあるんですけど、
海外の人から見て、
日本の素晴らしい点を動画にしたものが、
かなり流行っているようですね。

それを見ていて思う事は、
第一に、日本が治安が安全で住みやすいという点。
第二に、人が親切であるという点。
第三に、食にバラエティがあって、しかも美味しい点。
第四に、古いものと新しいものが融合している点。

ざっと以上のような点を挙げる人が多いようです。

これについて、
第一の治安が良くて安全であるというのは、
例えば、
欧米や西洋諸国は、過去の植民地時代において、
外国に進出して、搾取したり原住民を差別したりした。

その国の人々を大切に扱わないで、
利益はすべて自国に吸い取った。

そういうように、
奪う事がすべて、虐殺と差別が主な統治方法だった。

これは、元々ヨーロッパ西洋諸国の人々は、
狩猟民族であることが原因であると思われます。

そういうことをやってきて、
アフリカの黒人は、かつてアメリカで奴隷として売られてきて、
ヨーロッパでは難民として移住してきて、
今ではその結果、
ひどい扱いを受けた人々は、
その仕返しをしているのだろう。
そう思われます。

女性の夜の一人歩きは危険だという。
そりゃそうだろう、
白人は憎しみの対象なんだから。
顔もばれない夜ならば、
襲ってレイプ、強盗やりたいと思うのは当然でしょう。

昔、親切にしてくれたというのなら、
彼らも親切にしないまでも、
何も手荒な真似はしないわけです。

彼らを虐待し差別した思想には、
潰しにかかるのは当然だ。
BMLしかり。
もっともなことだと思える。

それに対して、日本という国は、
鎖国こそ有ったものの、
江戸時代は、庶民も教育を受けれたし、
なんだかんだといっても、
かなり自由な生活を楽しんでいたようだから。

そして、第一次世界大戦の結果、
日本は韓国や台湾併合をやった、
そして、現地のインフラ政策を進め、
現地国民の教育を平等に受けさせ、
等しく人々を慈しみ育てた。

日本人の統治原理には、
基本的に、
❝亜細亜(アジア)はひとつ❞の思想があった。
❝亜細亜はみな家族❞の考え方があった。

それゆえに、
日本の統治方法には、現地人の恨みが少ないのでは?と
考えられる。
(なお、韓国の場合はその後の意図的な政策のために、
少し事情が違っているようです。)

そういう単一民族思想のゆえか、
日本には外国に進出して、
現地人を搾取したり、殺したりする考えがなかったと。

それは元々、
今の世界を興したのは日本民族だからです。
そう考えると、
納得できるのではないでしょうか。

飛躍的な論理ですが、
結論はそういうことですね。
英国の寺院に、
極東の日本がある場所に、「HEAVEN」
と書いてある地図が残っているそうです。

外国の人々から見ても、
まさに、日本は「天国」なのではないですか?
以前からウクライナの人やロシアの人が多くみられていたのは、
彼らがもっとも求めるものが、
日本にあるからではないかと。

それが「安全」であり、「自由」であり・・・、
その他もろもろの魅力になっているのではないかな、
とそう思ったりするのです。
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養生訓(Ⅳ)

2022年03月28日 09時49分10秒 | 未来
★ふだん心気を養う法

養生の術は、まず心気を養うべし。
心を和らかにし、
怒りと欲をおさえ、
憂い・思いを少なくし、
心を苦しめず、
気をそこなわず、
これ、
心気を養う要道なり。

また臥すことを好むべからず。
久しく眠り臥せば、
気滞りてめぐらず。
飲食いまだ消化せざるに、
早く臥し眠れば、
食気ふさがりてはなはだ元気をそこなう。
戒めるべし。

又若き時より、色欲をつつしみ、
精気を惜しむべし。
精気を多く費やせば、下気の気よわくなり、
元気の根本たえず命短し。

もし色欲・飲食の慎みなくば、
日々補薬を服し、
朝夕食補をなせども、益なかるべし。
また、
風・寒・暑・湿の外邪をおそれ防せ、
起居・動静を節にして、つつしみ、
食後に歩行して身を動かし、
時々動引して、
腰・腹をなでさすり、
手足をうごかし、
労働して血気をめぐらし、
飲食を消化せしむべし。
一カ所に久しく安座すべからず、
これ、
養生の要なり!

