六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

無明ということ(Ⅰ)

2021年05月29日 19時16分08秒 | 未来



仏教に「無明」という言葉があります。
無明を解決することが、成仏することであり解脱することなんだと言われます。

無明には二つの意味があって、
一つは、読んでの通り、
明りがないということです。

明りがないと何も見えないで、
闇の中を手探りで探したり、
歩いたりして、
暗中模索という言葉があるくらいです。
明りというと、
火が代表的ですよね、
灯りと書くと、灯すという意味になってきますよ。

モノが見えるということ、分かるということは、
人間にとって、
とても重要であることが分かりますよね。

ですから、
無明には、暗闇の状態にいるということが暗示されます。

と同時に、
無知という意味が出てきます。
明りとは、
知恵を表してくるのですね。
知恵がないという意味になるわけです。

ですから、
知恵を持つことが人間を進歩させ、向上させるんだということになるんだということですね。

で知恵には世間知というのがあって、これは社会で上手く生きていく知恵を指します。
世間で上手く生きていく知恵ですね。
それに対して、
物事の真理を見抜く知恵というのがあります。正しい価値観を知る知恵ですね。
本当のことを見抜く知恵。
これを仏の知恵=仏智と言うのです。
この仏智を得ることが、
無明から抜け出すことなんですね。
お釈迦様はおっしゃいました。
苦しみの根本は無明である。
無明から抜け出すんだ!
そこから、
本当の幸福が見えて来るのだと。
これが「解脱」の方法だと言われたのです。

「間脳」を開く。
間脳は霊性の場であると言われます。
霊性を開いて、真理に目覚める。
そこに、


私達の未来が開けてくるのではないか?
そう思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変容(Ⅱ)

2021年05月26日 23時13分34秒 | 未来


以前にも「変容」のタイトルで書いたと思います。
ので、
(Ⅱ)と題して続きを書こうと思います。

周囲の人たちとの関わりの中で
感じること、
違和感を感じること。

改めて思うのは、
マイナスの言葉を吐く人に感じる共通のものは、
深層意識にある抑圧された心。

これを感じることですね。
誰かさんの言った言葉に、
かなり違和感を感じることってありませんか?

つい最近も、
えーっ?と驚いたことがあるんですね。
なんでそういうこと言うの?と
思って、
彼の言った言葉をたどると、
彼の中に有る抑圧意識に到達するんです。

ははー、これだなと思って、
その心を確かめるように目を移すのですが、
無意識の心には、
潜在意識というのがあると言われますね。

それらの心は良い心もあるかもしれないのですが、
だいたいはマイナスの良くない心ですね。
それを以前に、
ガラクタの心だと申し上げましたが、
言うならば、マイナスどころではないんです。

それは一言で言うならば、
前世から受け継いできたところの怨念なんです。
前世において信用していた人から裏切られたとか、
罠にはめられたとかということで、
死ぬ間際に恐ろしい思いで亡くなった。

または不条理感ですね。
その際の想いが恨みだったり憎しみだったりすると、
生まれ変わって、
そのことは何も思い出せないのですが、
抑圧意識のレベルで、
その人の言動や人生を決定する上で、
決定的な働きをする記憶が存在するんですね。

それが抑圧意識と呼ばれるもので、
それはだいたいが、
マイナスの意識なんです。
プラスの想いは別に抑圧意識を作らないんですよ。

これってよく聞くことでしょう?
ですが、
それを実感する機会ってありますか。
それを実感すると、
よくわかるようになるのですが、
それって、
決してその人を幸せには導かない心なんです。

人をある方向へ連れて行こうとすると、
その人の心に浮かぶ想い。
「嘘だ、信用できない!」

自分の中に不幸にする心が存在するって、
信じられないかもしれませんね。
でも、
これ本当なんです。

自分自身を幸せにしようとする場面になると、
必ず反応してくるマイナスの心、
「そんなことは嘘っぱちだ、
そんなことしても何にもならない。
だから相手にしない方が良いよ。」

深層意識に巣くう心が、そう言うんですね。
その心を解消しない限り、
その人が❝変容❞のチャンスをつかむことは出来ない。

やっぱり、
信じることが大事なんでしょうね。
信じる心!
これって大事なことなんですよ。

そして、
マイナスの心を解消することで、
人は次の段階にステップしていくことができるんです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある夢の語る暗示!(Ⅱ)

2021年05月25日 05時01分08秒 | 未来
ある夢を見たその暗示から来るもの。
その続きです。

それは言うならば、
群衆心理に巣食うものではないか。
あるいは、
人類の集合無意識に属するものではないだろうか。

これほどに世界的な範囲で同時進行する病気は、
そう考えるのが適切だと思う。
流行するものは、
底に、
個人を越えた次元の心の領域というものがあって、
それが人類に共通の作用を及ぼす。
それが「人類のカルマ(業)」
と言うべきものでしょう。

そこにメスを入れることが、
解決のポイントになると思うんですね。
そして、
宇宙から清浄なる光を照射する。
イメージ的には、
そういうことだろうと思うんです。

そうすると、
人類のカルマを解消できる。
そして、
人類は次のレベルに進んでいける。
そう、アセンション=次元上昇。
そのためには、
人類の意思が必要です。
争いには平和への意志。
病いには、病気平癒の意志。
貧困には、豊かさへの意志。

その意志を、
大いなる存在に向ける、
大いなる者に人類の幸福をお願いする。
それは大事なことだと思うのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂の六道輪廻

