六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

成仏するとは?

2025年03月03日 06時45分03秒 | 仏教
馬鳴(アシュバゴーシャ)だったか、
成仏をローソクの火が消えるように、
後に何も残らない状態だと、
言ったとか言わないとか。

とにかく、
成仏するとは、煩悩が掻き消されるように、
ローソクの火が消えたような状態なのだと、
一般的に考えられていた。

今、洗い出しによって、
抑圧意識(煩悩)が開放されてみると、
これが成仏するということなのだと分かる。

大乗仏教では成仏出来ないので、
分からなかったのだろうが、
やはり、お釈迦様の仰られたように、
無始の昔より輪廻しつづけてきて、
そこで作って来たところの,
カルマから生じるところの、タンハーを解消することによって、
浄化されていく。

それが成仏というところの、存在の状態なのだ。
それを究極の状態にまで進めることで、
完全なる成仏が得られるのだ。

苦しく辛い試練を経て、
師を恨んだこともあったが、 
今は本当に感謝している。

ここまでやってきて良かった。
そう思う。

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聖者の条件!

2025年03月01日 18時46分20秒 | 仏教
大事なことは、
自分の枠を超えていく意思だと思うんです。
自分の枠を超える、
気概というようなものが必要だと思うんです。

ある方が相談に見えました。
というか、
ある考えを私に求めてきたというか、
希望を述べてきたというような。

それを聞いていれば、
ある組織に対する不満があるわけですね。
で、このままでは、
遠くない将来に人々が離れていくだろうという。

まあそうかもしれないとは思いながら、
実際にその不満を、私が直接聞いたわけではないので、
私が代わりに代弁するわけにもいかず、
「では、あなたが人々の声を代表して、
その不満を質問の形式でお尋ねすれば良いのではないですか?」

そうお答えしたんです。
そうすると、
「やはり、祈りで解決したいです」
ということで、
その方は、私が受けなかったのもあって、
自分では代表質問というようなことはされませんでした。

でも、このところ、
この方には何度もそういうチャンスが来ているんです。
それは「自分の殻を破るチャンス」です。

人々のために、自分が犠牲となって、
人々の疑問や悩みに答えるべく、質問をする。
そういう自らを犠牲にした行為です。

やはり、

何かと自分が損失するのではないかという、
自己防衛の心が働くのは、いわば当然かもしれません。
しかし、
この疑問や悩みそして不満が、
このまま人々の心に渦巻いていては、
やがては、不信感を大きくして、
その組織から離れていくきっかけになっていかないとも限らないわけです。

実際少なくないですよね、
そういう形でその組織をやめていく人は。
だからといって、
私が代わりに、その代表質問をしたとしても、
何にもならないんです。

それは、その人の問題であって、
その人の修行を進める上に来ている壁なんです。
その方が次の段階に進めていくためには、
今の問題を乗り越える必要があるわけです。

それはその人の心に巣くうところの「疑念」です。
疑いの心が、今、渦巻いているわけです。
不満の心は、疑いの心を呼び起こして、
今、この方は、大きく揺れ動いている。

別にグループを作って、
そこで新しく活動していこうか?
そう思っているのかもしれないわけです。

なぜならば、
今年は、「天下同人」の卦が出ていますから、
同じ気持ちを持つ人が集まって、旗上げをする。

そういうような動きです。
それが出ていますから、
次の動きが予想されるわけですね。

そうなると、
結果的に、
その組織を離れるという形が出てくるわけです。

それはせっかく正しい道を歩んでいる者からすると、
とても残念なことですよね。
「去る者は追わず!」なんて、
格好の良いことを言うものがおりますが、
爪楊枝を咥えた貧乏侍のようなことを言うんじゃないよね。

私たちは、心から信じる者のために行動しているわけです。
それを忘れてはいけない。
そう思うんです。

だから、
自分をかわいがるのは当然としても、
自分が傷ついても構わないという、
ある覚悟は必要だと思います。

だから、
それは厳しい「供養行」に現われていますよね。
供養行は、自分を捨てる行です。
それにある意味耐えることは自分をこぇることです。

それが大きな因縁解脱の推進力になるのです。
自分を超えること。
それが聖者への大きな力となるのだと思います。

ただ、
無いものはないわけですから、
それでも無理に出せとは言わないし、
する必要はないと思います。

私たちの生活があるわけですから、
子供だっているだろうし、
いろいろと必要なものもあるでしょう。

だから、
無理はする必要はないんですよ。
無いものはないと、自分の心に言い聞かせれば良いと思います。

修行は長いんですから、
長く続ける必要がありますからね。
それは因縁に負けるな!ということだと思うんです。

そこを履き違えないようにしてもらいたいなと思うんです。
自分にも因縁にも負けないでね!
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「解脱」の道

2025年02月25日 03時15分11秒 | 仏教
時には身体を投げ出して、
人びとの渡る橋となる
そんなことも必要だ。

時には痛みをともなう関わりに、
覚悟を決めてやることも、
それは大事なことなのさ。

いま来ているトラブルは、
壁のようなものなのさ、
自分を越えるチャンスだと、 
自分を越える試練なんだ。

俺達は自分を超えてゆく!
俺達は自分を超えてゆく!

もう少しの勇気があれば、
お前はお前を超えてゆく、
何かを成し遂げたいなら、
自分を差し出すことも必要だ。

それが大事なことならば、
何かを投げ出すことも良いだろう。
それがお前の夢ならば、
俺はお前を褒めてやる。

それが「解脱」の道なのだ。
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シュダオン・シダゴン・アナゴン(Ⅱ)

2024年12月31日 19時10分15秒 | 仏教
改めて、天界二十八天の構図を見ていました。
すると、
この前に感じていたことが、明確にわかったのです。

それは、第四禅天のクラスは、
アナゴンの道だということです。
第四禅になると、深く定に入り瞑想が目的となるのです。
そして、
ものの実相を見極めるということが目的になるのです。

金剛界で言えば、
阿弥陀如来の世界、真実を見るところです。
これは言うならば、アナゴンのクラス(部)なんです。

そこでアナゴンとなって、
仏界に至る王手とするのです。
空を掴み、縁起を体感する。

そこに至るには、まずシダゴンに到達する。
そうすると、
それがわかるようになります。
次の段階では、徳を積みながら、七科三七道品の瞑想に入る。
四念処観で空観を体得する。
そうすると、アナゴンです、

こうなると、時空を超越して、
霊的世界に参入していきます。
アナゴンになると、
成仏の四種類の涅槃に入りる方法が得られる。

それが獲得できるのです。
最後までやりましょうね。
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人間改造の原理と方法(Ⅵ)

2024年12月04日 18時16分24秒 | 仏教
今年も最後の月である12月に入って、
いよいよ今年も最後となります。
心残りの無いように、悔いのないように過ごしたいですね。

では、最後に、
“そこで、部派仏教では、これ(釈迦の説かれた成仏法)を三十七菩提分法といって、
まとめ呼びしたものの、新しい統一ある修行法を案出し、
それによって、修行するようになる。”

“それは中阿含182、パーリ中部39、馬邑大経で、
そこでは三十七菩提分法の中の修行法と関係なく、
独自の立場で、修行の発足から最後の悟りに至るまでの経過を
段階的にまとめて説かれてある。”

それを見てみると、
“(1)慙愧具足(社会に対しても、自分の内心に対しても、
       恥じることを知ることであり、要するに、正しい良心を持つこと。”
(2)身行清浄(八正道の中の正業にあたる)
(3)語行清浄(正語)
(4)意行清浄(正思惟)
(5)活明清浄(八正道の正命に相当)
(6)第守護根門(感覚器官を清らかに保って、
      感覚器官の認識作用に対して外境(対象)に執着せず、
      放逸無慚に陥らぬようにする)
(7)於食知量(自分が食べるものの分量を知り、過食暴飲をしない)
(8)警牾精進(八正道の正精進に当たる)
                       瞑想するのに居眠りなどをしないで一心努力すること。
以上の八段階は瞑想定に入るのに適した心身の状態をととのえることである。

(9)正念正知具足
(10)独往厭離・五蓋遮断(瞑想に適する静かな場所で、独り住することであり
    五蓋遮断は正しい瞑想に入ることを障害する五つの煩悩を捨て断ずること。

(10)でいよいよ五蓋がまったく遮断せられると、
    いよいよ初禅ないし第四禅定に入ることができるのである。
    宿命通や天眼通などの神通的な智慧が得られるのは、
    この第四禅においてであるとされる。

第(15)の宿住隨念智から第(17)の漏尽智は「三明」と言われ、
さとりに達する直前には必ずこの三明智が得られるとされる。

”私(開祖)は以上の修行課程を、次のように編成した。”
“(1)~(12)までを解脱瞑想法(戒・定)、
(13)~(17)を求聞持聡明法(慧)の二つに分ける。”
解脱瞑想門は因縁を解脱し、業を転換させる修行門。
この門による修行により、人は自分の持つ因縁から解脱し、
業を転換させるのである。
求聞持瞑想門は、仏陀の体得された三明通を獲得し、
六神通を体得しようとする修行門である。
この門の法を修めることにより、人は人の構造を超越し、
人でいながら人の存在を超えてしまう。”

以上、簡単ながら、『人間存在の原理と方法』の概略を終えます。
開祖は、この時点で、
われわれ修行者の育成をイメージされていたのでした。

ここまでの修行の目次を頭に入れることで、
これからの具体的な修行の進行が定まるのです。
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