  『養生訓より引用』

  《解説》
益軒の養生の根本は、
すべて欲を制うることにあり、
すべて控えめにすることを第一とする。

かといって、
何もしないで、安逸をむさぼるのではなく、
適度の行動、毎日の健全なる規律正しい、
労働が必要である。

たとえば、
喜怒哀楽の感情の動きを、つとめて平静にし、
鳥越苦労やあせり、不安など、心痛をしないことは、
セリエ博士のストレス学説からも、
感情の中枢である間脳をゆがめるような心痛は、
その下にある脳下垂体を刺激し、
さらには、
全身のホルモン系にアンバランスをもたらし、
ついには、
臓器の故障や疾病の原因になり、
免疫力の低下をもたらすことになる。

そう解説されています。
それらのことは、
身体と心の相関性がよく説明されていると思いますね。


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養生訓(ⅲ)

2022年03月28日 09時18分10秒 | 未来

(つづき)
これをストレス説から見るとどうなるか。

享楽を追って、不規則な生活をし、
その職務に専念せず、
精神の緊張を失うところに、病魔が入り込むことは、
誰でもよく知っているところであります。

最近の病気は、
そのほとんどが心因性にあると言われておりますが、
特に精神的不安や過度の緊張による『神経症』は、
その精神力が健康を保ち、
天寿を全うするのに大切であるという。

こういう一文を読むと、
いかに我々が、その精神性を軽んじているか、
痛感させられます。

私としては、
この本来的な健康のアプローチ法に、
今一度、立ち帰るべきであると考えるのです。

※ストレス説は、
ハンス・セリエ博士(1907年~1982年、ウイーン生れ)が、
四種類のストレスを一万五千匹の動物実験から導き出した
人間の身体的な反応を、
全身適応症候群としてまとめた医学的見解です。

①物理的ストレス(寒冷、騒音、放射線など)

②科学的ストレス(酵素、薬物、化学物質など)

③生物的ストレス(炎症、感染、カビなど)

④心理的ストレス(怒り、緊張、不安、喪失など)
に分類した。

次に、益軒は、
みだりに薬を用いたり、施術したりすることを戒めている。

❝衣食住は生命を守る大切なものだが、
この外物をあまり用いすぎると、
内にある「元気」が負けて、病気となる。❞

過保護を戒めているのである。

❝およそ、薬と鍼灸を用いるは、やむことを得ざる下策なり。
飲食・色欲を慎み、起臥を説きにして、
養生を良くすれば、病無し。❞

       (つづく)
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養生訓(Ⅱ)

2022年03月28日 09時05分32秒 | 未来


病気だけが生命をちぢめるのではない。
凡ての人の生まれついた寿命は長いという。

生まれついて元気盛んにして、身強き人も、
養生の術を知らず、朝夕身を損ない、
日夜精力を減らせば、
生まれついたる寿命を保たずして、
早世する人、世に多し!

また、
本来は甚だ虚弱にして多病なれど、
多病なる故に、
つつしみ恐れて保養すれば、かえって長生する人、
またこの世にあり。

こう講義されています。

つづけて、
養生の極意は精神の修養にあり。
『素問』に、怒れば気上がり、喜べば気緩み、
悲しめば気消ゆる。
恐るれば気環らず、寒かれば気閉す、
暑ければ気滞る、驚けば気乱る。
労すれば気耗し、思えば気結ばる。
百病は凡て気から生ずべきものなり。

こう説かれており、
これを予防するには、心気を養うことが大地であり、
心を平和に、瞋りと欲を制し、憂いを少なくして、
心を苦しめず、気を損なわざること。

と説いておられる。
これを三つのポイントとして、
①神気を養え、②気欲を遠ざけよ、③飲食を節せよ。
とある。

では、
これを今日的解釈で言うと、どうなるか?

 (つづく)

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