2021年05月23日 03時46分38秒 | 未来


魂は死後どうなるのか?
私達は必ず死ぬのですから、
この問題は他人事ではない、
まさに自分事ですよ。

このことを正しく知れば、
自らの「生」の在り方を見つめざるを得ないでしょう。

そこで私は、
かつて若い頃に読んだ「クリスマスキャロル」というお話を
思い出したのです。
そのクリスマスキャロルは、
多くの子供たちの本に出るので、
良く知られていますね。

(主人公のスクルージは強欲でケチで、
これっぽっちも、他人に対する思いやりの心がない人間。
そのスクルージが、
死んだ元共同経営者のマーレイという霊に、
自分の未来を見せられて、
己の愚かさを反省し改心する話)

この話は道徳物というか、
人としての生き方を説いた啓蒙書のように見られます。
ですから中には、
そんなことあるもんかと、
反発する人もおられるのではないかな。

ですが、
これは本当の話なんですね、
事実なんですね。

それが「六道輪廻」という概念なんです。
人は死んで肉体を失くしても、
純粋な霊として生き続ける。

何故か?
タンハーを持っているからだというのです。
タンハーとは、
執着心であり、愛欲の心であり、執念です。

それを仏教では一言で、「渇愛」と呼んでいます。
砂漠で水に餓えるように、
ひたすら必死に求める欲求の心。

水に溺れる人を助けようとするとき、
溺れる人は、もう死に物狂いで、
助けに来た人の身体にしがみつくそうですね。
もう物凄い力でしがみついてくるのだ言われますね。

その結果、
助けに来た人も自由を奪われて、
溺れ死ぬようなことになるのだという。

そのタンハーというものを持って死ぬために、
境涯を変えながら、
永遠に生死を繰り返すのだというのです。
永遠に、
その苦しみの人生を繰り返すのだというのです。

人は死んで間もなく、死出の旅に出ます。
そして、
苦しい旅のあと、賽の河原に到達するのです。
賽の河原からは、流れる三途の川が見えます。
その三途の川を越えて、
初めて人は心からの安息を得ることができるのです。

それを人は本能的に知っているので、
みんな競ってその川を渡ろうとするのですが、
その川に飛び込むと、
みんなずぶずぶと沈んで行くのです。
自分の業という身体の重さに耐えられずに、
泳ぎ切れないのです。

そして、
ずぶずぶとそれぞれの業に応じた世界、
地獄界、餓鬼界、畜生界、
この三界に行くのです。
そして、
それぞれの世界で、己の業の報いを受ける。
そしてその世界で報いを受けた後、
現世に、
生まれ変わるという形で舞い戻る。
それが繰り返されるわけです。

ですが、
中には六道輪廻を繰り返さない霊体もいるのですね。
それは、
三途の川を飛び越えた霊です。

三途の川を越えた霊は六道輪廻を繰り返さない。
六道輪廻をしないで、
霊界に赴いて、そこで生活をするのです。

そして、
霊的な境界を高めていく。
高い境界を目指して、修行を重ねるのだというのですね。

究極のところは仏のいる世界です。
それが仏界ですね。
ニルバーナ(涅槃)とも言います。

それを生きているうちに成し遂げようというのが、
お釈迦様の説いた仏教の目的なんです。

六道輪廻の生死を「分段生死」と言います。
六道輪廻を離れた生死を「変易生死」と言います。
私たちはこの変易生死、
つまり聖者の生死を迎えるのが
大切なのですね。

そこで初めて、魂の上昇を行えるのです。
次元上昇だとか言いますが、
魂の上昇がなければ、
アセンションなんていうのは、
単なる概念で終わってしまうのです。

ではどうすれば良いのか?
それが問題なんですよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スター(田村正和)

2021年05月20日 11時31分59秒 | 未来
田村正和さんがお亡くなりになられたという。
死亡は4月3日午後4時過ぎ。
もうすでに、
ご家族で葬儀を終わらせているということですね。

それで改めて、
田村正和という俳優さんを振り返ってみた。

というのも、
最近、
人の「死」というものに接する機会が多くあって、
それも年のせいなのか何なのか、
「死」を考えることが多くなったんですね。

そこで、
田村正和さんの「生」を振りかえってみようと。
「死」を考えることで、「生」を比較すると、
見える「生」があるのではないかと、
そう思ったわけです。

で、生年月日、
1943年8月1日東京世田谷生まれ。
身長は公表172センチという。
肩幅が顔と比較して少し狭かったようなので、
ハイヒールで身長をカバーしていると思い、
てっきり小柄な方だとイメージしてましたが、
そうではなかったんですねえ。

俳優さんとしての履歴を見てみると、
けっこういろいろな作品に出演しておられて、
幅広く活躍されたんだということが分かりました。

坂東妻三郎を父に持ち、三人兄弟の二番目。
三人兄弟の中では、父親に一番似ていたという。
その田村正和さんが映画デビューされたのは、
1960年兄・高廣主演の映画。
(詳しいことは各自で調べてください。)

見ると、
かなりな作品でそれも幅広い内容となっております。
うーん、これは驚いた。
時代モノの役者さんかと思っていましたが、
そうではないんですね。

それもかなりの良い男、単なるイケメンではない。
相当な活躍をされているわけです。
ご自分でも、
晩年、
もうやりつくしたとおっしゃっておられたというが、
それだけの作品で出られていると思いますね。

これだけのご活躍をされたら、
それはもうやり尽くしたと思われても、
ごく不思議ではないでしょう。
さぞ充実した人生だったのではないでしょうか。

ここまで振り返って見て、
これは私などのような者がとやかく言えるものではない
田村正和さんの人生であると思います。
何もいうことはないです。
失礼しました!

良い次の世界へ行ってくださいね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする