六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

シュダオン・シダゴン・アナゴン(Ⅱ)

2024年12月31日 19時10分15秒 | 仏教
改めて、天界二十八天の構図を見ていました。
すると、
この前に感じていたことが、明確にわかったのです。

それは、第四禅天のクラスは、
アナゴンの道だということです。
第四禅になると、深く定に入り瞑想が目的となるのです。
そして、
ものの実相を見極めるということが目的になるのです。

金剛界で言えば、
阿弥陀如来の世界、真実を見るところです。
これは言うならば、アナゴンのクラス(部)なんです。

そこでアナゴンとなって、
仏界に至る王手とするのです。
空を掴み、縁起を体感する。

そこに至るには、まずシダゴンに到達する。
そうすると、
それがわかるようになります。
次の段階では、徳を積みながら、七科三七道品の瞑想に入る。
四念処観で空観を体得する。
そうすると、アナゴンです、

こうなると、時空を超越して、
霊的世界に参入していきます。
アナゴンになると、
成仏の四種類の涅槃に入りる方法が得られる。

それが獲得できるのです。
最後までやりましょうね。
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人間改造の原理と方法(Ⅵ)

2024年12月04日 18時16分24秒 | 仏教
今年も最後の月である12月に入って、
いよいよ今年も最後となります。
心残りの無いように、悔いのないように過ごしたいですね。

では、最後に、
“そこで、部派仏教では、これ(釈迦の説かれた成仏法)を三十七菩提分法といって、
まとめ呼びしたものの、新しい統一ある修行法を案出し、
それによって、修行するようになる。”

“それは中阿含182、パーリ中部39、馬邑大経で、
そこでは三十七菩提分法の中の修行法と関係なく、
独自の立場で、修行の発足から最後の悟りに至るまでの経過を
段階的にまとめて説かれてある。”

それを見てみると、
“(1)慙愧具足(社会に対しても、自分の内心に対しても、
       恥じることを知ることであり、要するに、正しい良心を持つこと。”
(2)身行清浄(八正道の中の正業にあたる)
(3)語行清浄(正語)
(4)意行清浄(正思惟)
(5)活明清浄(八正道の正命に相当)
(6)第守護根門(感覚器官を清らかに保って、
      感覚器官の認識作用に対して外境(対象)に執着せず、
      放逸無慚に陥らぬようにする)
(7)於食知量(自分が食べるものの分量を知り、過食暴飲をしない)
(8)警牾精進(八正道の正精進に当たる)
                       瞑想するのに居眠りなどをしないで一心努力すること。
以上の八段階は瞑想定に入るのに適した心身の状態をととのえることである。

(9)正念正知具足
(10)独往厭離・五蓋遮断(瞑想に適する静かな場所で、独り住することであり
    五蓋遮断は正しい瞑想に入ることを障害する五つの煩悩を捨て断ずること。

(10)でいよいよ五蓋がまったく遮断せられると、
    いよいよ初禅ないし第四禅定に入ることができるのである。
    宿命通や天眼通などの神通的な智慧が得られるのは、
    この第四禅においてであるとされる。

第(15)の宿住隨念智から第(17)の漏尽智は「三明」と言われ、
さとりに達する直前には必ずこの三明智が得られるとされる。

”私(開祖)は以上の修行課程を、次のように編成した。”
“(1)~(12)までを解脱瞑想法(戒・定)、
(13)~(17)を求聞持聡明法(慧)の二つに分ける。”
解脱瞑想門は因縁を解脱し、業を転換させる修行門。
この門による修行により、人は自分の持つ因縁から解脱し、
業を転換させるのである。
求聞持瞑想門は、仏陀の体得された三明通を獲得し、
六神通を体得しようとする修行門である。
この門の法を修めることにより、人は人の構造を超越し、
人でいながら人の存在を超えてしまう。”

以上、簡単ながら、『人間存在の原理と方法』の概略を終えます。
開祖は、この時点で、
われわれ修行者の育成をイメージされていたのでした。

ここまでの修行の目次を頭に入れることで、
これからの具体的な修行の進行が定まるのです。
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人間存在の改造と方法(Ⅴ)

2024年11月27日 21時10分31秒 | 仏教
そろそろ終わりに来ています。
『十二支縁起の法』より、

“それは人間の「苦」の生起し継続してゆく状態(条件)と、
それが滅していく状態と条件を示したものである。”

①無明=無知。ここでは世の中の成り立たせている縁起の真理・実相に暗いこと。
②行=行動と心を含めた潜在的形成力。
③識=識別作用。(潜在意識と表面意識を含めた心の作用)
④名色=名称と形態、または精神と物質。心身。
⑤六入=心作用の成立する六つの場、(眼・耳・鼻・舌・身・意)
⑥触=感覚器官と対象との接触。
⑦受=苦楽等の感覚作用。
⑧愛=盲目的衝動的欲求。妄執。渇きに例えられるもの。
⑨取=執着。前の愛により取捨選択してそれに執着すること。
⑩有=存在。
⑪生=生まれること。
⑫老死=我々が生きている現実の姿。

アビダルマでは、この十二支縁起は、惑‣業・苦の三つのものから成ると
解釈されている。
すなわち、無明と愛と取は「惑」、すなわち煩悩であるとされ、
行と有は「業」に属するとされ、
残りの識・名色・六入・触・受・生・老死の七支は、
業果としての苦であるとされている。

要するに、ブッダの教法は、
十二因縁=四諦という協議の上に立って、
四念住・四正断・四神通・五根・五力・七覚支・八正道という実践法、
これより成る七科三十七道品という成仏法、
これが編成されているということである。

もちろん、
いくつかの科を段階的に修行していく場合もある。
という。

具体的には、まず、
出入息をととのえる「安般念」から出発して、
精神統一させ、
次の四念住の瞑想に進み、
それが十分に得られると、
七覚支の修行に入り、
七覚支が習熟し終わってはじめて、
三明の智慧と、解脱が得られて、
最後のさとりの境地、ニルバーナに至るのである。
とされている。
 (つづく)


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人間改造の原理と方法(Ⅳ)

2024年11月21日 08時41分21秒 | 仏教
(つづき)
「四聖諦」について、
実に苦しみという、聖なる真理について考察したものである。
生きるということは、実に苦しみである。

お釈迦様の目から見る時、それはまさに「苦」そのものである。
老いる苦しみがあり、病む苦しみがある。
死の苦しみがあり、憎い人に会う苦しみがある。
愛する人に分かれる苦しみがあり、
欲するものを得られない苦しみがある。

(悟らざる者の)生きるということは苦しみである。
実に、苦しみの生起の原因は以上のとおりである。
それは苦しみの原因を集めているからである。

それは欲望に対する妄執、生存に対する妄執、
生存の絶無に対する妄執から生じるものである。

実に苦しみの止滅という、
聖なる真理は、次のごとくである。
それは苦しみの原因となるものを止滅し、
それからの解脱である。

実に、苦しみの止滅に至るという聖なる真理は、
次のごとくである。
これは聖なる八支より成る道である。
すなわち、
正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、
正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。

つまりニルバーナに入って仏陀となられたゴータマは、
成覚後、はじめて五人の修行僧に説法されたのが、
以上の「四聖諦」と「八正道」である。

(『人間改造の原理と方法』より)

  (つづく)
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『人間改造の原理と方法』(Ⅲ)

2024年11月20日 20時19分18秒 | 仏教
(つづき)
『阿毘達磨俱舎論』より、

「前に、世の別は、みな、業によりて生ずと言うなり。
しかして、かくの如き業は、随眠を離れたる業は、有を感ずる能なし。」
とある。

これは「業」と「随眠」(無意識の意識のこと)と、
深いかかわりがあることを述べた言葉である。
では、
どのようなかかわりがあるのか?

つまり、“世の別は業に由りて生ず。思および思の所作なり”
“思はすなわち意業なり。所作はいわく身語なり”
とある。

「思」は想いとか考えるとかを意味している。
精神作用全般を指すと思ってよい。
そして、
「所作」はその思の結果、
言葉を発したり行動に移したりすることだから、
「思」が行を生ずるということである。

そこで、
「思」の本体は何か?ということになるが、
思は無意識の働きを含めているから、
精神作用の中の「随眠」という領域を指すことになる。

「随眠」とは、思が深く眠っている状態だというのだ。
ひきつづき、
「随眠」の説明に入ると、
“随眠は諸有(あらゆる存在)の本なり。”
“これが差別(しゃべつ)に、六あり。”
“貪と愼とまた慢と無明と見と及び疑なり。”
とこうある。

つまり、
随眠が目を覚ますと、所作を生じ、
そして「業」を生むのである。

だから、
まず「随眠」を起こさないようにすること、
そして、
眠ったままの「随眠」を、
ある方法で消滅させることが大事なのである。
やがては、「随眠」が時に応じて目を覚まし、
思の所作(業)を引き起こさないようにするためである。

それが仏陀釈迦の説いた成仏する方法であるというのだ。
それが『阿含経』という経典の中に、
釈迦が直々に説いた仏法として。残されているのだ。
(つづく)
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